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空は泣くのか 【短編小説/#何故あめは降るのか】

涼子は雨の景色が好きだった。
とくにこの部屋から見えるなんということのない坂道と古い低層マンション。
この景色が雨にむせぶととても美しい。

しかし、今は雨の景色が嫌いだ。
降り続くほどに気持ちがどこまでも沈んでいく気がする。
彼女は先週彼から突然別れを告げられた。

空が泣いているという言葉がある。
その表現を涼子は好まない。
彼女は詩を読みも書きもしない。どちらかというと現実的な人間である。
空が泣くはずないだろう。
彼女は妖精の登場する物語とか宇宙を舞台に恋をする物語の類を一切読まない。
現実離れしているし、その肌合いがどうも甘すぎるのだ。
夢物語ばかり語っているうちに現実を置き去りにしていくのだ。そんな風に思っていた。
そして、皮肉なことにその涼子がまったく予期せぬ「現実」に苛まれることとなった。

彼との間がうまくいっていた時は親友の夏美にもずいぶん誇らしげに振舞ったはずだ。
夏美からしたら自分はずいぶんまぶしくてうるさかったことだろう。
それでも彼女はいつもと同じように接してくれ応援してくれた。
人の幸せをけして妬まない人も世の中にはいるのだ。

空は泣かない。
雨が降るなんてこの地球に生命が発生するずっと前から続いている自然現象なのだ。
そんなおセンチな話などでなく、ただ、自分が泣くのと雨が降るのと同調していることがつまらないのだ。
頼むから雰囲気を盛り上げないで。
もっとも今急にスカッと晴れてもまぶしくてうるさくてついて行けないだろうが。

失恋してもお腹は空く。
涼子は田舎から送ってきた素麺を湯がいてすすった。
自分が惨めで涼子はまた涙をこぼし窓の外の雨を見る。ついこないだのランチタイムの自分が羨ましくてならなかった。

失恋してもスマホのコールは鳴る。
夏美だ。
「雨ヤーね。涼子~今日の夕方私とワイン付き合ってくれない?」
わたしの失恋を肴に?
いじけた言葉をつい思い浮かべてしまい、慌ててそれをかき消すように言った。
「有難う。わたしのことを思い出してくれて」

涼子と夏美がよく「飲みに行く」イタリアンレストラン。
店名がイタリア語で「酔っ払い」だから問題なかろう。
陽が傾いても小雨は降り続くが、この季節の温度が気持ちいいので涼子たちはキャノピー付きの外向きのテーブルを確保した。
涼子はここに来たからには今日夏美に自分の悲しみを全部聞いてもらおうと思っていた。
ところが、切り出そうとすると夏美は、まあ飲もう飲もう、とそらす。
夏美は明らかに涼子を明るくすることだけに努めている。彼女はそのために涼子を誘ったのだ。
その証拠に彼女の不幸話に一切取り合おうとしない。
涼子はその気持ちに応えようと思った。
心の中は相変わらずの土砂降りだがまだ水没はしていない。
一生懸命笑顔を作った。
笑顔というものは一生懸命作るとなかなかの変顔になる。
その証拠に夏美はもう笑いを堪えられないでいる。
「涼子変な顔~!こんな顔してるぞ~!」
夏美の変顔に涼子も、ククッククッ、と一週間ぶりに腹の奥の笑いの筋が動く。
ハハ!ハハハハハハハ!
涼子は泣きながら笑った。
ああ、これが泣き笑いなんだ。今、わたし泣き笑いしている。
その瞬間、キャノピーの緑の色が強く光った。
小雨はまだ降り続くが陽の光が一瞬差したのである。

あ、空が泣き笑いしてる。。

今空が確かにわたしに合わせて泣き笑いした。
正面に視線を戻すとなんと夏美も泣き笑いしている。

涼子と夏美は大声で笑いながらワイングラスを持ちなおして乾杯、そして次にまたひとたび光が差した空を見上げて乾杯した。