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真の力

満身創痍に、縦横無尽に
受けた人生の切り傷を通じて、
つかまれた真理でなければ、
真の力とはなり難い。~森信三~

教師をしていた時分の出来事である。

親御さんと話し合うため、家庭訪問をしたのである。前向きな話しあいで終わったのである。翌朝、両親はある罪で逮捕され、生徒は、転校すること
となった。

その時、教え子にかける言葉は、
見つからなかったのである。

生徒の父親が海難事故で亡くなったのである。

その日は、本来ならば、ゴルフに行く予定だったが、雨のため、中止となったという。

午後から晴れたので、海釣りに行く
こととなり、転覆事故に見舞われた
という。

その時、教え子にかける言葉は、
見つからなかったのである。

生徒の父親が自殺したのである。
昨日も楽しく遊んでくれた父親が
今日はいないのである。

その時、教え子にかける言葉は、
見つからなかったのである。

今思えば、苦労が足りなかった
のである。

ぬるま湯のような環境で、のほほんと生きてきた、お坊ちゃんだったということである。

だから、理不尽な人生の出来事に
必死で耐える教え子にただただ同情するしかできない。そのような教師だったわけである。

とても悔しかったのである。
情けないと思ったのである。

だから、人生とはいったい何かを
ずっと考えてきたのである。

ただ幸せに生きたい。それだけなのに、なぜこのような悲劇が起きるのか。これを知りたかったのである。

そして今、目の前の教え子が、
この試練を乗り越え、たくましく
生きてゆく。

その姿を想像することが
できるわけである。

目の前の艱難辛苦の中に深い意味を
発見し、自分しか歩めない、尊い道を歩んでゆく。

その姿が想像できるのである。

これもすべて満身創痍に、
縦横無尽に受けた人生の切り傷の
おかげである。

つまり、森信三のいうところの、
真の力がついてきたということで
ある。

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