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12-2.家族療法,そしてナラテイヴ・セラピー

(特集 心理職ライフデザイン:平木典子先生に聴く)
平木典子(IPI統合的心理療法研究所顧問)
Interviewed by 下山晴彦(東京大学教授/臨床心理iNEXT代表)
Clinical Psychology Magazine "iNEXT", No.12

1.はじめに

前号に引き続いて,平木典子先生のインタビューの続編を掲載する。偶然の出会いからカウンセリングを知り,アメリカに留学して本格的にカウンセリングを学ばれた平木先生は,その後,アメリカでのPCA(パーソン・センタード・アプローチ)の研修会に参加したときに偶然にアサーショントレーニングを知り,サバティカルで再びアメリカに滞在し,本格的にアサーショントレーニングを学び,日本に導入した。

平木先生がアサーショントレーニングと並行して日本に導入したものとして,家族療法がある。本号では,アメリカで家族療法を学び,日本に導入した経緯をお話しいただくとともに,家族療法の実践がナラテイヴ・セラピーにつながっていった経緯についてもお話しいただく。

読者は,本号の記事を通して,平木先生のライフデザインが,様々な偶然と必然が重なりながら発展してきた経過を知ることができる。当時と今とでは時代が違うということはあるが,援助専門職として自身のライフデザインを発展させ,現在でも発展させ続けている先達として,平木先生の語りから学ぶことは多い。

本号の記事は,前号と同様に2020年10月13日に実施したインタビューを記録に基づいて構成した。インタビュワーは下山が務めた。第2回である今回の記事については,前半を谷真美華,後半を佐野真莉奈(いずれも東京大学博士課程)が記録作成を担当した。

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2.いつもニーズは実践の中から出てくる──学生相談から家族療法へ

──平木先生は,家族療法を学ぼうとされたのはどのような経緯だったのでしょうか。

いつもニーズは実践の中から出てくる。自分はカウンセラーとして学生相談をやっていくつもりでいた。学生相談では,青年期後期の学生の家族からの自立がテーマになる。モラトリアムを過ごして,専攻を決めるにも進路を選ぶにも,家族がテーマになることは多い。家族からの自立は学生の発達の支援をする上では,非常に重要なテーマになっていた。私は家族のことをしっかり考える必要があると思いなが学生のカウンセリングをしていた。

北米では家族療法というアプローチが確立していることを,1970年代半ばまで気づいていなかった。1990年に日本女子大学に移り,そこでのサバティカルを利用して家族療法の勉強を本格的にすることにした。アメリカの西海岸には家族療法の研究所があり,また,アサーショントレーニングも盛んであり,両方勉強するには西海岸に行った方が良いと考え,サンフランシスコに行った。

家族療法を学ぶ前は,家族は,学生の自立にとってかなり足を引っ張る存在だと思っていた。学生の自立に,家族は無意識の邪魔をしていると思っていた。家族療法は,家族とはそんな単純な集団ではないことを教えてくれた。家族療法では,システムという観点から物事を考える。私達一人ひとりは,心理的な自立とかその人らしい成長といった課題を抱えている。一方で,人は心理的な自立だけではなく,関係を創ることなしには生きていけない。家族療法の基礎であるシステム理論は,簡単に言うならば,私たちは異なった人々との相互作用の中で,どのような関係性をつくって生きるかということを考えるための理論である。

システムとは,相互作用の中で,多様な要素が影響し合いながらつくられる統一された複合体を意味する。「システムの一員となったら,仲間としてシステムを作っているのだから,仲間として相手との関係をどう変えるかということもしっかり考えなさい」というのが,家族療法のメッセージだと受け取り,大きな関心をもち,家族療法の考え方を学生相談の中で活かすことを考えた。しかし,当時,学生相談をしていた人達は,全く関心を示さなかった。

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3.関係性の中でメンバーを育てる家族療法

──家族療法のセラピストの多くは,システムを操作して,システムのメンバー行動を変えていくという考え方をする。しかし,平木先生の家族療法の考え方は,それとは異なり,家族という関係性の中でメンバーを育てていくという観点が強いと感じた。システムは,メンバーの行動をコントロールする面があるが,平木先生は,それよりもシステムの人を育てる側面を重視していると思ったのですが,それは正しいでしょうか。

そこに,家族療法の“ミソ”があると思う。だから,家族全員を集める合同面接などは,わざわざやらなくてもよい。学生相談でもその視点で考えればよいと考えていた。関係の中にいる一人として,その人がどう関係を作っていくかを支援するというのが私の家族療法の考え方。家族療法を学ぶ前は,自立とは家族から離れるものと思い込んでいた。しかし,家族療法を学ぶことで,離れるのではなくて,システムが変わっていくことだと理解できた。

──関係性が変化し,家族のシステムが成長していくという理解ですね。そのような家族の自然な動きを重視するのが,平木先生の家族療法の特徴ということでよいでしょうか。

そう。子どもが大きくなって,子どもが変わるとシステムも変わる,そんな感じ。しかし,そういうことを学生相談の仲間とは共有できなかった。家族療法に共感できない人達の中には,システムという考え方を人間味がないと感じていたのだろうと思う。そこで,家族療法に関心をもつ先生たちと家族心理学会を設立し,そちらに活動の中心を移した。そのような活動と並行して,IPI統合的心理療法研究所を設立し,現在は,家族療法に関心をもつ学生相談関係の人達が参加するようになった。

──システムという用語に,機械的とか組織的というニュアンスを感じて,違和感を覚えた人がいたのかと思う。システムを重視すると,個人を離れてしまうといった誤解があったということでしょうか。

そのような誤解はあったと思う。システムというのは,いろんなものが関わりあってまとまり,変化していくという本質を共有する前に関心をもたれなかったように思う。システムの見方は,家族療法学会や家族心理学会の中での家族のこと,という形でしか広がらなかった。それは,とても残念だった。でも,私は,自分で実践をする上で役に立つことは何でも取り入れるという気持ちだった。それで,理解されなくても,邪魔されなければいいかと思っていた。「ここはちょっと邪魔しないでね。ここに私はいます」みたいな感じでずっとやってきた。

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4.日本人にとって家族とは

──日本人は,“ご縁”という関係の中で生きている。家族は,非常にコレクティブ(共同体的)な,ある意味で血縁的な関係を共有して生きている。個人療法といっても,そのような関係の中で生きている個人を支援するのだから,日本においては,実は関係やシステムをもっと見ていかなければいけないのではないでしょうか。

日本人にとって古い家族の見方では,親がつくって,親の思いで子どもを育てていくものとなる。そして,子どもに反発されながら,親の思いが子どもに伝わり,子どもはそのうち反抗して出ていくものと思っている。そういう家族のイメージは,なくなっていない。

──それは家族というよりも家の制度ですね。

そのような“家”の感じは,日本の家族にはまだ,残っている。そういう意味で家族療法は,広がらなかったのだろう。一方,私は,1970年代に起きてきた心理療法の乱立がとても気になっていた。私なりにどうにか整理しなくてはと思っていたところで,家族療法のシステムの考え方を学んだ。システムの考え方は多様な心理療法を統合できるのではないかと考え,心理療法の統合を志向する家族療法を実践する研究所を設立した。今や,システムの考え方で,カウンセリングも行動療法も統合されてきていることに感動している。統合という点では認知行動療法については,非常に感動している。

──なるほど。先生は,家族療法にこだわらなくて,支援の広い枠組みとして心理療法の統合のためにシステムの考え方を使ったわけですね。それでは,次にシステムの基本となっている関係性との関連で社会構成主義とナラテイヴ・セラピーのお話をお願いします。

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5.家族療法からナラティヴ・セラピーへ

家族療法を実践していると,ナラティヴ・セラピーに向かうのは,ある意味で当然。というのも,家族の問題というのは,関係のところで起きている。だから,「いい関係をつくるためにがんばりましょうよ」というのが家族療法の考え方。家族療法は,家族を治療するよりも,家族と共に元気になるといった視点が強い。それは,コラボレーション,つまり協働するということ。家族療法の中には,協働の考え方がたくさんある。私は,家族療法を実践していたので,語りを共生成するナラティヴ・セラピーにはスッと入っていけた。1990年代にナラティヴ・セラピーの本を読み,ナラティヴがいろいろなところに浸透していくことがわかってきた。ただ,私は,ナラティヴ・セラピーに移行するのではなく,社会構成主義的な考え方に関心をもった。

社会構成主義では,社会は多元的で多様性があることが前提となる。そのような多様性の中で一人ひとりが個性的に生きることはできないかというナラティヴ・セラピーの考え方が,一人ひとりのキャリアを支援することにつながる。多数派の人たちが少数派の人たちを外すのではなく,少数派の人たちの生き方の物語を聴こうということが,オーストラリアで発祥したナラティヴ・セラピーの原点。そのように多様性を認める社会構成主義の考え方が,自分らしく生きる,自分の特性をどう生きるかということにつながる。

私はオーストラリアにナラティヴ・セラピーの勉強に行った。オーストラリアの人は,植民地支配をして先住民の生き方を潰したことに今も罪悪感を持って生きている。ヨーロッパからオーストラリアに入った人々は,アボリジニーと呼ばれる先住民を文化の遅れた人として,親子を離し,子どもたちだけにヨーロッパの教育をしようとした。私が研修に行った時にも,ナラティヴ・セラピーの研修に参加している人の中に,アボリジニーの親探しを手伝っているソーシャルワーカーがいた。

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6.自分の物語を語り直すということ

ナラティヴ・セラピーの提唱者であるエプストンとホワイトは,先住民の生きた物語を再構成する必要があると考えて,彼らの語りを聴くことから始めた。その考え方は,今では,カウンセリングを受ける人たちに適用されている。カウンセリングを受ける多くの人々は,少数派で,あなたは社会の一員ではないと言われているような状態に置かれているからである。ナラティヴ・セラピーは,一人ひとりが,自分が小さいときにどういう思いをしながら,誰を見習いながらどんな生き方をしてきたかを思い出すことから始まる。過去がおかしかったのでそれを変えようとするのではなくて,過去をきちんと現在の生活に生かそうという,掘り起こしをやる。
(参考書:ホワイトら『物語としての家族』https://www.kongoshuppan.co.jp/book/b514891.html

──家族療法では,外からシステムを分析して変えていく方法もある。しかし,平木先生が考える家族療法は,そうではない。システムの中に入って,セラピストも一緒に関係をつくっていく,あるいは一緒に語り直すことが先生にとっての家族療法だったのだと思う。そこから自然にナラティヴに移っていきますね。

そうです。自然だった。その人が語ることが,その人らしさとか,その人のオリジナリティを活かすということにつながる。家族もナラティヴも,その人が個人として持っている特性やその人らしさを生き生きと活かすために役立つ。社会の中に自分をどう語っていくか,どうすれば他の人と共に生きていけるのかを支援する。オーストラリアのナラティヴ・セラピーは,特にそういう傾向がある。私にとっては家族療法とナラティヴ・セラピーがスッとつながった。

──家族の物語を生きることと,それぞれの社会の物語を生きることは,そんなに差はないわけですね。

差はないし,オーストラリアに行って特に感動したのは,最後に,その人が自分の物語をどう生きるかが見えてきたとき,必ず家族や仲間を呼んで,その人の物語がこうなったから皆さん仲間に入れてあげてくさいという儀式をする。要するに,もう一度その人の物語を語り直して,家族や仲間がそれを理解するということをして,アウトサイダーウィットネス*をつくる。最後にアウトサイダーウィットネスをしっかりつくることでその人が再び少数派に戻ってしまうかもしれない危険性も防ぐ。オーストラリアのナラティヴ・セラピーは,最後にいろいろなセレモニーをする。たとえば,「私はこういう人間になりました」という講演をする場をつくったり,それを「ビデオに撮って,皆に見せてよいか」と尋ね,私たち研修の参加者に見せてくれたりする。

*アウトサイダーウィットネス:外部の証人の意味で,ホワイトらのナラティヴ・セラピーでは,治療者らはクライエントの人生の証人と位置付けられている。

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◇編集長・発行人:下山晴彦
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