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Radiohead『Paranoid Android』感想文

Radioheadの楽曲・『Paranoid Android』の主に歌詞の感想を書きます。Paranoid(狂気的人物)と、Android(機械的人物)の対比が、この曲の装置だと思います。この装置はフィリップ・K・ディックのSF小説・『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』でも使われています。曲が始まる冒頭に、機械のランプが点灯するような音が四回聴こえます。おそらくAndroidの起動音だと思います。

最初のの歌詞二行(Please could you~voices in my head.)から、歌詞の「私」には“幻聴”が聴こえていることがわかります。大切なのは、この“症状”に罹患している人が歌詞を綴っていることです。その人物の視点で歌詞が進んでいくので、歌詞を読んだ方は「社会」が違った視点で見えると思います。この技法は小説家・安部公房がしばしば使っています。「病者の心」と「健康人の心」との間を往復して吟味することは、この技法を使うさいの重要な要素でしょう。

或る人が「私」の名前を覚えていないので、「あいつ(=或る人)の頭をオフにしろ」(Off with his head,man)と「私」は綴っています。この表現(=Off)は、冒頭の起動音とリンクしています。曲終盤に「ネットワーキングされたユッピーたち」(The yuppies networking)と書かれています。僕は、この部分が『Paranoid Android』の歌詞の“試金石”だと思います。

「Paranoid Android」の最後に、God loves his children(神は子どもたちを愛している)とのlyricsがあります。僕はこの部分を聴くと、J・D・サリンジャーの小説・『ライ麦畑でつかまえて』の終盤に、フィービーが回転木馬に乗って遊んでいるのを見ていたホールデンの姿をよく連想します。

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