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【音楽評】『ディシプリン』キング・クリムゾン(前編)

執筆者:航路 通

こんばんは、航路通(@satodex)です。ここではこの名前でやってきます。

今回は初めての音楽批評ということで、僕の敬愛するバンド、キング・クリムゾンについて書きますね。

さて名前だけなら、ジョジョのおかげでやたらと有名なクリムゾンですが、いわゆるプログレッシヴ・ロックのバンドとして知られています。

音楽と言うのは非常にジャンル分けに対する依存度が高いというか、棲み分けがなされているジャンルでして、聴いたことがない人はまったく聴いたことがないかもしれませんね。

プログレとは何かとは一言でいうのは難しいですが、クラシックや、ジャズや、現代音楽、バンドによっては民族音楽なんかと融合して、「一つの作品」としてロックを完成させようとしたジャンルでありました。

1960年代後半~1970年代、アメリカではヒッピー文化が開花していました。そこでは、いわゆる反戦を唱えるアナーキーな若者たちの音楽として、サイケデリック・ロックが流行します。LSDとのかかわりの中で消費された音楽です。薬物使用時の浮遊感を体現するかのようなサウンドは、アメリカのみならずイギリスでもビートルズやピンク・フロイドなどを筆頭に流行していきます。

そうしてロックが白人の中で定着していく中で、サイケのある種の前衛性が強く影響をもちます。とくに70年代に入ると、白人たちのなかで、自分たちのアイデンティティであるクラシックやら、当時先鋭的とみられていたフリー・ジャズやら現代音楽やらをロックと融合させてみようという試みがなされるようになっていきました。複雑で長大、プログレッシヴ(先進的)な音楽を完成させようとしていったんですね。これらの音楽は、アメリカよりもむしろイギリスを中心としたヨーロッパ圏で大きな影響力を持ちました。ドイツ、フランス、イタリア、北欧などです。そのため、プログレはユーロ・ロックとも呼ばれたのでした。

その特徴としては、曲の長さに捕らわれない、構築美を意識した作風(7分や8分はざらで、長いものになると20分や30分も)、変拍子の導入、弦楽器や管楽器、電子楽器などロックで使われてこなかった楽器の導入、即興演奏(インプロヴィゼーション)などでした。しかし、プログレと言うのはともかく「先進的」であることでまとめられているジャンルですので、その中身はかなり多様ですね。例えばこんな音楽です。

King Crimson - 21st Century Schizoid Man

「21世紀のスキッツォイド・マン(精神異常者)」です。

アルバムのバージョンが見つからなかったのでライブ版ですが、この曲は、メタリックでヘヴィなフレーズ、現代ジャズの影響を受けたアヴァンギャルドで即興的な間奏部が当時のリスナーに大きな衝撃を与えました。普通にロック的なカッコよさがあるので、プログレ=長い、だるい、と敬遠している人にも、この曲は受け入れられやすいですね。聴いたことがある人も多いのではないでしょうか。

中間では急に6拍子になるし、そのあとも何拍子なんだかよくわからない変拍子のブレイクがあったりして、クリムゾンの拍子に対するこだわりもすでに見て取れますが、この曲はやはりプログレだけではなくハード・ロックとしてもひとつの完成形で、ディープ・パープルのリッチー・ブラックモアや、ザ・フーのピート・タウンゼントを驚嘆させ、後にオジー・オズボーンにカバーされるなど、かなり広範な影響を持ちます。これを1969年に制作できたことは、かなり天才的で恐ろしいことでした。

しかし、この曲が収められた1st『クリムゾン・キングの宮殿』(1969)は、これだけではありません。

このようなアヴァンギャルドな曲と同時に、フルートの音色が心地よく響く「風に語りて」や、メロトロン(音をサンプリングできるキーボード。オーケストレーションに似た独特な音を出せた)が高貴に響く「エピタフ(墓碑銘)」「クリムゾン・キングの宮殿」など、まるで別のバンドか?でも言うような叙情性、荘厳さ、シンフォニックな魅力も持っていたのでした。

クリムゾンにおけるこのジャズとシンフォという二段構えは、一度の解散・再結成を経ると、次第に現代音楽的なアヴァンギャルドさへと移行していきますが、「即興的なアヴァンギャルド」=と「構築美、叙情性」=という二項的な図式は変らず、これはキング・クリムゾン、あるいはプログレのひとつの大きなコンセプトとなっていきました。

キング・クリムゾンのリーダーにしてギタリストである、ロバート・フリップは、ビートルズやジミ・ヘンドリックスなどのロックに多大な影響を受けつつも、そういったものの熱量をバルトークなどの現代音楽に通じるドライで無機的な音楽と合体させようともくろみ、アルバムを制作するたびほぼ毎回メンバーを入れ替えながら、先鋭的な音楽を作っていったのでした。


さて、R&Bやロックン・ロールから、ビートルズ、サイケデリック・ロックを経て、プログレやハード・ロックに展開していく、ひとまずはこの流れがあります。イギリスの代表的なバンドに、ピンク・フロイド、イエス、ジェネシス、ELP、ジェントル・ジャイアントなどがあり、キング・クリムゾンもこのなかの代表格として扱われてきました。

さて前置きが長くなってしまいましたが、ここまでが前編です。後編では、ようやく今回の主題であるアルバム『ディシプリン』(1981)を批評していきたいと思います。

実はここにすこしひっかけがあって、どうしてわざわざ80年代のアルバムを批評するのか? ということなのです。プログレは、70年代後半に入るとパンク・ニューウェーブの流行で次第に退潮していきます。80年代には、栄華を誇ったプログレバンドは軒並み解散、もしくはポップ化していました。

そしてクリムゾンの場合も同じで、この作品は、一般的にクリムゾンがプログレから逸脱しちゃったときの作品として知られているのです。このアルバムは、今まで構築的でダイナミックなことをやっていたクリムゾンが、急にニューウェーブ路線になったという、かなり大きな転換をはらむ作品なのです。

1974年に解散し、81年に再結成すると、突如プログレをやめてしまっていたキング・クリムゾン。そのため、多くのクリムゾン・ファンが『ディシプリン』を困惑と悲嘆とともに受け入れました。今までの長い曲は一曲もないし、メロトロンやヴァイオリンやサックスを担当するプレーヤーもいないのです。歌詞の文学的な世界は消え去り、「エレファント・トーク」と言う楽曲では単に単語を羅列したような歌詞になっています。後追いのリスナーからしたら、まあそういう方向転換もあるかもなあ、と思われるかもしれませんが、当時のリアルタイムなリスナーは大きな衝撃を受けたでしょう。いわゆるパラダイムシフトですね。

90年代以降では再評価されていますが、ファンの間ではいまだに80年代クリムゾンを肯定しない人もいます。

どうして、わざわざクリムゾンの中で、それを批評するのか――まず、理由としては、僕は素朴に、このアルバムがかなり好きです。ひとつは僕が、プログレリスナーであると同時にパンク(ポスト・パンク)のリスナーでもあるということがあって、別に違和感なく聴けますし、こういう大きな転換期の作品が好きだというのもあります。

しかしそれだけではありません。僕はこの作品に当然の大きな転換を見ると同時に、実は、今までのクリムゾンと根っこの部分でたいして変わらないと思っているからです。

どういうことでしょうか。すこし、詳細にクリムゾンの音楽を見ていく必要がありそうです。(後編へ続く)

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