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一本!

 今日は告白をする日だ。
 別にそんな専用カレンダーがあるわけではないのだが、自分が逃げないように週初めから決めていた。
 私はリップクリームを塗りながら、その唇を勝負に臨む時の形に結んだ。

 私は女子剣道の名門高校で主将を務めている。
 武道部の主将ともなれば、鋼のような精神を持ち、何があっても堂々としている、と思われている。
 武具を着けていない時にも頼られて同僚や後輩たちから恋の相談がかなり舞い込んでくるが、自分からはしたことがない。
 しかし私だってお年頃。相談したいネタはあっても恋の悩みを一旦開いたらたちまち無責任に面白おかしく伝播するだろう。
 学校の中より外の方がこわい。剣道のライバル校にも知れ渡ってわが剣道部の威厳にも影響が及ぶ。
 私の勝手な恋心でトロフィー一つ減らすわけにはいかない。

 で、そんな私が恋に落ちてしまった。
 男子剣道の強豪高校の主将山口くん。何と言っても強い。
 竹刀を振りおろすスピードが今までに見た誰よりも突き抜けて速い。
 技の決まった時のスパーンと明るく乾いた音にほれぼれする。
 私もあんな振りをいつかは習得したい。
 いやいやそんな話でない。恋の話だった。
 実は山口くんと一度だけ対面で話をしたことがある。
 わが校の男子剣道部の対抗試合の応援に行った時に偶然山口くんと試合会場の廊下ですれ違った。それもなんと雲の上の存在の山口くんの方から話しかけられたのだ。
「佐々木さん、ですね」
 私、佐々木だったかな、と思うくらいもう舞い上がってしまって。
 私も背が低いほうではないけど、とにかく彼は背が高い。
 男子剣道部員は彼と対戦しないといけないのか。女に生れて本当によかった。
「佐々木さんの名前はうちの女子剣道部員からも聞いていて、一度お会いしたいなと思っていました。強い強いとうわさで」
 そんな理由で、お会いしたい、んだ。。
「まあ、父親が私に言葉より先に剣道教えましたので。順番違いますよね」
 山口くんは笑って「主将務めながら自分の腕を磨くなんて大変です、これからもお互いに頑張りましょう」と言った。
 どこまでカッコいい。
 それからというもの山口くんのことがしきりに頭に浮かんで消えなかった。
 剣道に影響が出ないように、授業中にだけ窓の外を見ながら思い浮かべた。

 咄嗟にネタに挟んだ私の父は警察官。
 子どもの頃から続けているという剣道の腕には自信があるみたいで警察剣道の選手権でもそうとう上位に食い込んだらしい。
 家に帰ってからも剣道剣道。そんなに自信があるんなら銃を提げずに竹刀で犯人捕まえたらいいのに、って冗談言ったらこっぴどく叱られた。
 自分がからかわれたことを怒ったんじゃなく、剣道で冗談を言ったことを怒ったのだ。ホントわけわかんない。

 山口くんに告白すると決めた。
 一つの理由は次の大きな大会を終えたら私引退するから、多分山口くんも同じだ。
 恋人は重たいだろうからガールフレンドに立候補しようと思った。
 山口くんと仲良くなれるなら別にどちらでもいいのだが、ガールフレンドの方が山口くん首を縦に振ってくれそうな気がする。
 私は高校を卒業したら体育大学に進学して剣道の研究を続けようと思っている。幼い頃は道場まで父親にずるずる引きずられていてたけど、ずっと同じことやってたら知らない間に夢中になってた。私、自慢じゃないけど単純なの。
 先生からは県大会で上位とってるから大学受験は推薦枠で有利だと言われたけど、剣道であちこち隙を攻められてるうちに安全な話などこの世にないという思いが染みついてしまって勉強もかなり熱入れ始めた。

 山口くんの通う塾がいつも私の使う最寄駅のすぐ傍。
 だいたい何曜日に山口くんがそこに通う、まで頭に入っている。別に粘着質なんじゃなくて、たまに見かけることがあるから。
 今日は確率が高いから彼が出てくる時間に合わせてそこで待ち伏せするというわけ。
 不確定要因は山口くんが一人で現れてくれるかどうかだけど、まあその時はその時。
 塾から見て駅の反対側に公園があるからそこまで呼び出したら、あとは面でも胴でも自由にバンバン打ったらいい。
 あの山口くんがたじろいで、おいおいちょっと待ってくれよう。そんな攻めるなよ。押されっ放しだあ。とか言って、、
「おい、お前、どうしたんだよ。焦点合ってないよ」
 母さんから目の前に手をかざされ、はっと我に返って「小百合ちゃんとこに参考書返してもらいに行ってくる」と言って逃げるように家を出た。

 駅前方向に少し急ぎ足で歩きながらいろいろ思った。
 あんなもてもての山口くんに彼女のいないはずがない。
 仮にいないとしてもファンが山ほどいる。他校の私などその外周の外周。サインすらもらえないファンの一人に過ぎないのだ。
 そして、さらに高校三年受験期。
 なんとかお互い励まし合うくらいの関係でうまく大学に合格できたとしても、また離れ離れになる可能性が多分にあるのだ。
 なのに、ここまで私が突き進むのはなぜ。
 その結論を出すには駅前までの距離が短すぎた。

 塾の入っているビルを少し離れたところから探ってみる。
 この時間帯はうちの学校の生徒も通っているからいくら夜だからと言って安心はできない。
 時計を見る。九時過ぎ。もう出てきてもおかしくない。
 そうこうするうちにぱらぱらと生徒が出てきた。
 あ、山口くんだ。
 背が高いからすぐにわかる。背の高い人はこんな時便利だわ、と都合のいいことを考えた。
 私の剣道は大体いつも先手を打つ。
 で、今日もそうだ。自然に山口くんにずんずん歩み寄って、夜なのに、こんにちは~、と声をかけた。
 山口くんは、まあ当たり前だが、おやっと言う顔をして、
「あ、佐々木さん。偶然だね!この辺りに住んでるんだぁ」
「うん、生活圏なんです。自分の家の庭よりこの通りをよく歩いていますよ」
 こないだと同じように山口くんは笑った。
「もし、時間があればちょっとそこの公園まで来てくれませんか」
「構わないよ。君さえよければ」
 私の方が誘っているのに。一言一言言葉のチョイスが優しい。
 その後公園までの道は会話が途切れないように山口くんからいろいろ話しかけてくれた。
 公園の一番明るいところのベンチに少し距離を空けて掛けた。
 考えたら話すのを躊躇うに決まっているから、早速、要件から、
「山口さんは今お付き合いされている人いますか」
「いや、いないよ」
山口くんはそれが当たり前みたいな顔をして言った。
「それなら私を彼女にしてください」
 いきなり奇襲で真正面から面を打ちにいった。
 山口くん、全く驚いた顔を見せずに、むしろ、ほうっ、と思いがけず嬉しいことに遭遇したような顔を見せてくれてから、
「有難うね。とても嬉しいよ。女の子から告白を受けたのは初めてだ」
 そして続いての言葉は、だけど、から始まった。
 自分は、防衛の道に進もうと思っている。そうなると全寮制だ。
 だから、今は特定の女の子とお付き合いをすることができない。
 山口くんは笑顔でごまかさずに真剣に話してくれた。
 私の剣道の弱点は、全身全霊で打ちにいった後、少し虚を作ってしまうことだ。精神的に弱い。
 だから次の言葉が小気味よく返せない。
 山口くん、どこまでも隙がないな。しかも、虚を見せた私に一本を打ち込まないのだ。
 それどころか、何度も有難う有難うと言ってくれてから、
「佐々木さんはこれからも剣道を続けるのかい」
と、顔を覗き込むようにして言ってくれた。
「はい。。」
 やはり剣道の話に戻るのか、と寂しい気持ちが過ぎったが、その隙をつかれて、
「剣道を口実にしてまた連絡するかも」
と山口くんの口から聞いた初めての冗談でハートに突きを受けた。

 一本!

 見事だ。完敗だ。
「気勢」「姿勢」「打突」に加え「残心」まで揃っている。
 私は頭を垂れた。
 山口くんは、家の近くまで送っていくよ、と言ってくれたが、私は剣士の意地というかそういうものも含めて、自分が山口くんを駅まで送ると言い張って聞かなかった。

 家に帰ったら、いつものように父がいかめしい顔をしてテレビ観ながら夕食をとっていた。
 ちらっと私の顔を見て、何か悟られたか、いつもみたいに弄られなかった。
 ただ「わが娘よ、今日も元気か」とだけ、後ろ姿に声を掛けてくれた。

 ああ、父にも一本取られた。

 私やっぱりまだまだ修業が足りないな!
 ジャージに着替え竹刀をばらし鼻歌まじりに手入れを始めた。