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8-1.心理職は何を目指してスキルアップをするのか

(特集 今!現場で必要な心理職の技能)

下山晴彦(東京大学/臨床心理iNEXT代表)

1.心理職は何を目指すのか

現在の日本において心理職の活動モデルを共有することが益々難しくなっています。公認心理師の制度が導入されたことの影響は甚大です。「公認心理師」モデルは,これまで主流であった「心理臨床学」モデルとは明らかに異なっています。そのため,心理職は共通するモデルを持てずに,スキルアップの方向性に混乱が生じてしまっています。

公認心理師導入の影響を受けているのは,大学や大学院で心理職を目指している学生だけではありません。現場で経験を積んできている現任者も,どのような目標をもって心理職のキャリアアップを目指してくのがよいのかについて方向を見失っています。

もともと日本では,カウンセリング・モデル,フロイト・モデル,ユング・モデル,動作法モデル,行動療法モデル,家族療法モデル,ブリーフセラピー・モデル,認知療法モデル等々というように,心理療法の学派によって心理職の活動モデルが異なっていました。その結果,心理職が一つにまとまることができないでいました。そこに,新たに公認心理師制度が導入され,さらに混乱が生じることになりました。現実には,混乱というよりは分裂や対立となっています。それは,公認心理師の職能団体が分裂し,競合する現状にも表れています。残念なことです。

2.公認心理師カリキュラムの現実

公認心理師は,学部卒でも試験を受けられる仕組みになっています。これは,心理職の国家資格としては世界でも稀なる低学歴の資格です。欧米の心理職の国家資格は,博士課程修了が普通です。世界標準からするならば修士課程修了が最低限です。

このように学部卒で受験できるとしているので,基礎心理学に加えて各分野の実践心理学の多種多様な学習を学部カリキュラムに詰め込んでいます。さらに問題なのは,公認心理師を保健医療,教育,福祉,司法犯罪,産業労働の5分野にわたる心理職としたことです。

この5分野では,心理職の活動の内容が相当に異なっています。欧米諸国では,そもそも5分野の専門性が異なっており,大学院の教育課程も異なっています。それほどまでに,心理職の活動内容は,この5分野で異なっています。それにもかかわらず,公認心理師では,心理職の活動を保健医療,教育,福祉,司法犯罪,産業労働の5分野をカバーすることにして,それらの異なる内容を公認心理師の業務としてひとつにまとめてしまいました。そして,学部カリキュラムに,実体のない実践心理学の5科目「健康・医療心理学」「福祉心理学」「教育・学校心理学」「司法・犯罪心理学」「産業・組織心理学」を組み込んでしまいました。その結果,学部カリキュラムは満杯の寿司詰め状態となりました。

しかも,大学院カリキュラムでは,5分野での現場実習を中心に据えています。そのため,心理職の基盤となる共通の活動モデルがないまま心理職を量産する教育課程となっています。その結果,大学でも大学院でも心理職の基礎技能教育が適切に行われる余地がなくなってしまっています。

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3.「公認心理師」試験の後遺症

公認心理師試験は,技能試験や面接試験がないマークシート式試験です。受験生は,医療職や行政職の要望で加えられた医学的知識や行政的知識を含む多量の知識を覚えるだけで精一杯です。私自身も40年ぶりに老体に鞭打って受験勉強をしました。その過酷さに老体はかなり傷みました。歯を食いしばって受験勉強をした後遺症で,今も歯医者に通っています。

このような公認心理師のカリキュラムや試験の影響は甚大です。詰め込みカリキュラムで心理職としての基本技能の訓練は,ほとんどできていません。そのような影響は,学生や若手心理職だけではありません。現任者も,公認心理師の講習を受け,試験勉強をする経験を強いられています。

中堅以上の心理職は,現任者講習会や公認心理師の受験勉強を通して多少の洗脳的影響を受けて,これまでの臨床経験で得た心理職のモデルとの間で認知不協和が起きてきている可能性があります。これまで多くの心理職は,フロイトやユング伝来の伝統的な心理療法モデルに従って,個人心理療法の技を磨いてきました。ところが,公認心理師の到達目標として俄に「連携」が重視されるようになりました。しかも,「主治医の指示の下での連携」が規定されました。これだけでも,脳震盪を起こしそうな変化です。また,伝統的心理療法モデルから,公認心理師の到達目標となっている科学者-実践者モデルへの移行においても認知不協和が起きて当然です。多くの心理職が“自立”神経失調症になってもおかしくない,厳しい状況です。

冒頭で指摘した心理職のスキルアップの混乱や目標の喪失は,このような公認心理師試験の後遺症と見ることができます。

4.コロナ禍で躓(つまず)く心理職

心理職の混乱に輪をかけるようにコロナ禍が起きました。多くの国民が引きこもりを余儀なくされ,コロナストレスによるメンタル不調も多く出現し,心理支援のニーズは高まりました。コロナ感染者や,その関係者の心理支援も必要となっています。しかし,閉じられた面接室(あるいはグループ室やプレイルーム)において,対面の密なコミュニケーションをする心理職の仕事は,(医療施設内での実践を除いては)自粛せざるを得ませんでした。

心理職は,コロナ禍にある人々の心理支援ニーズがあっても,為す術がありませんでした。オンライン心理相談も試みられています。
https://note.com/inext/m/m63d8f48473e8
しかし,十分な広がりは見られていません。むしろ,心理職は,コロナ禍によって,伝統的な心理療法モデルの限界に直面させられて自信を失っているのが現実です。

伝統的な心理療法モデルは,密なコミュニケーションに基づく信頼関係を前提とします。そのような関係の形成はオンラインでは難しいともいえます。では,どうしたら良いでしょうか。ウィズコロナの時代において生じるストレスに対して,リラクセーションなどのコーピング方法などを教えるだけでよいのでしょうか。

日本の心理職は,公認心理師導入で正面パンチをくらい,コロナ禍で足元を掬われて,かなりフラフラした状態になっています。倒れないために何が必要でしょうか。

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5.公認心理師の,その先へ

結局,心理職の多くは,「心理職とは何か」「どのような働き方のモデルがあるのか」というロールモデルを持てないでいます。どのような心理職を目指して,熟達化し,キャリアアップをしたらよいのかについての共通のモデルを見失っています。そのため技能教育がうまく行っていません。これは,心理職全体の課題です。深刻な問題です。

公認心理師の導入は,教育課程で学ぶ学生よりも,むしろ現職の心理職の中にも混乱や不安をもたらしました。これまで多くの伝統的な心理職は,まずは心理療法のプロである「心理臨床家」を目指して「技(わざ)」を磨くことを目指しました。そして,その「技」を自らの活動分野で活かしていくという発想でした。ところが,公認心理師が導入されて,最初から分野ごとに必要な知識と方法が分化する方向が示されました。

そうなると統一した心理職のロールモデルが見失われます。しかも,各分野で期待される公認心理師のあり方としては,医療職や行政職の指示の下で働く「実務者」が想定されています。公認心理師は,専門性よりも実務性が期待されているのです。だからこそ学部卒でもよいとされているのです。これは,日本の心理職が専門性の発展を目指す上では非常に深刻な問題です。心理職が自らの専門性を高めるためのロールモデルを持てないでいます。それをどう乗り越えて心理職の専門性を高めていくのが重要な課題です。

そこで,今必要なことは,公認心理師の限界を越えて,現場から新しい心理職のモデルを創っていくことです。お上から与えられた(押し付けられた)公認心理師の,その先に進むことです。そのために現場の心理職の皆様の声を聴き,現場のニーズに即した新たな心理職モデルを生成し,心理職が専門職として発展していくのに必要な技能訓練の場を提供していくことです。

本号では,その第一歩として,若手,中堅,そしてベテランの心理職にインタビューをして新しいモデルと必要な技能を検討します。そして,心理職のスキルアップ,キャリアアップに必要な技能研修の場を提供することを試みます。

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第8号
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