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リック・シンプソンのこと

医療大麻、特に、大麻によるがん治療について関心のある人なら、リック・シンプソンという名前を一度は聞いたことがあると思います。

以前の記事で、カンナビノイドが持つ抗がん作用に関する研究は 1970年代にはすでに行われており、1975年にはアメリカの国立がん研究所が『カンナビノイドの抗腫瘍作用』と題された論文を発表したということを書きました。

当時このニュースは報道もされましたが、あまり真面目に受け取られず、揶揄的なトーンであったそうです。ところがこのニュースをラジオで聞き、そのことをずっと覚えていて、30年近く経ってから自分で高濃度の大麻オイルを作り、自分の皮膚ガンを治してしまったカナダ人がいます。それがリック・シンプソンです。

大麻草に含まれる植物化学物質を溶剤に溶かして抽出し、その後溶剤を蒸発させて作る超高濃度オイルは、一般にリック・シンプソン・オイル(RSO)と呼ばれます。(リック・シンプソンは、カンナビノイドの濃度が 85% 以上のものしか RSO とは呼ばない、と言っています。)それまでは、医療目的での大麻の摂取方法と言えば、乾燥大麻を吸うか、大麻をバターで煮出して大麻バターを作り、それを使って作ったブラウニーやクッキーを食べるのが一般的でした。そこにこの、タール状のどろっとしたオイルという形状が新たに加わったわけです。

リック・シンプソン・プロトコル

リック・シンプソンは 2003年に、自身の皮膚がんをこの濃縮オイルで治してしまいました。以後彼は、このオイルを「フェニックスの涙」と名付け、自分で作ったオイルを、必要とする人に無料で提供したり、作り方の動画を自身のウェブサイトや YouTube で紹介し始めたのです。当時 YouTube にあった動画は、溶剤(アルコール)を蒸発させるのに炊飯器の保温モードを使うなど、非常に素朴なものでした。

医者でも研究者でもない彼が作り始めたこのオイルで、がんが治ったとの報告が患者から相次ぎました。そして、患者たちの試行錯誤と、治療に成功した事例の累積の中から、次第に「リック・シンプソン・プロトコル」と呼ばれるものができていきました。非常にざっくり言うと、リック・シンプソン・オイルを、米粒 1/2 ほどの量から始めて徐々に用量を増やし、一日1グラム摂れるようになったらその用量を維持し、合計して約3ヶ月間で 60グラム摂取する、というものです。

もちろんこれは臨床試験などで検証されたプロトコルではなく、科学的な裏付けがあるわけでもありませんが、今振り返ってみると、そんなに的外れでもなかったことがわかります。今、実際にがんの縮小を期待してカンナビノイド(CBD と CBG)を使っている人は、一日1グラム前後の用量を摂ることが多いのです。ただし、2000年代に北米の市場で手に入った大麻はほぼすべてが THC 優位の品種だったので、リック・シンプソン・オイルにも基本的には非常に高濃度の THC が含まれています。それを一日1グラム摂取したわけですから、荒療治と言えばかなりの荒療治でした。

私が初めて RSO のことを知ったのは 2010年前後ですが、その頃にリック・シンプソン・プロトコルについて書かれた本が上の『Cure for Cancer: THE RICK SIMPSON PROTOCOL』です。当時リック・シンプソンと近しく活動し、RSO の普及を目指していた Jindrich Bayer というチェコ人が、シンプソン氏の許可を得てまとめたものです。実は私は二人の許可を得て、2014年に日本語化を進めていたのですが、その後、二人の関係にヒビが入り、プロジェクトは頓挫しました。

医療大麻普及への貢献

でもそれでよかったのかもしれません。10年後の今、大麻製剤の製造技術は進歩し、今では最新式の抽出機器を使って、FECO(Full Extract Cannabis Oil)と呼ばれる高濃度オイルが製造されるようになりました(ただし、通称としての RSO [リック・シンプソン・オイル] は今でも通じます)。抗腫瘍作用についても、"どの" がんに "どの" カンナビノイドが効くのかが少しずつ解明され、摂取の仕方もより洗練されています。

医療大麻の研究はこれまで常に、患者がすでに体験済みのこと、Real World Evidence の後を追うかたちで進んできました。RSO と、それを試した患者たちによって生まれたリック・シンプソン・プロトコルは、医療大麻によるがん治療の可能性を初めて示し研究に必然性を与えたという意味で、重要なものだったと思います。

RSO の存在が恩恵となったのはがん患者だけではありません。ご存知のように、ドラベ症候群という難治性小児てんかんを患うシャーロット・フィギーというコロラド州の女の子の発作が CBD でピタリと止まった、というドキュメンタリー番組が CNN で放送され、CBD が医療大麻解放戦線に一気に躍り出たのが 2013年です。子どもは大麻を喫煙することはできませんし、仮に喫煙が可能だとしても、てんかんを抑えるために必要な用量を喫煙によって摂取することは困難です。この時点で RSO の作り方が知られるようになっており、高用量のカンナビノイドを摂取する方法があったからこそ、シャーロットはカンナビノイドの恩恵に与れたのだと思いますし、シャーロットがいなければ医療大麻に対する理解の拡大は今よりずっと遅れていたことでしょう。

リック・シンプソンはこれまで、RSO を販売したことがありません。製品化を持ちかけたことがある人を私は直接知っていますが、RSO を商売に使うのを氏は頑なに拒んだそうです。

そんなリック・シンプソンは現在、東ヨーロッパに在住していますが、2018年に脳卒中を患い、その後遺症と闘うためのクラウドファンディングが継続中です。医療大麻の普及に大きく貢献したにもかかわらず、それによって富を得ることのなかったシンプソン氏の現在を考えると複雑な気持ちにならざるを得ません。もっとその功績を認識されてよい人だと思います。

氏の半生を描いた『Phoenix' Tears: The Rick Simpson Story』は日本語になっています。無料ダウンロード可能ですので、是非ご一読ください。

画像クリックで日本語版
『フェニックスティアーズ:リック・シンプソンと不死鳥の涙』
のPDFへ


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