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アナログ人間の電子書籍出版社

 江戸時代と変わらず、灰汁と蒅(すくも)しか使わずに甕(かめ)を建てる(調整する)人が、電子書籍ですか。って面白がられました。自分でもウケてます、この状況。

何か言いたい。私もみんなも。

 何かを作ったり表現したりすることをライフワークにしている人が、私の周りには多いです。あなたの感覚的性質はデジタルかアナログかと問われれば、ほぼ全員が「私はアナログ」と答えるでしょう。当然私もそうなのです。
 その思いを発信するブログをはじめとするツールが、webのおかげでたくさん公開され、手軽に手にすることができ、発信もたやすくなりました。私の周りの数多のアナログ人間も、臆することなくその恩恵にあずかっています。

 日々の作業・鍛錬・試行錯誤の中で深まっていく自分の思考や確信は、「作品」「公演」「パフォーマンス」で発揮したいし昇華したい。それを観てファンになってくれた人や後進としてついてきてくれる人に、応えていける発信も心がけたい。

 そんな中で、少しでも身近に感じてもらえる存在になろうと、ブログやSNSで日々の発信に励むのだけど、実はそこで書けることは「本当に大切」だと思っていることからちょっと距離のある内容であることも多い。
 大事だと思っていることだから、一言では済まないし、端的な触れ方で言語化しきれない。複雑な検証や根拠が重なり合った果てに確信した「本当に大切なこと」を、適切な形で発信する機会がなかなか持てない…。
 そんな中で発信し続けた私に、発信クライシスが訪れました。

搾取されるように思えてしまった言葉と思い

 藍色工房時代に盛んにSNSに発信し、商品のことだけでなく藍の栽培の様子や新しく発見したことなども話題にしていました。一所懸命取り組んでいたと思います。そうするうちに、私が発信したことを自分の発見のように発信する人が散見されるようになりました。
 web上に無料で公開したことなら、多かれ少なかれ起こることだと思います。めくじらを立てても仕方がない。むしろ、自分の意見として取り入れたいと思われるくらいに「良い情報」だとみなされた証拠だと思うようにしていました。

 大きなクライシスは、藍色工房を解散した後に訪れました。
 藍色工房での活動をしている間、心の支えとなっていた人たちに、ずっと欺かれていたと知らされる機会がありました。一所懸命取り組んできたことや選んできた言葉が搾取され続けていたのだと理解しました。私が一所懸命になればなるほど、彼らには都合が良かったのだと。
 もう彼らは私のそばにいませんし、2度と会うこともない状態になっています。それでも、心に受けた衝撃は自分で自覚している以上に大きく、藍色工房時代にできていた作業を、同じように取り組むことができなくなってしまいました。いわゆるトラウマです。それ以来、ほとんど一切のweb上の発信を止めました。

それでも手は動かし続けていた

 webから離れた手が向かった先は、藍染めとピアノの弾き語りや習字(毛筆)、それに切り絵でした。結局アナログに戻って手を動かし続けていました。無心に取り組むことで、余計な事を考えずに済むから助かりました。

その頃楽しんだ切り絵の一つ。台紙は藍墨で彩色しています。

 SNSの発信を止めたからといって、言いたいと思っていたことが無くなったわけじゃない。大切だと思っていたことが消えてしまったわけじゃない。けれどそれを誰にどんな形で伝えたらいいのかもわからない。そうやって時間を過ごしているうちに、段々と自分の気持ちに整理がついてきました。

 彼らの「搾取」する行為に問題があったのであって、私の「してきたこと」や「藍への思い」に問題があるわけじゃない。ここは課題をしっかり分離して、本来大切に思っていることまでトラウマの対象にしちゃダメだ。
 だけど前のような発信に戻ることは、心情的にまだなかなか難しい。。。頭では分かっていても、心や体がそっちへ向かっていかないもどかしさ、ままならなさを感じました。でも、このままならなさを違和感いっぱいの精神論で乗り越えたふりをするのは自分への裏切りになるよ。いずれ苦しくなるよ。

 どんな形なら、このままならなさと戦わずに、今「大切だ」と思っていることを、それを必要としているであろう人に手渡しできるようになれるだろう。
 協力者の出現によって藍染め石けんも復活を果たし、本来ならもっと広報に力を入れなくてはならない状況ですが、以前のような動き方がなかなかできない。藍のことも石けんのことも、まだちゃんとお伝えできていないことがたくさんあるのに。

伝えるということ

 私が「伝える」ということをいい加減にしておけない理由は、藍にしろ石鹸にしろ、ある一定以上の時間をその業界の人間として活動してきた責任を、私なりの重さで果たしたいと思っているからです。世の中で回り続けるお金の中の、いくばくかが投じられてきた活動なのだから、その中で知り得たことや経験したことを、どんなに小さな形であっても世の中にバックしたい。
 そして、後に続こうとしている人の道標になるようなことにつながれば、幸いだと思っています。

 さらに贅沢な事を言えば、社会学的なサンプルの一つとしてある程度の質を持った資料を残しておくことができるんじゃないかと、思っていたりもするのです。
 だから常に、どんな形で発信するのかが頭の隅の気がかりとして残り続けていました。

 そんな時に電子書籍出版の可能性について触れる機会をいただいて、じっくり考えて、少しずつ飲み込んで、「これだ…」という確信に至りました。
 実際に出版してみて、今一番良かったと思っていることがあります。それは、書籍としてのまとまりを持つことで、大切だと思っているエピソードを関連づけながら、細切れにする事なく提供することができたこと。そして実際に、藍染めに携わっておられる方から、「読んで良かった」とご感想をいただいているので、方向として間違っていなかったと感じています。
 今後もしばらくこの方向で発信してみようと思っています。

そしてそれは伝播する

 やってみて良かったことは人にも薦めたくなりますよね。なりませんか。私はなるんです。お節介で申し訳ない。
 そういうことで(?)周りの「言いたいこと」「伝えたいこと」を抱えている人たちにも是非ステージに立っていただこうと立ち上げたのが「透野企画」です。アーティストも職人もクリエイターもみんな、もっと言いたいこと言っていい。情操教育の大切さとか、マッコウ臭い角度からなんか言われたって、ピンとくる人なんていないよ。現場で表現し続けずにいられないあなたたちの声こそが、情操教育の何たるかを一番知っているのだと私は思う。
 だからその声を、まずは私に真っ向から投げてもらおうと考えています。受け止めて、電子書籍の大海原に放つ役目を担うつもりです。既に少しずつ、その取り組みに参加してくれる表現者たちが動き出しました。
 
 もし、この本を読んで、「自分にも言いたいことがある。やってみたい。」と思う人がいたら、ぜひその思いを聞かせてください。


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