見出し画像

恋をしたり 【短編小説】

運転が大の苦手なくせに山道のドライブが大好きである。
つまり誰かが運転手を務めてくれたら、というまこと都合のよい条件付きなのである。
しかし、その日のすみれは違った。
水色のパステルカラーのミニカーを自ら駆ってこのワインディングロードをトコトコ進んでいる。
第三者から見たら、それ肩が凝るでしょうと言いたくなるような、身体を硬直させながらの前傾の運転姿勢で、事実すみれは肩が凝っていた。
達筆な毛筆体で大きく「そば」とだけ書かれた古い看板を掲げた店を見つけた。
店の屋号はないんかい、と心中で突っ込みながら広い敷地に車を止めた。
お決まりのようにガラガラと引き戸の音、続いてこれもお決まりのようにおばあちゃんの声で、いらっしゃいませ、の声。
「あの、、やってますか?」
考えたら大変失礼な質問だが、そう訊ねたくもなるような人気(ひとけ)のない店内の雰囲気だった。
この時間はそばとおにぎりくらいしかないけどねぇ、とおばあちゃんが品書きを持ってきた。
「じゃあ、昆布そばと梅干しのおにぎり一つ、お願いします」
おばあちゃんが戻るその先に目をやると厨房におじいちゃんの姿が見える。
Wikipediaの「仏頂面」に貼り込みたくなるほど、絵に描いたような仏頂面であった。
この人はおそらく生まれた時からこういう顔つきなのだろう。

「ごちそうさまでした!」
そばは口の中で全く媚びることなく無愛想なくらいただプツプツと切れて、素材の質感と匂いをしっかり感じさせた。
厨房にそばを打つ道具らしいのが見えるからおじいちゃんが打ったのだろう。
おにぎりはおばあちゃんが奥で握ってくれたようである。持って来てくれるときの指にご飯粒がついていたから。
すみれが御勘定をしていると奥から手を拭いながらおじいちゃんが出てきて、
「おじょうさん、どっち向きに行くんかな?」
と訊ねる。
初めての道だからどう言ったらいいのか、来た道と逆だから、
「右です」
「そうか、悪いけどわしを乗せて行ってくれんかなあ、家に忘れ物をしちまってなあ」
「え、おじいちゃんここが家じゃないの?」
「ここは別荘じゃ」と言って、おばあちゃんを見て笑う。
「いいよ。だけど道を教えてね」
「かまわんよ!」
なんか主従逆転してない?

すみれは自分がなぜ山道のドライブが好きなのか自身で運転することでより判った。
道以外は土地の起伏、少しの場所による植生の違い、大げさな看板のあれこれ(だって「ふとん」てあの文字のサイズ大げさね)いろいろ見どころや突っ込みどころに溢れている。
このようにローカルの雰囲気がたっぷりなのだが、道はシンプルに一本で清く、その対比がとてもいい。
「おじいちゃん、いつもどうやって店まで行くの?」
「おばあちゃんに運転してもろて一緒にラブラブで行くんや。今おばあちゃんそば打っとるわ」
なんだ、全部おばあちゃんが作ってるんだ。
「おじょうさん、こんなとこに何しに来たん?」
吹き出しそうだった。普通は客にそんなこと言わんやろ。
「あの、、」と返そうとしたら、それを遮って、
「あ!そこそこ!あぁ、行き過ぎたわぁ。Uターンしてちょうだい!」
「おじいちゃん遅いよ。遅いのはいいけど。遅すぎるよ」
通り過ぎた道を少し戻り、細い道に入る。
「おじょうさん大丈夫か?」
「おじいちゃん、それ私のセリフ。初めてで不安なのこっち。この先に道あるの?」
「失礼なこというなあ。道のないとこに本宅なんか建てへんやろ。断崖絶壁じゃあるまいし」
そりゃまあそうだ。
おじいちゃんの「本宅」に着いた。
正直、造りのがっちりとした平屋の和風建築を想像していた。
そして、まあ上がって行きなさい、とか言われて、山ほどの焼きものとか「見せられて」、なんでも好きなの持って行きなさいみたいな、そんな会話になるのだろうと思っていた。
ところがまあ驚いた。
迎賓館のようなクラシカルで高貴な薫りのする洋館であった。
庭の植栽の刈り込みなんて明らかに一流の庭師の仕事だ。
「え、おじいちゃん、大きい会社の社長さんとかそんなの?そば店のご主人て仮の姿?」
また、失礼なことを言った。
おじいちゃんは、ふふんと笑って答えなかった。否定しないんかい!
「おじょうさん、みたところ時間ありそうやなあ。ちょっと寄って行き。ああ、心配せんでいい。もう役立たんから悪いことせえへん」
また吹き出しそうになる。飲み物を口に含んでなくてよかった。
(というか、役立ったら悪いことするんか!)
「おじいちゃん、役立ったら悪いことするんか!」あ、口に出してしまった。
「そんかわり、おばあちゃんには内緒やで」
なんのかわりよ。
洋館の中は外観よりさらに突き抜けていた。
庶民は豪邸の玄関に入ったら、このスペースだけで一部屋取れますね、と言うのがお決まりだが、この家の玄関はおおよそ一軒が取れそう。
天井の高い吹き抜けだから本当に二階建てまでなら建つ。
居間に通されて、
「このへん初めてや言うてたなあ」
「うん」
「ほな、面白いもん見せたろ」
おじいちゃんは壁のスイッチを作動させて居間のカーテンを全面開放した。
眼前に現れるオーシャンブルー!
(え、オーシャン、、ブルー?)
何、この景色!すみれは口をぽかんと開けた。
「はは、ここ山の中やけど、山道が大きくうねっててちょうどこのあたり一番海に接するコースなんや。さらに山で高度があるから海が見下ろせるんや」
(断崖絶壁じゃあるいまし、てここほんとに断崖絶壁やん)
「多分、ここをまっすぐいった本当の海岸沿いより海の景色がよう見えるわ。不思議なもんやろ。海の傍より山ん中の方が海がよく見えるて。まるで人生のことを説われてるみたいや」
(おじいちゃん、めちゃ哲人。。)
おじいちゃん役立たないのかわいそう。わたしコロッといきそうだった。

「ああ、おじょうさん、車のカギ貸して。忘れもんした。年は取りとうないなあ。あっち行って忘れもん、こっち行って忘れもん。若い時より忙しいわ」と笑いながら表に出る。
暫くして、これこれ、と心なしかさっきよりおどけ口調で、
「店にずっと置いてたけど用心悪いからこっちに移しとこと思てな。
店の真正面に飾ってる焼きものや」
おお、ついに出た!定番の焼きものネタ!
「七桁は下らん」
お金持ちはよくそういう言い方をするのだ。
こっちは庶民だから、ゼロを一、二、三。。
「え、何百万とかするの?」
おじいちゃんは棚にあるのを手に取り、
「こっちはそんなにせえへんから、欲しかったらこっち持って帰り、運転手務めてもろたお礼や」
持って帰れるわけないでしょ。とか言いながら、図々しく想定内の会話だが重たすぎる。
「で、おじょうさん何飲む?コーヒー?ジュースか?」
間(あいだ)はないのか。紅茶とか、緑茶とか。
おじいちゃんが大きい声で女性の名前を呼ぶと、奥からお手伝いさんと見える若い女の人が現われた。
本当にこのおじいちゃんはどういう人なのだ。。

おじいちゃんを待つ間コーヒーカップを片手に庭を散歩する。
雑誌の写真でしか見たことがないがこれが「イングリッシュガーデン」というものだ。
すみれなどその写真のついている雑誌すら高くて買うのを躊躇するくらいだ。
それが世の現実なのだ。
ここまでするくらいだからおじいちゃんのこだわりなのだな。
つまり、あのおじいちゃんが「イングリッシュガーデン」という単語を知っているわけだ。
おじいちゃんが戻ってきた。すみれは興味本位で訊いてみる。
「おじいちゃんあれなに?」
「バケツやないか。見たことないんか」
すみれのコーヒーカップが空になったのを確認し、
「よし、出よ。店に戻ろ」
(聞いてないよぅ。おじいちゃん。家まで送るだけの話やったやん)
「おじいちゃん、お迎えは来ないの?」
「堪忍してえな、おじょうさん。まだ殺さんといて」
「いや、おじいちゃん。そういう意味じゃなくて」
「車はなくなった!」急にピリッと厳しい口調に変わった。
空気を察したお手伝いさんが、私が送りますよ、と気を使いながら言っている。
「いや車はなくなった!」
そこにあるやん。超高級車が。
「おじょうさん、行こ!送って!」
すみれは泣きそうになった。
「おじいちゃん!家までっていう話やったやん。。」
「まあ車に乗りなさい!」
(わたしの車やん!)
すみれはほとんど半べそをかいている。
車に乗ってドアを閉めてから、おじいちゃんが人が変わったようにものすごい形相をして大声を上げた。
「なにがあっても生きろ!」

おじいちゃんはぷるぷる震えていた。
「おじいちゃん!見たんやね。。」
「見たわ!端から端まで全部見たわ。こう見えてもわしは耳も目も頭もまだ新品同様や!」
すみれの遺書。
裸の状態でサンバイザーに挟んであったのがフロアに落ちたようである。
そして、さっきおじいちゃんが忘れ物を取りに行った時に見つけたらしい。
おじいちゃんは本気で怒っている。
「生きろ!」と恫喝する。
すみれは顔中を涙でぐずぐずにしながら、エンジンを掛ける。
事故せんといてや。こっちはおじょうさんよりよほど高いで、と言う。
もう十分判ってるヨ。。
すみれはぐずぐずをどんどん増しながら車をそば店の方向に走らせる。

失恋。
結婚の約束までした。仕事も辞めた。
いろいろつまづきの多い過去だったがやっと光が見えた。
しかし、すべてが閉ざされた。
彼はすみれに何年もかけて嘘をついていた。

おじいちゃんは助手席でまだうんうん唸りながら怒っている。
わたし怒らせてないやん。おじいちゃんに迷惑かけてないやん。
声を出したら嗚咽になりそうで、すみれはせめてもの抵抗におじいちゃんを睨みつけた。
おじいちゃんは話し始めた。
どことは言わないが、「すみれが絶対知っている」会社の会長を務めていた。
自分が社長職を降りる時後継者として自分が認めない人物を取締役会が強引に選任採決した。
その翌年にその社長の悪事が見つかり取締役総入れ替えとなった。
当然自分も会長職を退いた。
それ自体は「どこにでもある普通の話」だが、社長にうまく丸めこまれて結果的に悪事の片棒を担がされたベテラン女性経理社員が自死を選んだ。
「そこまではどこの一般新聞にも書かれた記事だ。新聞くらい読んで勉強しなさい」
「はい。。」
さっきのお手伝いさんに見えた女性はその経理社員の娘だという。
大きなニュースの渦中で実名が出てしまったのと、さらに母であるその経理社員と問題の社長との間の興味本位のゴシップ記事が大衆雑誌に書かれてしまった。
家族は離散し、娘が施設に引き取られそうになったところをおじいちゃんが養子縁組を申し出たらしい。
「女の子は嫁に出すまでお金がかかるわい」

店に戻って来た。
日は少し陰っている。海が近いこともあって肌寒い。
おじいちゃんは降り際に、すみれの目を見つめ、
「頼む約束してくれ。おじょうさん。生きてくれ。生きてくれ」
懇願するように言う。
目が赤くなっている。
わかったよおじいちゃん。わかったから。
わたしまた一からやり直すよ!約束する。
頭悪いのに勉強したり、包丁で指切りながらお料理作ったり、中が半生で外が焦げ焦げになるけどクッキー焼いたり、お化粧めちゃ下手やけど恋をしたり。

二人ですでに明かりのついている店に一緒に入る。
おじいちゃんはまた最初に会った時のようなぶすっとした仏頂面に戻って、おばあちゃんに、
「このおじょうさん宿を取るの忘れとったって!山ほど高い宿代ふっかけてうちの一部屋使わしたってくれ!山ほど御馳走こしらえて食べさせたってくれ!後で腰抜かすほど高い請求書回したってくれ!」
そう言ってすみれにいたずらそうに目配せする。
ああ、あぶない。今度はおばあちゃんの前でコロッといきそうになった。