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時滑り

 大鏡に映る顔は今日も自信に満ち溢れている。
 髭をあたりながら今日行うことを予定組みする。
 てきぱき物事をこなす事が私は好きだ。
 周囲の人間にもそれを要求する。私の周囲も同じスピードで回転しなければ私のこのパフォーマンスが無駄になるからだ。
 私は軽やかに舞うように生きてきて成功した。こういう生き方に皆が憧れ皆がそれを果たせず一生を終えるのだ。

 鏡を通してキッチンのデジタル時計を見たら19:30を指していた。
 おや故障か。時計が時間を間違えてどうする。舌打ちしながら無意識に顎をなでたその指が止まる。
 固い髭が指先に当たった。ついさっき丁寧に剃り終えたばかりなのに。
 理解ができないという動揺の高まりと連動するように私の背景はすでに日が落ち暗さを増している。慌てて会社に連絡をとると無表情で明るい自動音声が営業時間外を通知した。

 疲労なのか。病気による記憶の欠落か。他の何かに起因する現象なのか。
 いったい今の自分はどのような状態にあるのか。
 取りあえず朝を待って、あり得ない早い時間に会社に飛び込み、立ったままパソコンを起動した。
 まずメールを開封。次にそのガタガタ震える指で出退勤記録を探った。
 私は唖然とした。
 私は昨日出社して普段通り仕事をしているのである。

 時間の地滑りはその頃から頻繁に発生した。
 起点も終点も全く不規則で予測ができない。突然にしてごそっと時間が滑るのだ。
 時間を噛みしめる努力もした。踏みしめる努力もした。
 しかし、何の変化も表れない。
 記憶喪失を疑い、精神科、心療内科、脳神経科など思いつく順に病院に飛び込んだが、健康面になんの問題もないと言われる。

 これに似た感覚はこれまでにもあった。
 ああもう昼過ぎなのか、ああもう週末なのか、ああもう季節が変わったか、ああ甥っ子はこんなに大きくなったのか。
 普通にあることだと思ったし、事実不自由なく楽しく暮らせていた。
 ちんたら歩く人生より全力で走る人生の方がいいに決まっているじゃないか。少なくともそう考える私に罪はない。
 私以外の人間だって皆そう言っていたじゃないか。

 ある朝髭を剃ろうとして洗面所の大鏡を見て私は腰を抜かしそうになった。這いつくばるようにしてリビングルームに戻る。
 部屋の間取りが違う。
 自分の初めて見る形をしたテレビセットまでたどり着いて、リモコンを探し出し震える手でニュースチャンネルを探した。
 そこに表示された日付はつい今しがたから10年以上を経過した年月を指していた。

 静寂の中にぽつんと浮かぶ私の暗たんたる思いはそれとはまったく対照的な明るい声によって破られた。
「お帰りパパ!」
「あなた、どうしたの。顔色が悪いわよ。具合でも悪いの?」
 私はリビングルームでなく玄関にいた。
 私のことを「あなた」と呼んだ女性は心配そうな顔をするが「パパ」と呼んだ少女はお構いなしにおどけて私の足にしがみつく。

 そこには焦燥も悲嘆もない。ただ一つ言えること。
 今の私は幸せなのだ。
 私を気遣ってくれる優しい妻、私から離れようとしない可愛い娘。
 彼らとのこの時間もまた儚く過ぎてどこかに溶けていってしまうのか。
 妻と娘の顔をもっと見たい。妻と娘の顔をもっと見たい。
 しかしいつしか昇った朝日の眩しさに阻まれてよく見えない。
 妻と娘の顔を見たい!妻と娘の顔を見たい!
 その心の叫びは無情にも自らが大きく滑落する音に掻き消された。