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価値観は土壌である

価値観とは、土壌である。

もしその人の価値観が、手間ひまをかけて、耕され、豊かであるならば、人生からたくさんの実りを享受できる
わけである。

一方、価値観の手入れを怠り、
荒廃しているならば、人生からは、
何の実りも得られないのである。

また、価値観という土壌が、その人の空気、雰囲気をつくるわけである。

そして、その人の価値観から
生まれた空気を吸い、周囲の人が
育つのである。

それゆえ、良くも悪くも、
空気の質が大事なのである。

そして、空気の元となる、その人の
価値観は、もっと大事となるわけ
である。

だから、どのようにして、自らの価値観を豊かなものにしてゆくか。
これが、大事となるわけである。

価値観という土壌を、ふかふかで、
肥沃なものとするために、日々自らの不要な価値観に気づいてゆくことなのである。

自分らしくない価値観に気づくならば、不要な価値観は、勝手に取り除かれてゆく。

そうやって、自分の中にある、
多様な価値観の中から、自分らしい
純粋無垢な価値観だけ、残してゆくことが、自分らしく生きるために、必要なのである。

そこで、自らの価値観を確認する
その手始めに、両親との関係を正すのである。

両親の中に見るどうしても受け入れがたい嫌な価値観が、実は、自分の中にも存在していた。

この痛い事実に気づくことなのである。

そのような血のでるような痛い気付きの連続で、自分が最低最悪の自分らしくない価値観に染まっていたことに
気づくのである。

このようにして、自分に気づいてゆくと、最低最悪の価値観が死に、肥やしとなるのである。

そこに、微生物で育ち、自らの価値観という土壌は、肥沃なものになるのである。

気づけば、多様な価値観を受容できる。そのような自分になっているのである。

当たり前である。自分も、かつては、そうだったからである。

すべて、家族が鏡となり、教えてくれたのである。

このようにして、自らの価値観という土壌を豊かにしてゆけば、自分らしい花を咲かせ、生きることができるのである。

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