賢さとは


賢いってなんだろう。
頭がいい。それは勉強ができる、つまりは成績がいいということ。博識である。学力が相応するような気がする。

ずる賢いってなんだろう。
いきなりいいアイデアが思いつく。それは抜け道を見つけられるようなもの。容量がよかったりする気がする。

どちらも賢いと思う。生きる上で、生き残る上で身につくこと。蓄積されたそれらを発揮できるのだから。けれど、なぜ片方は「ずる」とつくのだろう。
なんとなく、賢いというと品格も上位に感じる。生活水準でいえば真ん中より上に感じる。しかし、ずる賢いというと真ん中より、もしかしたら本当に下位に感じてしまうかもしれない。

幼き頃であれば、人に関係なく賢さやずる賢さを考えていたかもしれない。しかし今、人をもとに賢さやずる賢いを判断している気がする。天才と称された人が抜け道を通ってきても「賢いな〜」と感じてしまうように。その人であればイレギュラーが最良の選択になるように。けれど、もう見上げることしかできない人間が抜け道を通ってきても蹴散らされるだけだ。ずる賢いとつばを吐き捨てられるならまだマシかもしれない。「生意気な」「それでいいと思っているのかよ」と罵倒される。
結果論で片付けられる世の中だろうと、過程を尊重する世の中だろうと、結局見ているのは地位なのかもしれない。その人の地位を見てから、結果や過程を見ているのかもしれない。

彼は生きていく中で身についた知識があった。たまたまそれが運命の選択のヒントになった。サクセスストーリーだけど、今一度考えておかなければならないことを何年も前の映画から改めて気付かされた。
最後には陽気なダンスの時間。あぁ、これは実は魅惑のインド映画だったと気付かされる瞬間まで、どうか彼の選択の時間とそれまでの時間を見逃さないでほしい。


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