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Led Zeppelin『天国への階段』感想文

Led Zeppelinの楽曲・『天国への階段』、歌詞の感想文を書きます。“piper”「笛吹き」が『天国への階段』の装置だと思います。“piper”「笛吹き」が『天国への階段』の人物たちに「幻想」を魅させています。歌詞を読む限り、作中人物たちは“正気”(真実)と“狂気”(妄想)の境界に「入っている」と思います。この境界にいるとき一時的にせよ、ヒトは創作力がみなぎります(曰く、詩神に憑かれている・無意識に降りている・別の私が書いているなど)。境界に誘っているのが“piper”「笛吹き」の「笛の音色」です。曲序盤の「笛の音色」は象徴的だと思います。

歌詞の単語も「象徴」として使われているものが多いです。おそらくRobert Plant(作詞者)は、「西欧詩」の技法で歌詞を創ったのでしょう。たとえば“west”「西」はしばしば「未知の或るもの」を顕します。また、“forests”「森」は「神秘的なもの」や「彼此岸の境界」としてよく使われます。これらは歌詞と調和した使い方だと思います。“piper”「笛吹き」は詩人や画家へ頻繁に着想(モティーフ)を与えるもので、ウィリアム・ブレイクの「詩」やアンリ・ルソーの「絵」にも使用されていました。

“The piper’s calling you to join him”「笛吹きが仲間に入れとあなたを呼んでいる」との一節があります。僕は、「観念」と「実在」をある程度分けて考えることが大事だと思っていて、上の歌詞を「観念」として考えるのと、「実在」として考えるのでは違いが存在すると思います。読者が「観念」として捉えていれば、歌詞をフィクショナルなものとして解釈できる余地が生まれます。しかし「実在」として捉えて且つそれが強い場合、極端な典型としてその読者が歌詞と類似した行動をとる可能性があります。

おそらくここに「良心的な作詞家」の一つのジレンマがあると思います。読者に現実世界との良好な接点が基礎として在れば、「実在」は多少弱まると思います。歌詞は読者を彼岸に誘うかたちで終わります。“piper”「笛吹き」が「笛の音色」を鳴らしている時間だけは、Robert Plant(作詞者)、作中人物、読者が彼岸を夢見るのは良いと思います。“人間”は「現実世界」だけでは生きるのがつらくなると思うから。

僕は「心」を描写している歌詞として『天国への階段』の感想を書きました。金持ちを風刺しているとの観方もあるらしいです。

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