自分を知るという可能性
人間の可能性は無限である。
よく言われる言葉だが、どんなことに対しても、人間の可能性は、無限なのか? といえば、決してそうではない。
野球が好きでも、誰もが野球選手になれることもなく、歌が好きでも、誰もが歌手になれるわけでもない。
一流のアスリートでも、ある時期が来たら、引退しなければならない。
可能性は無限に見えた人でさえ可能性は有限という現実に向き合うわけで
ある。
「人間の可能性は無限である。」
目に見える物差しを基準にして、
この言葉を受けとるならば、これほど嘘っぱちな言葉はないのである。
そこで、人間の可能性は何において
無限なのかを考えてみたわけである。
年齢や性別、人種や生まれた国や生い立ち。それらに関わらず、決して衰えることなく、死ぬまで無限に伸びゆく能力とは、いったい何なのか?
これを考えてみたわけである。
その答えが、「自分を知る」
という能力であり、可能性である。
この力は、この命朽ち果てる最期の
瞬間まで、磨かれ、伸長してゆく
能力である。
歳を重ねれば重ねるほど、
際限なく伸びゆく能力である。
では、「自分を知る力」とは、
そもそもどういうことなのかを
考えたわけである。
ここでいうところの、
自分を知る力とは、自分と異なる
価値観をどれだけ受け入れてきた
かで決まるのである。
人生の艱難辛苦を通し、
自分が多様な価値観を持っている。
そういう存在であると理解することで、他人の価値観にも寛容になることがてきるのである。
人生とは、そもそも自分に内在する
価値観をもつ人に出逢うための舞台
なのである。
それゆえ、歳を重ねるにつれ、
受容力のある人と出逢うということは、だんだん自分を知ってきている
ということを意味しているわけで
ある。
このことからも、「自分を知る」と
いう可能性については、人間の可能性は無限なのである。
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