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19-5.パラレルワールドを巡ってエピローグへ

(特集 伊藤絵美先生との対話)
伊藤絵美(洗足ストレスコーピング・サポートオフィス所長)
下山晴彦(東京大学教授/臨床心理iNEXT代表)
Clinical Psychology Magazine "iNEXT", No.19


〈研修会のお知らせ
糸井岳史先生online事例検討・研修会
テーマ「知能検査の結果分析とフィードバックの方法」

【スーパーバイザー】
糸井岳史(路地裏発達支援オフィス)
【指定討論】高岡佑壮(東京発達・家族相談センター)
【日時】7月25日(日)9時~12時
【方法】Zoomによるオンライン・セミナー
【内容】知能検査(WAIS)を実施と,その結果を適切にフィードバックする際の要点について,事例検討を通して糸井先生が解説する。
【参加費】
・臨床心理iNEXT有料会員(無料)
申し込み⇒https://select-type.com/ev/?ev=GA-h57NeC5Y
・上記以外の方(3,000円)
申し込み⇒https://select-type.com/ev/?ev=TDYWgi1ho-I

1.専門性としての“アカウンタビリティ”

[下山]最近,私は若手心理職と話すことが多くなっています。その中で伊藤先生の著作を読んで「こういう心理職になりたい」と思って心理職を目指し,資格をとって臨床現場に出たら「検査ばかりやらされている」という話を聴きました。ある福祉関連の機関では,大学院でウェクスラー式知能検査をしっかりと学んできたのに,田中ビネー式知能検査でなければダメということで,ゼロから練習をしているという話もありました。

このように若手心理職は,5分野のいずれかの職場で仕事を得たとしても,その職場が決めた限定的作業の実施を求められる。そのような事態に直面し,「自分は心理職として何を目指していたのだろうか?」,「心理職の専門性とは何なのか?」を改めて考えるという。このような現実を踏まえて,改めて伊藤先生が考える「心理職の専門性とは何か」を教えていただければと思っています。

[伊藤]それは,下山先生の本によく書かれている「アカウンタビリティ」だと思う。具体的には,「利用者,ひいては社会に対するアカウンタビリティ」です。他の専門職においては「自分ができることはこういうこと」,「自分がやっていることにはこういう基礎的な知見がある」ということを説明できることが専門性の基本となっている。他職種では,それがないことはありえない。専門職とは一生学び続けること。だから,心理職も「心理学を学びつつ,求められることに答えつつ,自分ができることを説明すること」が必要であると思う。

[下山]そのアカウンタビリティの中に,たとえば心理臨床モデルに基づく説明があってもよいということですか。

[伊藤]One of themでそれがあってもいいと思う。精神分析的なものがいわゆる科学的な意味でのサイエンスかというと,うーん,わからない。でも,脈々と引き継がれている体系的な学問であると思う。勉強不足だから詳しいことはわからないけど,長年に積み重ねられてきた,人間に対するものの見方として否定するつもりはない。スキーマ療法も精神分析の考え方を借りてきて取り入れている。そういう点で精神分析もアカウンタビリティがあると言えるのではないかと思う。

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2.アカウンタビリティを巡る疑問

[下山]わかりました。そこで,私はいつも疑問に思うことがあります。私自身は,大学院ではクライエント中心療法で学び,現場に出て精神分析のスーパービジョンを受けた。しかし,臨床の現場では個人心理療法だけでは対応できないと痛感し,家族療法やコミュニティ心理学の方法を用いて現実的な対応をしてきた。今振り返って見ると,その頃に実際にやっていたのは対人関係のコンテクストを重視した行動療法的介入だった。

30歳代半ばで大学の教員になって,現場で役立つテキストがないことに気がついた。カウンセリング,ユング派心理療法,精神分析といった,内省を前提とする個人心理療法の本ばかりだった。そこで,1990年代に米国や英国の,数多くの大学院を訪問し,どのような教育や訓練をしているのかについて聞き取りをした。

それらの大学院において重視されていたのは,認知行動療法でした。カウンセリングを専門とする大学院でも,認知行動療法を積極的に取り入れていた。実際に役立ち,利用者の評判もよく,さらにエビデンスがあるということが理由だった。さらに,エビデンスがあることで,医療機関や行政サービスにおいて認知行動療法が正式に採用されるようになっていたことも重要なファクターになっていた。

その当時の日本の心理職業界では,国家資格化は悲願であった。私が英国や米国の大学の状況を調査したのも,国家資格化に向けて役立つ情報を収集するという,日本臨床心理士資格認定協会の依頼を受けてのことでもあった。私は,国家資格を求めるならば,利用者(国民)にも,行政(政府)にも心理支援のアカウンタビリティを示さなければいけないのは当然のことと思った。そこで,私はそのことをいろいろな場で伝えるようにした。さきほど伊藤先生が,私がアカウンタビリティを強調していたと言われたが,それはその文脈であった。具体的には,有効性のエビデンスがでている認知行動療法を活用すること,そして有効性を示す実証研究を進めることの重要性を強調した。

しかし,当時の多くの心理職は,そのようなアカウンタビリティを示すことには,ほとんど関心を示さなかった。心理臨床系の心理職の皆さんは,そのような心理職の活動のアカウンタビリティを示そうとする動きに対しては,むしろ反発を感じておられるような印象さえもった。

私としては,心理職のような新種の専門職が社会システムにおいて専門資格を得るためには,アカウンタビリティを示すことができる方法を積極的に採用することは必須であると考えた。諸外国で心理職が国家資格として採用されている経緯を調べれば,それはすぐわかることである。しかし,日本においては,それが全くと言っていいほど理解されなかった。それは,不思議でならなかった。

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3.心理職業界におけるパラレルワールド

[伊藤]私も不思議に思います。誰かがなぜそうなるのかを研究してくれないですかね?

[下山]もう20年前になりますが,英国で日本の現状を説明したら,「日本の大学の先生は英語を読めないの?」「どうして世界の臨床心理学の現状を知らないの?」と,逆に尋ねられた。確かに,日本にはそのような情報入って来にくいということがある(笑)。少なくとも臨床心理学については,日本では長いこと鎖国状態にあったといえる。

[伊藤]そうですよね~。そういう意味ではパラレルワールド的な感じがしますよね。東畑開人先生とやりとりしていると,同じ心理職を専門としている人として対話しているかどうかがわからなくなってくる。

[下山]パラレルワールド,確かにありますね。私は,若い頃,夢分析や箱庭を熱心に勉強し,実践した。河合隼雄先生や山中康裕先生にも直接指導を受けた。だから,“心理臨床”の世界は,好きだし,尊敬もしている。日本文化という点では,“深層心理”や“寄り添うこと”が大切ということもよく理解できる。しかし,それとは別に,心理職が社会制度の中で専門職として地位を確立するためには,社会的に認められるアカウンタビリティが必要であると思う。しかし,日本の心理職の中には,「社会制度としての外的世界の論理,たとえばアカウンタビリティが重要である,そのためにエビデンスが必要である」といった論理をあまり重視しないグループもある。結果として,日本の心理職業界には,パラレルワールドが存在してしまっている。

[伊藤]私,コロナ禍の日本の状況を見ると,同じようなパラレルワールドを感じている。エビデンスベースとは別の何かで動く。こう思いたいからこうなのだという人たち。「日本は特別な国だから感染率が低い」という考え。それと似ている。世界を見たらこうなのに,なぜそちらに行ってしまうのだろうかと思う。

[下山]自主性に任せて,問題をコントロールしていない。

[伊藤]そう。それでかえってひどいことになる。

[下山]そして,誰も責任とらない。

[伊藤]すごく日本的ですよね。サイエンスでは動かない何かがそこにある。

[下山]なるほど。それを伊藤先生はすごく感じており,そこを探るために藤山先生と対談したのかと思った。一見適応できたとしても,心の中に深い闇があり,早期体験を扱う必要があるとなったとき,通常の認知行動療法では対応できない。その心の深層レベルの部分をスキーマ療法で扱っていくと,日本人特有の世界が見えてくる。

スキーマ療法で扱う早期体験の世界は,深層心理を好む心理臨床の皆さんが大切にするパラレルワールドかもしれないと,私は推測した。日本人は,そのような心の深いレベルの世界を持っており,それがユング派心理療法や精神分析が日本に残っていることと関わっているのではないかと考えています。そのパラレルワールドをユング派や精神分析の人たちが担おうとしている。そして,スキーマ療法もその部分を扱おうとしていると,私は勝手に推測したわけです。

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4.パラレルワールドではない藤山直樹先生との接点

[伊藤]精神分析系の皆さんは,通常の認知行動療法は無視できるけれども,スキーマ療法は無視できないということはあるようです。ただ,藤山直樹先生との対話が成立したのは,精神分析だったからではない。藤山先生だから対話ができたという面がある※。

※藤山直樹・伊藤絵美(2016)『認知行動療法と精神分析が出会ったら:こころの臨床達人対談』(岩崎学術出版社)
http://www.iwasaki-ap.co.jp/book/b245375.html

あれは藤山先生とだからわかるんですよね(笑)。藤山先生の個性が魅力的。私のオフィスのスタッフと藤山先生とで勉強会をして,富士急ハイランドで“フジヤマ”※というジェットコースターに乗った(笑)。スタッフも含めて,とても楽しい経験でした。

※参考:「おうちで富士急」FUJIYAMA
https://www.youtube.com/watch?v=Yb0RsBuc2pg

[下山]そうなると,藤山先生との共有は関心があるけど,それ以外のパラレルワールドはあんまり関心がない?

[伊藤]いや,でも藤山先生を通じて,精神分析の著作を読んで学ばせてもらった。そしたら,精神分析に違和感がなかった。そのことには自分でも驚いた。サイエンスとは違う切り口だが,人の心に迫る領域として,何かを発展させていることを感じた。藤山先生の使う言葉を私は使わないけど,そこは理解できる感じがある。

[下山]その共有できる何かはどのようなものですか?

[伊藤]多分藤山先生のアイデンティティも職人。

[下山]それはそう。真剣勝負の職人。一人で向かい合ってやるという世界。

[伊藤]そうです。開業の話でも,藤山先生は一人開業。藤山ワールドがある。すごく濃厚な世界。先生のオフィスに伺ったときに,ここでこのカウチに寝そべって自由連想するんだなと思った。一方私は,一人ではなく仲間とやりたくてオフィスを運営している。開業って怖いじゃないですか。私は複数のスタッフとディスカッションしながらやるほうが安心。

[下山]でも,真剣勝負というところでは,伊藤先生と藤山先生は響き合う?

[伊藤]それはある。あと藤山先生はナルシシストではない。お話ししていると,「精神分析家である俺」は出てこない。精神分析とは何なのかにフォーカスしている。ある種の分析家の人はナルシシストというか,クライエントよりも,それを扱っている自分とは何か,ということに興味があるように感じることが多い。そう感じると私は萎えちゃう。

[下山]なるほど。藤山先生のお人柄は,私も多少は知っている。自分がやっていることを少しでも極めたいというお気持ちが強い先生だと思っていた。

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5.スキーマ療法と“心理臨床”のすれ違い

[下山]私の憶測は間違いでした。日本人の深層に関わるパラレルワールドを媒介として精神分析とスキーマ療法が出会うこともあるかもしれないと,勝手に推測した。そうであれば,精神分析を学んだ人がスキーマ療法は学びやすいのかと思ったりした。そういうことはないのですか?

[伊藤]それはないですね。このゴールデンウィークに国際スキーマ療法協会に認定された専門家育成用のスキーマ療法のワークショップをしたのですが,興味をもつ人は認知行動療法を学んでいる人たちばかり。やはりスキーマ療法と精神分析はパラレルワールドですね。ある学会のシンポジウムで精神分析の人たちは,「精神分析は時間がかかるからエビデンスを出せない」と言っていた。でも,今はスキーマ療法は時間をかけながらも,エビデンス出し始めている。「(長くかかっても)エビデンス出始めているぜ」と言いたい。もちろん精神分析の領域でも同様に時間をかけて臨床研究をしてエビデンスを出し始めていることは知っている。とてもシンパシーを感じる。

[下山]スキーマ療法に役立つということで,精神分析など心理臨床の人たちが伊藤先生のところに学びに来ることはないのですか?

[伊藤]ないですね。海外でもあまりないみたいです。たまに心理力動系の人が学びに来ることはあるようですが,基本は認知行動療法とかEMDRとかをやっている人がスキーマ療法を学びに来ます。

[下山]それって何でしょう。例えば,スキーマとは内的対象関係と近い概念ではないと思いますが,そこが行き来することはないですか?

[伊藤]ないと思う。スキーマ療法は,認知行動療法と同じで実証研究とロジックに基づくモデルを作りたがることを大切にしている。実証性とそれに基づくロジックを大事にしている。でも,心理臨床の寄り添い系の人は,実証的なロジックを重視しないように思われる。人の心は,データやロジックで説明しきれないところにあると考える。わけのわからないものを抱える手助けをするのが心理職だとなる。見ているところに共通点はあるけど,方法論はまるで違う。

[下山]確かに認知行動療法は論理で考えて説明することを大切にする。それに対して心理臨床系の人たちは,考えるよりも“寄り添う”ことや“通じ合う”ことを重視する。思考よりも情緒的なものを優先する。

[伊藤] “魂”ですよね。

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6.「建前」と「本音」のパラレルワールド

[下山]話題は変わりますが,今私はアバターを使った心理相談を開発し,実践を開始している※。いよいよ下山もキワモノに手を染めたと思われるかもしれない。でも,これが面白いんです。利用者は,会社員で働いている人たちです。そのような人たちが,アバター相談では普段人には見せない内面を最初から出してくる。それに驚いています。
※『双方向アバター活用の心理相談サービス「KATAruru(かたるる)」の開発と実装』
https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/press/z0110_00002.html

通常の対面の心理相談では,クライエントは「眼の前にいる心理職は自分のことをほんとうにわかってくれるか」ということで,様子を見ながら近づいてくる。認知行動療法は,そのような時に心理教育などを用いて丁寧に協働関係を作っていく。ところが,アバター相談だと,自分がアバターに隠れて守られている分,逆に最初から自分の本音を出してくる。このアバター相談の経験から,“建前”と“本音”,“表”と“裏”のギャップに驚く。これは,日本人の特徴だと思う。まさにパラレルワールドがそこにある。

日本人は,「建前」は大切にしながら,言葉にならない気持ちを心の内に溜め込んでいる。本音を出すこと我慢して,心の奥深くに押し込んでいる。それで,今は土居健郎先生の『表と裏』を読んでいる※。

※)土居健郎(1985)『表と裏』弘文堂
https://www.koubundou.co.jp/book/b156660.html

スキーマ療法は,その本音の奥深くの闇の部分にある,言葉にならない苦しさを上手に整理していく方法だと思う。日本人は,その表と裏のパラレルワールドを使い分けて生きている。ユング派や精神分析を好む心理臨床の人たちは,裏のパラレルワールドを大切にし,そこをクライエントと共有しようとするのだろうと思ったりする。

日本で心理支援をする場合,表だけでなく,裏の部分を無視できないと思う。だから,表面的な適応だけでは済まない。言葉にならない,本人も意識できない我慢や傷つきをどのように扱っていくか。その点で通常の認知行動療法だけでは限界があると思う。では,心理臨床の方法で本当に改善できるのかとも思う。

[伊藤]だから,私はスキーマ療法をやっているのだと思う。認知行動療法でも感情を扱う。しかし,スキーマ療法は,感情を扱う度合いが高い。それは建前を越えて,本音の奥深くにある感情。

[下山]そうですね。スキーマ療法は,建前から本音の奥深くにある感情がどのように構成されているのかの設計図をもっており,それを手がかりにしながらパラレルワールドに入っていくというイメージがあります。

[伊藤]自分の中のわけのわからない思いを見ていくツールとして良くできていると思う。多分アバターで起きていることとあまり変わらないと思う。

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7.「現実」と「仮想」のパラレルワールド:オンライン相談の可能性:

[下山]ただ,アバター相談は,心の奥深くに進んではいけない。クライエントも心理職もお互い仮面を被ってコミュニケーションをしている間柄なので,現実的な信頼関係は作れない。だから,心の奥深くに分け入っていくのは危険であると考えている。自分の本音に気づき,それを表現する練習のツールとしては役立つ。

オンライン相談の可能性と限界がそこにある。アバター相談をやっていて思うのだが,人間が本当の意味で変わるためには,現実に直面しないといけない。ところが,アバター相談は,表を隠しながら本音を言うというもの。そこが限界ではないかと思う。変化のためには自分に直面し,現実場面でチャレンジする必要があるのかと思う。

[伊藤]「オンライン心理相談の最前線」を特集した『精神療法』誌※のエッセーでは,「オンラインの限界」を書いた。しかし,最近は,オンラインは意外といけるという実感がある。コロナ禍が続いているのでオンラインでスキーマ療法やることが増えているが,結構展開している。

※「特集 オンライン心理相談の最前線」(『精神療法』誌47巻3号)
https://www.kongoshuppan.co.jp/book/b583334.html

さきほども言いましたが,ゴールデンウィークには,国際スキーマ療会協会公認の研修を実施した。集合研修でやるはずだったものがオンラインになった。ロールプレイや体験的なワークをたくさんやる研修であったので,オンラインでやることに不安だった。しかし,蓋を開けてみると,集合研修と変わらないくらいの情緒が出てくる。最後は私を含めみんな大泣きして終わるということになった。オンラインでもここまで感情が揺さぶられる体験ができることに驚いた。つまり,オンラインでいけると知ってしまった。それで,今は対面相談とオンライン相談で効果がどう違うのかのエビデンスが欲しい。

[下山]アバターではなく,顔出しのオンライン面接の場合,顔が近くなるので表情がよく見えるといいうことで,不思議な親近感が出てくる印象がある。オンラインでは“Virtualという仮想世界”におけるコミュニケーションですが,時として“現実世界”よりも親近感が出てくるのは不思議ですね。ここにも仮想世界と現実世界というパラレルワードの絡み合いが出てくる。

[伊藤]オンライン相談だと自宅とつなぐ。一人暮らしのクライエントさんだと,自宅にいてのセッションなので断然くつろいでいる。バリバリのエリート男性がぬいぐるみを家で抱っこして話すということもある。オンラインを活用して,よそゆきの自分ではなく,自分でいられる,寛いだ状態でセッションができるのは有効だと思う。

[下山]バーチャル背景を使わないオンライン相談は,まさにその人が生活している場,多くの場合はその人が住んでいる部屋が見える。その点で,オンライン相談は,その人の生活空間に訪問するアウトリーチに近い面接になる。その場に行って生活を共有する近さがある。

[伊藤]国際スキーマ療法協会の見解は,どんどんオンラインで実施しましょうとなっている。米国はもともと広いので,オンラインは活用されていたが,このコロナ禍で一気に広がった。

[下山]スキーマ療法は設計図がしっかりしているから,オンラインにフィットするのでしょうね。

[伊藤]はい,それは確信しました。

[下山]新しい活動の展開ができそうですね。色々なお話をお聞きできて,私にとってとても刺激的でした。この私の経験を多くの心理職の皆様にお伝えできればと思います。今日は,どうもありがとうございました。

■デザイン by 原田 優(東京大学 特任研究員)
■記録作成 by 北原祐理(東京大学 特任助教)

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Clinical Psychology Magazine "iNEXT", No.19


◇編集長・発行人:下山晴彦
◇編集サポート:株式会社 遠見書房


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