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辛酸をなめるということ

辛酸をなめるとは、
辛く苦しい思いをすることである。

辛さとか苦しさをできれば
避けて通りたいのが、人情である。

しかし、それがかなわないのが、
人生なのである。

それゆえ、人生の辛酸の意味、
そのメリットについて考える
わけである。

そうでもしなければ、辛酸を
恐がり、堂々と人生を歩めなく
なるからである。

人生で味わう辛酸は、
自分らしくない価値観を削ぎ
落としてくれるのである。

たとえば、
「お金に困ると恥ずかしい」
「家族不和だと恥ずかしい」
「病気になると恥ずかしい」
「不道徳だと恥ずかしい」
「言行不一致だと恥ずかしい」

そういう価値観があると、
そこに困窮をきたし、恥じている
ことをさらけださねばならない
事態に陥るわけである。

このように、辛酸は、辛く苦しい
モノではあるが、大事な役割を
持っているのである。

だから、人生の辛酸を「一生の恥」とするのではなく、自分らしく自由に生きるための貴重な学びととらえると救われるのである。

しかし、人生の辛酸に感謝できる
人は、実に少ないのである。

辛酸に耐えきれず、辛酸の原因を
他に求め、あるいは自らの
資質不足に求め、責任転嫁してしまうのである。

こうして、自分の可能性を閉ざす
自分らしくない価値観にこだわる
あまり、捨てるべき価値観の
断捨離の機会を失うのである。

この辛酸に対する態度の違いは、
いったいどこからくるのかを
たどればそれは、親子関係に
起因するのである。

両親より注がれた愛情の数々に
気づいている否か。

この違いなのである。

両親の愛に気づいている人は、
愛情深いゆえ、柔軟であり、
受容力に優れている。

だから、まず辛酸を飲み込み、
それをゆっくり咀嚼することが
できるのである。

そして、時間をかけて、
辛酸を人生の糧と変換できる力を
もっているのである。

両親への感謝が深いから、
人生の辛酸に対しても、
最後には、感謝できるのである。

人生の辛酸すら甘美な思い出に
変えることができるのである。

一流の農家は、良質な土壌づくりに
こだわっている。

人生の辛酸に感謝できるような
一流の人間は、家族や家系という土壌のメンテナンスに余念がない。

だから、自らを愛情の塊であると
自覚しているから、人生の辛酸も
愛だと気づくのである。

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