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生きるの疲れた

散々な目に遭わされて

散々な日々に追われてるんだ

「生きるの疲れた」

あの子もそう言った

あいつもそう言った

父も母も残念だがそう言ったんだ

生きるの疲れた

生きるの疲れた

生きるの疲れたんだ

だけど死ぬのは怖いから

生きてるわけです

悩んでるわけです

まだまだやること沢山あるから

とりあえず今日を 乗り切るわけです

「生きるの疲れた」HONEBONE

もともと理不尽なことが嫌いなのである。

もともと無意味なことの繰り返しが嫌なのである。

どうせならば、目的を持って意味あることをやりたい。

そう思って生きてきたわけである。

だから、そこに意味がある。
共有したい崇高な目的がある。

そう感じた時は、がむしゃらに、
我を忘れて挑むことができたので
ある。

しかし、ある時、自らの生きる世の理不尽さに気づいてしまったのである。

幸福とはかけ離れた方向に
ひた走る世の流れに気づいて
しまったのである。

この世は生きるに値するのか。

そこに悩みはじめたのである。

自らの生きる世界を本格的に、
疑いはじめた時から、
生きることに疲れを感じ
はじめたわけである。

そして、自らの生きる世界を
疑えば疑うほど、生きることが
嫌になるような散々な出来事が
生じてきたわけである。

悩めば悩むほど悩みが
より深くなっていったのである。

何の疑いももたず、世の中を
善きものと信頼していた。
無邪気な頃の自分を懐かしく
感じたこともある。

でも、もう戻れないのである。

だから、この悪魔的な世界を
根本から変えるような方策を、
構築せねば、とても生きてゆけ
ない。

そう感じていたわけである。

今思えば、両親の愛を本当の意味で、知らなかったのである。

だから、両親への感謝も薄っぺらで口先だけのものだったのである。

この世の常識を鵜呑みにし、
その常識に歩調を合わせて生きて
きた。そういう両親を心の底で
軽蔑していたわけである。

つまり、本当の意味で、
親子の縁の尊さというものに
気づいていなかったということ
である。

両親への感謝と敬意が大事と
しながら、深い部分では、決して
そうではない。

自己欺瞞を重ねていたのである。

自らを欺いてきたことに気づき、
両親とのご縁の糸のもつれが、
ほどけてきたのである。

そして、この悪魔的な世界こそ、
自らが生きるにふさわしい
唯一無二の世界だと理解できた
のである。

本当の悪魔は、外側ではなく、自らの内面に潜んでいたという真実に
気づいてしまったからである。

もう、生きることに疲れている場合ではないのである。

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