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秋の自転車

 病室。春の夕景。
 男の子は父親に自転車をねだった。退院したら乗り方を教えてやると約束してくれた。嬉しくなっておどけた笑顔を母親に向ける。
 しかし、残念ながらその日はこなかった。

 男の子は母が悲しむと思い自転車の話を切り出せなかった。
 母親は男の子に父を思い出させると思って自転車の話を避けた。
 母さんもう大丈夫かな。
 秋も近づいたある日母親の顔をそっと覗き見するように男の子は切り出した。
 心配は自転車の方じゃなく母親の表情だった。
 半年ぽっちで男の子はずいぶん大きくなる。

 川沿い。秋の夕景。
 小さな男の子が自転車の練習をしている。
 何度も何度もこけるのを母親が起こしては涙を拭いてやり、背中をポンと叩いてはまた自転車を押してやる。
 
 ゴー!
 母親の手を離れた自転車は川べりを滑っていった。
 男の子はわぁと大きく口を開けながら秋の風を全身で受ける。
 ずっと止まったままだった家族の時間がまた滑り出す。
 息子以上に喜んではしゃぐ夫の姿が重なって見えた。
 真っ赤な空を背景に父子の様子が美しい絵になったのを母親はしばらく眺めていた。