私書箱の手紙

私には忘れられない人がいます。8888。この数字の羅列を見ると思い出してしまう人です。8ひとつでもふわっと思い出してしまいます。片時も忘れたことがないわけではないけれど、思い出すときのあの強い衝撃は、私があの人を忘れるわけがないのだと実感させるのです。
8888。見かけた瞬間に「覚えているはずだろ?」って茶化すような笑い声とともに話しかけてきそうです。目の前にはくしゃくしゃの笑みとなんとも言えない香りがフラッシュバックするあの感じ。そんなこと、今はないはずなのに。

とても幼い頃に、私はあの人と出会いました。同じクラスになって、席が近いとなれば仲良くなるほかありません。幼い頃ってそうでしょ?だから、私は当たり前のように話しかけたし、あの人も同じように当たり前のように話しかけてきた。
休み時間も一緒に遊んだ。帰り道は真逆だったけれど、口約束で時間と場所を言い合って日が暮れても遊ぶような仲になった。決してふたりではなかった。みんなも私と同じように話しかけて、話しかけられて、ともに休み時間を謳歌して、まだまだ謳歌しきれないと口約束を交わして遊んでいた。

それが、いつの間にか人数が減っていった。理由はわかっていた。

「あの子と遊んじゃだめよ」
「仲良くしちゃいけない子なの」

主に言っていたのは母親、父親だった。だけど、そんなこと気にするような思慮分別が、あの頃の私たちにあるわけないじゃないですか。だから、みんな気にせずあの人と遊んでいました。先生も「仲良くすることはいいことだから」と言ってたことが、最後の砦だったのかもしれません。その時の表情が朗らかだったか、いまいち思い出せないのはなんでだろうか。

そのうち習い事だの塾だのと、放課後の予定が決まりだした子は口約束を交わさなくなりました。不思議と「◯◯がいないなら」とフェードアウトしていく子も増えてきました。そうすると、休み時間の戯れも変わってきました。それは、年齢が上がったからなのでしょうか。本当の理由がわからないまま、徐々に大人に近づくにつれて、あの人と関わるのは私くらいになっていました。

両親は心配していました。母だけでなく父もです。兄もあの人と遊ぶくらいなら俺と遊んだほうがいいなんて言い出すし、妹はあの人についてありもしないことを私に吹聴してくることもありました。友人も何か変なことはなかったかと聞いてくるときがありました。
時に払うようにそれらの話を蹴散らしていましたが、肌感覚であの人は住む世界が違うのだと感じることがありました。真面目な目で黒板を見つめていると思っていたけれど、あの目は獲物を狙う鷹のような目だったこと。大人っぽい発言は、いつもどこか生死の臭いが漂っていたこと。

そのうち、私はあの人と遊ぶことが減っていきました。私は私で塾に行き始め、習い事や部活がありました。休みの日には他の友人と出かけることも。あの人はあの人で習い事をしていたようだけど、少し人と違っていました。凛とした習い事だったけれど、なんだか近づいてはならない雰囲気をだんだん纏うようになっていた。
そんな空気を纏うようになったから、遊ばなくなったわけではありません。ただ予定が合わなくなってきたから。それだけの理由と思いたいのかもしれません。

遊ばなくなっても、付き合いがなくなったわけではありませんでした。ある日、私の目の前を颯爽とバイクが通り過ぎました。びっくりしてそのバイクを目で追うと、すぐにバイクは停車。そして、ヘルメットを外したその顔はくしゃくしゃの笑みを浮かべていました。
「乗るか!」
当たり前のようにヘルメットを渡してきたあの人。しかし、私は正直さっきのスピードにも驚いてしまって強張っていました。
「それよりも、どうしたのそれ」
「買った!乗るか?」
「い……いいや、今日は」
「そっか、じゃあまたな」とまたくしゃくしゃの笑顔で颯爽とバイクに乗って去っていくあの人。そのナンバーには8が入っていました。他の数字は覚えていないのに、8がひとつ入っていることは覚えていました。あの人はよく8がラッキーナンバーだと言っていたからだと思います。

思い起こせば誕生日にも、出席番号にも8が入っていました。クラスも8組になったことがありました。バイクのナンバープレートもたまたま8が入っていたと、また会ったときに嬉しそうに話していました。これで無事故だなんてことも。その言葉を信じたかったけれど、私は怖くてあの人のバイクには1度も乗ることができませんでした。
そのうち、あの人はバイクから車に変わりました。海外製の高級車です。どこからどう見ても高いことが分かる車です。そのナンバーが8888でした。
あんな高級車には一生乗ることがないと思った私は、あの人に乗せてほしいと言ったことがあります。でも、その時にあの人は私の願いを断りました。くしゃくしゃの笑顔は変わらず、でも少し寂しそうな表情で「ごめんなぁ」と。

あの車について、もしかして自腹で買ったのかと聞いたら、
「まぁ……うん」
と、またくしゃくしゃの笑顔で答えたあの人。その表情は照れくさいものではなく、やはり寂しそうでした。私はその表情を見なかったことにして「すごいじゃん!」をとにかく連呼して褒めました。いつかまたくしゃくしゃの、素直に遊んでいたあの頃の楽しそうな笑顔を見たくて。でも、かろうじて見られた楽しそうな笑顔は、作り笑顔が入ったくしゃくしゃの表情でした。
その頃から、なんとも言えない香りがあの人からするようになりました。あの香りが香水なのか煙草なのか、それ以外の何かなのかはいまだにわからないままです。

8888の高級外車があの人の愛車になってしばらくしてから、突然の別れがやって来ました。あの人は遠くに引っ越すことになりました。
もう私たちは大人です。出会った頃に比べると連絡手段にどれだけ便利なものが溢れたことか。いつだって連絡は出来るし、会うこともできる。なので、別れの挨拶はなんともあっさりしたものでした。日常会話の延長線上のようなものでした。
「その車、持って行くの?」
「もちろん!」
「じゃあ、こっちに来るときはその車で?」
「それはどうだろうな〜?」
このときばかりは、あの人のくしゃくしゃの笑顔が素直なものに見えました。


連絡はあの人が引っ越してすぐに取れなくなりました。
教えてくれた引越し先にあの人はいませんでした。

「あの子と遊んじゃだめよ」
「仲良くしちゃいけない子なの」

あの言葉をふと思い出して、思いつく場所に行きました。妹に吹聴されたことを思い出しました。
どこかで嘘だと信じながら、どこかで本当だと思いながらも割り切った関係だからと過ごしていたけれど、あの場所で遠くからあの人を見たときに現実を思い知らされました。それは残念だったはずなのに、納得がしっくり来る気持ちでした。そう思ったことが一番悲しくて、一気に冷めた自分が嫌になりながらも安堵していました。


それから、私はあの人のことは特に思うことも、考えることもなく月日が経っています。大事な人を失ったとも言える出来事のはずなのに、そんな大きな出来事として考えることもありませんでした。
でも、8888の車を見るたびに、8が入ったナンバーのバイクを見るたびに、8という数字を見かけるたびに色濃くあの人を思い出すのです。
元気にしているのか。今どこで何をしているのか。そんなことはあまり考えずに、遠い記憶がぶわっと蘇るのです。その時、ふわっとくしゃくしゃの笑顔となんとも言えない香りも纏って。

また会いたいのかはわかりません。一度冷めてしまった自分を再び温めることはなかなか難しいことです。ただ、あの人に対する記憶のこの気持ちは誰にも共有できない。まるであの人がパンドラの箱のような存在だから。
だから、この手紙を私のパンドラの箱にしようと思います。2度と開かないために。きれいな別れにしようとしたあの人の罪と、汚い別れにしてしまった私の罪のために。
さようなら。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?