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努力の前に閉ざされた扉は一つもない名言画像230

今日は
本多静六さんの言葉から


努力の前に

閉ざされた扉は一つもない

本多静六

今日の
言葉ほど
本多静六さんを
あらわしている
言葉はないかもしれない

逸話を一つ
<<首かけイチョウ>>

首かけイチョウ

日比谷公園には
多くの樹木や四季折々の花々が園内に生育し、
都会におけるオアシス的存在として多くの人々が訪れている。

「首かけイチョウ」と呼ばれるこの木は、
日比谷公園の開園とともにこの地で創業したレストラン「松本楼」のテラス前にそびえ立っている。
樹高は約20メートル、幹回りは約6.5メートルを測り、主幹は途中から2本に分かれて多くの枝葉を茂らせている。
樹齢は推定で400年以上とされ、徳川家が江戸に本拠地を移した1590年代ごろに植えられたものと推定される。

かつてこの木は、現在の日比谷交差点付近に生育していた。
1901年(明治34年)、
市区改正設計によって日比谷通りの拡幅工事が実施されることになり、
この木は伐採されることになった。
すでに払い下げ代金として49円が東京市に納付されていたため、
伐採は時間の問題であった。

その挽場に、たまたま出合わせたのが本多静六であった。
本多はこの木の窮状を放置しておけず、
東京市参事会議長星亨に面会を申し込んだ。

本多は伐採中止を強く主張し、移植については自分が引き受けると申し出た。
星は本多の主張に対して容易に許可を与えなかったが、本多は「一尺大のハンコを押して保証する」となおも食い下がり、星が「そんなハンコだけでは駄目だ」と返すと本多が「では私の首をかけよう」とまで発言した。

星は本多の主張を受け入れて、この木の伐採を中止させた。
そして納付済みの払い下げ代金は返却し、さらに移植費460円を支出して本多に移植を任せた。
調査と準備については本多が担当したが、移植を請け負う業者がなかなか見つからなかった。
4番目に声をかけた業者が、ようやく仕事を引き受けることになった。
業者はまず木の生育場所から移植予定の場所までレールを敷設し、
距離にすると約4丁(450メートル)を25日間かけて移動させた。
この逸話から、「首かけイチョウ」と呼ばれるようになった。

本多静六の
逸話は数しれず

まさしく努力の人でした。

努力の前に

閉ざされた扉は一つもない

のです。


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