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『つみびと』(山田詠美)

絶望に お砂糖ひと匙混ぜたなら
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くるしいとき 物語が引き込んでくれる
巻き込む波にゆだね 現実を受け止める小休止
ずいぶん小説から遠ざかっていた 一息に読みさまざまの涙と去来した思い
振り解いて進んで わたしはわたし

『つみびと』(山田詠美・’19・文藝春秋)

2010年に起きた 大阪二児置き去り死事件
児童虐待の報は 絶えることなく届き来る
凄惨に聞こえるニュースを レポーターが重々しい表情で伝えて
事件の当事者は どんな環境で育ち
日々何を感じながら 生きてきたのだろうと
画面のむこうに思い馳せても 生身の人間はなかなか立ち上がって来ない

助けを求められる人と そうでない人
あっけらかんと嫌味なく 周囲に自分の状況を伝え
差し伸べられる手に 笑顔で応え重荷を分かち合う一方で
精一杯の どうしたって届かない声がある
勇気を振り絞って声を上げても すくい上げたい周囲がいても
明るみに出る前に はかなくなる命がある
この世に見捨てられたい人など いるわけもないのに
誰もが つらい過去や現状に溺れかけていても
幸せになりたいと 強く願っているだけなのに
いつだって植物とおなじく “水と養分を”待ち続けている
*
齢の小さなものに対して行われる すべての行為の残虐さ
義理の家族 先生等おしえる立場にあるもの 肩書 妻帯者
拒絶しにくい間柄において 優越から加えられてしまうのか
ほんとうに望んでの関係か 相手を見ればわかること
よっぽど観察できない目の持ち主なのか 己の欲だけで為せてしまうのか
何度でも さらには対象を変えて繰り返す
治らぬ性質 長きに渡るフラッシュバックに苛まれることを
加えた側の人間は 想像すらしないのだろう
幾度も襲い来る恐怖やみじめさを くるっと丸めて捨て去りたくとも
   “他人から付けられた傷を ずっと傷としてとっておく”
必要はない 忘れていい、手放していいと
自分で思うようになれたなら 苦しみは癒しへと向かう
   “私は、被害者でいるより、加害者になる方が、
    はるかにましだと自分に言い聞かせていた”
当事者の苦痛は 現状認識を歪ませる
被害を受けたと頭が認めず 心も置き去りに
憐れみの目で見られたくないと プライドや女性性がストッパーを掛け
   “私には人の手が掛かっている!”
心をかけてくれる人に 閉ざさないで
誰かと共に辿り着ける景色が まだあるから
諦めては勿体無いよ 周りの助けを借りて
何があろうと わたしは変わらずわたしのまま
何びとも邪魔できない 穢せない存在だから
*
あやめようと 行動に移した親はいないのでは
伴侶を子を愛し 子らのため一生懸命はたらいても
ちいさな綻びはやがて広がり 悪の気配へと引き摺りこむ
何度も踏み止まろうとして 他者の決めつけや乏しい理解から
追い込まれていく状況は あまねくあるだろう
責め立てられる誰かは存在せず ひとりひとりの内に
その芽はあるもので どこかで起きる惨事は
自分たちが招いた 日常の延長にある事態

エイミーが書いてくれたことで 救われる部分がたくさんあって
絶望がおわりを告げたかに思えても それは一面に過ぎない
棄てられない希望は 未来に繋がっていくはず
幸せと 口に出して言ってみるところから
何度だって はじめられる

Erat, est, fuit あった、ある、あるであろう....🌛