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シュピナートヌィ・サラート・ス・ヨーグルタム

 料理研究家としてまだまだ無名の私にとってこの度招待を受けたイベントはこれまでにない華々しい舞台であった。
 全国でも名だたる名門小学校の創立百周年記念式典に記念講演の講師という大役を授かったのである。
 休日を選んでの式典でホールは早くから満席である。
 
 演題「世界のご馳走こんにちは」

***

 講演はいつも通り順調に進みクロージングに向かう。
 すでにその頃には何人かのマスコミカメラマンたちに記事用の目線をサービスするほどの余裕ぶりであった。
 女性MCが、
「あと一つ質問を受けまーす。そちらのお嬢ちゃんどうぞ!」
「二年3組や、やすだめぐみです!」
 低学年か。どんなかわいい質問が来るのだろうな。
「あの、シュピナートヌィ・サラート・ス・ヨーグルタムに対して先生はどんな想いをもっていますか?」
「!」
 MCが、わぁ、何それ~、先生に訊いてみようね、と十分に盛り上げてから繋ぐ。
 何だそれ、とは絶対に言えない。
 しかし何だそれ。
 落ち着け。なんとか残り三分くらいをこなしたらいいのだ。
 いつもの「講演ごまかし三種の神器」を準備する。

 一言ではいえないが(さりげなく引き出し多いアピール)
 味覚の世界では(さりげなく業界者アピール)
 異文化は深遠なもので(さりげなく外国のせいアピール)

「好き。納豆にさらっと酢、ヨーグルト」
 と聞こえたのだろう。女の子はハンドマイクを立てて、
「シュピナートヌィ・サラート・ス・ヨーグルタム」
と実に滑らかな言い回しで訂正した。
 何回訂正されても憶えられるか!
「私どもは日頃シュピサラと略して呼ぶんだが.今日は君たちに合わせて「シュピちゃん」としようか」
 会場から緊張を解く笑い声。女の子もへぇという感じの表情をしている。  
 うん、悪くない。
 しかし、いったい。。
 急いでありったけの想像力を働かす。フランス料理?
 五味、、甘味、酸味、塩味、苦味、うま味、、の主体の味覚要素は?
 と言うより、既に自分で勝手に思い浮かべた酢とヨーグルトで頭が酸化している。
「シュピちゃんについては、口の中がべたっとしない酸味傾向かなあ」
 ここで大きく頷いたお母さま方はまさかそれが酢とヨーグルトつながりだとは思っていない。
 さてここからが肝心だ。とにかく止まってはいけない。
「私ども味覚の世界では」
 華麗にバイオリンを弾く仕草を入れながら、
「料理をよく音楽に例えます。めぐみちゃんはバイオリンを弾いたことあるかなあ」
 私はない。
「素材は音符。風味はハーモニー。アンダンテとかアルデンテとかいうでしょう」
(一週間後に気付いて恥ずかしさのあまり皿を落として割ったがアルデンテはパスタの茹で具合だった)
「一つの楽曲の中にリズムや強さなどで緩急を与えるのと同じように、一つのお皿の中で緩急をつける。甘味で緩めて、酸味、塩味、苦味でアクセントと動機を与える。うま味はあえていうなら「印象」ですかな」
 もう自分でも何を言っているか解らない。子どもたちも解らんでよろしい。
 あと一分ほどだ。時間を稼いで逃げ切れ!
「料理人が描いた世界を、食する人は口の中で再現する。それが双方の責任なのです。その、シュピ、シュピ、、」
 女の子はまたマイクを立てて勝ち誇ったように、
「シュピナートヌィ・サラート・ス・ヨーグルタム」
「そのシュピちゃんの、音符、つまり素材となると、、」
(ああ、しまった!素材なんて判るわけないだろ!あと僅かのところで墓穴を掘ってしまったぁ!万事休す!)
 舞台袖の「世界のご馳走こんにちは」の掛垂れ幕が目に入る。
 こっちは「どこかに逃走さようなら」の気分だ。

***

「まあ、素材など私ども日本人が軽々しく一言で言えるものでありません。異文化としての深遠さは計り知れない。。」
 照明を利用し深い陰影を作って憂いの表情を見せる。
 私はまあまあの色男なので若いお母さま方を味方につけたはずである。
 しかし、切り札を一気に使ってしまった。
 MC 締めろ!MC締めろ!と念力をMCに送る。念力なんて使うの初めてだ。
「先生有難うございまーす!シュピナートヌィ・サラート・ス・ヨーグルタムのことよく解りました」
 うそつけ!そして彼女まで私より淀みなく言えている。
「とても盛り上がりました~!時間を少し延長して私から一ついいですか?」
 あんた、頭大丈夫か?
「シュピナートヌィ・サラート・ス・ヨーグルタムに対して先生がこれだけは絶対に譲れないということ。ぜひ聞かせていただけませんでしょうか?」
 そんなもんあるか!

「こころ、です」
 こないだ出汁のテーマの時に使ったフレーズだ。
「こころが味を変えます。そんなはずないと思うでしょう?ところがあるのです。同じ楽器を使っても気持ちをこめて奏でられる調べがやはり変わるように」
 おおげさにバイオリンを弾く仕草をしながら一礼して華麗に退場する。
 割れんばかりの拍手。引っ込んだあと舞台袖から覗くとMCが滑らかに発音できる自分に酔っているようで締めの言葉でシュピナートヌィ・サラート・ス・ヨーグルタムを連呼している。
 相変わらず滑らかな言い回しであった。
 安心したとたん、景色が遠のいた。

***

 意識が戻ったのは保健室だった。
 MCのお姉さんが付き添ってくれていた。
「よかった!夕刻からの祝賀会に特別にシュピナートヌィ・サラート・ス・ヨーグルタムが用意できましたので、皆さんで講演を振り返りながら楽しむ予定なんですよ!」
 私はまた気を失った。