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15-1.一緒に取り組もう!仕事の困り事

(特集 繋がろうよ!心理職)
慶野遥香(筑波大学助教)
Clinical Psychology Magazine "iNEXT", No.15

1.心理職の現場の“困り事”

皆さんが仕事をしていて,「困ったな,どうしたらいいんだろう」と思うのはどのようなときですか?

「要求が多くて,対応の難しいクライアントがいる」
「クライアントの情報共有って,どんな基準で考えればいいのだろう」
「自殺の心配のあるクライアントが,家族への連絡に同意してくれない」
「関係者に心理職のやり方を理解してもらうのって難しい」
「子どもの検査結果を伝える時に,保護者が傷つかないように言えるかな?」
「クライアントからの贈り物を受け取ったけど,よかったのか」
「同僚の行動がまずいように思うのだが,注意したほうがいいのか」
など…

一言で「困り事」と言っても,原因も対応の方法も様々です。アセスメントやスキル・専門性の問題,職場特有の事情,学校や医療など領域の風土や他職種との関係性,労働の契約に関する問題もあるかもしれません。これらの中には大学や大学院では教わる機会がなく,現場に出てから慣れていかなくてはならないこともあるでしょう。

臨床心理士資格ができてから30年,心理職の働き方はどんどん変わってきました。公認心理師制度が始まり,その変化はさらに加速しているように感じます。

若い世代の心理職にとっては,学んできたこととの違いに驚くこともあるでしょうし,経験を積んで自分の枠組みを持っている方でも,戸惑う場面もあるのではと思います。また,心理職は一人職場も多く,困ったときにすぐに相談できる相手が思いつかない場合や,もやもやしながら日々の業務をこなしている方もいるのではないでしょうか。

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2.倫理に関する「困り事」を教えてください!

そうした困り事の中には,「職業倫理」に関連するものがあります。私は,心理職の方々が倫理の絡む問題にどんなことで困っているのか,どうすればその困り事を少しでも軽くできるのか,ということに関心を持ち,研究を行っています。その一環で,現在,下記のようなオンライン調査を行っています。

私は,これまでにも,心理職に関わる倫理的困難の調査を行ってきました。様々な事例の載っているテキストもあります。しかし,私の調査の結果からは,心理職の働き方や環境が変わり,困り事の種類も変わってきています。そこで,心理職の「困り事」の最新状況を把握し,倫理的関連から皆様と一緒に解決法を探っていきたいと思っています

多くの皆様のご経験や,困り事の解決に役に立つかもしれないヒントを,研究を通して共有し,一緒に考えていきたいというのが,今の私のモチベーションであり,目標です。

ということで,ぜひ,調査にご協力ください!

心理専門職が経験する倫理的困難に関する調査

【対象】公認心理師,臨床心理士のいずれかの資格をお持ちの方
【期間】2021年2月1日~2月28日
【所要時間】20分程度(個人差があります)
【謝礼】Amazonギフト券(eメールタイプ)500円分
【調査フォーム】以下のURLからご回答ください。https://forms.office.com/Pages/ResponsePage.aspx?id=_V1bnp1m-E6yQEIpy_SoPcH2J6nKknBBvaK8gkYPttJUQTIyMDgzRlI0WERWNEwxVlRVR0JPVElPTy4u
【趣旨説明】調査に関する詳細は,以下のURLにあります。https://drive.google.com/file/d/1BhF3HMgYP0ac-rNK72yErUytv_tX7XbI/view?usp=sharing

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3.実は役に立つ倫理の視点

心理職の倫理について研究しているという話をすると,「珍しい」「なぜそこに関心を持ったの」と聞かれることがあります。

確かに,国内の心理学界隈で倫理をテーマに研究をしている人はあまりいません。実は,その始まりは,私が初めて心理支援の現場に出たときの,冒頭のような「困り事」がきっかけでした。

当時,私は大学院の博士課程に在籍していて職業倫理の勉強をする機会があり,それがこうした困り事を咀嚼し,自分なりの対応の枠組みを考える助けになったことで,「倫理って臨床の役に立つ!」と思ったのです。(もちろん,修士課程のころにも倫理を勉強する機会はあったのですが,正直,そこまでの実感を持って学ぶことができなかったのでした……。)

倫理と聞くと,秘密保持やインフォームド・コンセントなど,倫理綱領に書かれているような「守らなきゃいけないルール」というイメージを持つ方も多いでしょう。実際,職業倫理には,専門家たちに一定の行動基準を遵守するように求め,倫理違反によって対象者に被害が及ぶのを防ぐという重要な役割があります。

一方で,様々な団体の倫理綱領を読むとわかるように,そこには具体的なことはあまり書かれてはおらず,「じゃあ,今は結局どうしたらいいの?」と迷うこと(倫理的ジレンマ)も起こります。

でも,「なぜそれらが私たちの守るべきルールになっているのか」,「私たちはどういうことを大事にして支援を行っていく職種なのか」という,倫理的レベルまで考えを深めていくと,「困り事」を見る視点が一つ増えて,多角的に状況を理解することができるようになります。また,問題解決のためにクライアントや関係者と話し合いをする際に,倫理の枠組みを使って自分の判断の根拠について説明することもできるようになるのです。

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4.「正しいか正しくないか」を乗り越える

先ほど述べた倫理的ジレンマとは,複数の倫理原則が対立して一義的に正解を導けない状況のことです。例えば,日本臨床心理士会倫理綱領第2条秘密保持の第1項には,「業務上知り得た対象者及び関係者の個人情報及び相談内容については,その内容が自他に危害を加える恐れがある場合又は法による定めがある場合を除き,守秘義務を第一とすること」とあります。

では,うつ状態にあるクライアントが「死にたい」と言ったとき,「自他に危害を加える恐れがある」と判断してよいでしょうか? 守秘義務を優先して思わぬことがあった場合,責任を問われることになるでしょうか?

このように,「秘密を守る」という原則と,「無危害」つまりクライアントを危険から守るという原則とのジレンマがあり,どちらかを優先しようとするともう一方を十分に満たせないので,判断に迷うのです。

学校領域の情報共有における学校側の安全配慮義務のように,心理職の倫理原則とは異なる要因が絡む場合もありますが,そこでどのようにバランスを取るかを考えるときには,「仁恵」つまり対象者である子どもにとって利益になるかどうかや,子ども自身の「自己決定権」をどう考えるかといった倫理原則も関わってくるでしょう。

このように,倫理的ジレンマ状況では,どうするのが正しいかを一義的に決めることができません。

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5.倫理的ジレンマに気づく

クライアントの状態や希望,周囲のサポート,心理職の技量やスタイル,職場環境など様々な要因のちょっとした違いで判断が変わってきます。また,「正しいかどうか」「問題になるかどうか」という二者択一の問いの立て方では,対応の選択肢も視野も広がりませんし,失敗を避けるような防衛的な選択をしてしまいがちです。近年,欧米の国々では,このような選択はむしろクライアントの得られる利益が小さくなる恐れがあるということも指摘されています。

そこで必要になるのが,倫理的ジレンマの存在に気づくことと,「対立する倫理原則をなるべく両立するために何ができるか」という問いです

希死念慮のあるクライアントの場合,「家族や医師に伝えるか伝えないか」ではなく,「自殺のリスクを回避することと,クライアントのプライバシーや信頼を維持することをどう両立するか」と考えることで,リスクアセスメントを丁寧に行うことはもちろん,「誰に何をどのように言うのなら,クライアントの希望に近くなるか」「他に対処できる現実的問題はないか」と考えが広がります。

また,最終的にやむを得ず第三者に状況を知らせるのだとしても,「希死念慮があるから家族に知らせる必要がある」と一方的に告げるのと,「何とかあなたが自殺しなくてすむように,できることを一緒に考えたい」と粘り強く話し合うのとでは,信頼関係への影響も違います。前者のように簡単に判断してしまうのではなく,倫理ジレンマのバランスポイントを探り,クライアントとも十分な話し合いを持つこと(これも,自己決定権の尊重の原則に則った対応です)は,介入という観点からも重要と言えるでしょう。

6.日々の臨床をよりよくするために

倫理の視点は,困り事への対処や違反の防止だけでなく,日々の支援をよりよくするのにも生かすことができます。例えば,「自己決定権の尊重」に関して,支援にあたってインフォームド・コンセントを行ったり,同意書にサインを求めたりする機関も多いかと思います。

もちろんこれは望ましいやり方なのですが,一般に,インフォームド・コンセントが成立するには,①対象者に同意能力があること,②十分に説明を行うこと,③対象者がその説明を理解すること,④自由意志で同意することが必要と言われています。この観点から見直してみれば,同意書の文言や手続き,口頭での補足の仕方にもっと工夫できる点が見つかるかもしれません。

「相手を尊重する」という倫理原則も,それだけ聞くと当たり前のことのようですが,日々のちょっとした態度や言葉遣いに姿勢が表れると感じることがあります。

駆け出しのころ,あるカンファレンスで10代後半のクライアントを「この子が」と何気なく言ったときに,スーパーバイザーから「本人の前でなくてもこの子と言ってはいけない,この生徒と言いなさい」と注意を受けたことがあります。今,大学生の支援をしていて,自分が相手に相対する姿勢や心構えを振り返るときに,しばしば思い出す経験です。

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7.「つながり」で困り事の解決へ

職業倫理は,ぱっと聞くと正直小うるさい,面倒だけど知っておかないといけないこと,というイメージを持たれがちなように思います。しかし,実践と結び付けながら学ぶと,新たな気づきや視点を与えてくれたり,ジレンマ状況でのもやもやした不安や不全感を整理して判断の方向性を与えてくれたりする,心強い味方になってくれます。

もう一つ,困り事を乗り越えるのに重要だと考えているのは,心理職同士の“つながり” です。倫理的ジレンマ状況における意思決定の枠組みでも,周囲の同僚やスーパーバイザーに助言を求めることが推奨されています。ただ,困り事が起きた時に誰かに相談するためには,日頃からの信頼関係を伴うつながりが必要ですし,そのつながりでちょっとした疑問や問題意識を共有することも,困り事への対処や予防に役に立つことでしょう。

改めて,先ほどご紹介した調査に答えていただき,心理職の現場で倫理の絡むどのような「困り事」が起きているのかをぜひ教えてください。

そして,4月に以下のような対話型シンポジウムを開催し,回答していただいた方の声を共有して,「似たような事例に自分はこんなふうに対応している」「自分の領域にはこういう特徴がある」「では,心理職の倫理としてどんなことを大事にしていけばよいか」「倫理的実践のために,どんな仕組みを作っていったらよいのか」といったことを,率直に話し合う機会を作りたいと考えています。

【対話集会型シンポジウム】
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心理職の日々の困り事を見直そう
――倫理的視点を切り口に――

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4月11日(日)13:00~16:00 Zoomによるオンライン開催
金沢吉展(明治学院大学)/慶野遥香(筑波大学)


内容:
心理職の様々な困りごとを,職業倫理の視点から見直してみませんか。
第一部では,明治学院大学の金沢吉展先生に倫理的実践のための知識と考え方をご講義いただき,現在実施中の調査の結果をご紹介します。
第二部では,倫理のかかわる具体的なテーマ(情報共有,クライアントとの距離感,など)を切り口に,参加者同士で議論を深めます。困りごとに翻弄されずに業務を行っていくために必要な知識やスキル,心理職同士の「つながり」についても話し合いたいと考えています。
参加費:無料
参加条件:以下の双方に当てはまる方
・公認心理師または臨床心理士の資格を所持していること。
・上記「心理専門職の経験する倫理的困難に関する調査」にご回答くださること。
募集方法:調査にご回答いただいた方に,3月初めにメールでお知らせします。

こうした話し合いの場を設けることの意義は,有益な情報が交換できるだけでなく,問題意識の共有が安心や励みになるという,心理的な効果をもたらすことです。

心理職同士が互いにつながって助け合える場所やコミュニティを,もちろん既に持っている人も多いでしょうが,一つでも増やしていければと考えています。それは,私たちが明日の仕事を安心して行っていくのに大事なことですし,支援の質を高める助けにもなると思うのです。

(記事デザインby 原田 優(東京大学特任助教))

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Clinical Psychology Magazine "iNEXT", No.15


◇編集長・発行人:下山晴彦
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