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言葉 そして 祈り

乖離と分離

前回の投稿に続いているのだけれど、
自分が感じている感情や感覚を素直に信じられて表現できるようになってから気づくことがある。

それは、
誰かのためにと自分を犠牲にしている時は
自分が感じていることと自分から発される言葉とがまるで乖離している

ということ。

そして休職


実は今年の春またこのパターンをやってしまって、
身体がもう疲弊して燃え尽きて動けなくなって仕事を休んだ。
悲鳴を上げている身体はいたけどいつも今ここではなくて50km先くらいから聞こえてくるので無視してしまう(もうしないつもり。)
多分50km先に聞こえているのは実際に今ここの声なんだろう。
自分を癒そうと様々なトラウマケアもしてきたけど14年ぶりに通院、服薬。
薬を飲んだ方が近道だと今回は感じたので、普段はほとんど選ばない西洋医学のお世話に。一ヶ月服薬してぼーっとして寝込んだりした。二ヶ月目に少し回復。三ヶ月目(←今)。

かつてのDVノコト

いつからか子どもの頃から
私の「苦しい」「悲しい」「痛い」「しんどい」が
身体では感じているはずなのに外に出せなくなった。
感じているのかさえも分からないほどに。

空疎な世界を生きていたあの頃。
言葉も祈りも自分から分離して
まるで信じられなくなっていた。

なかったことにするしかなかった。

DV家庭で育つことで子どもの感覚が捻れるのは
加害と被害がごっちゃになるから。
ありのままの感覚もよく分からなくなってしまうから。
暴力を振るった人が謝り悲しみ、暴力を振るわれていた人が自分の責任でと自分を責めているような状況が、連日連夜続いておかしくなってしまう。カオス。

みんながビビッドに色をつけた自分のドラマを生きていて、
自分のありのままを他者に語る言葉をドラマの複雑な台本に奪われてしまう。

そんな中で必死に大人に出してみたSOSが全て聞かれなかったこと。
「お前の目は死んでいる、死んだ魚みたい」(中学時代相談室にて)「でもご飯が食べれないわけじゃないんでしょ?」(SOSの電話にて)「そんな身体してるなら仕事して自分で稼いで暮らせるよ、君なら」(捕まった時に警察にて)
今思えば「は?」ってことがたくさんあったけど、
当時は結構間に受けて「あ、そうなんだ」としか思わなかった。

それから


自分を取り戻すために必死にあれこれ世界中をうろつきながら
あれこれ学んだ。
(ハンナアレントを血眼で読んだり、農民一揆とかアナーキズムとか)
のちに子どもの仕事をするようになってトラウマケア
(NVC、IFS、バイオグラフィワークなどなど)
に出会って随分と癒され、
近年はボディワークにたどり着き、
そこから何もしない治そうとしないそのままでオッケーなスタイルになりつつある。

家族との距離感とか、今回みたいに転移がおこったりとか難しいこともあるから、何もしないでいることの怖さもあって「自分の場合は常に自己覚知していないと」という強迫観念があったりもする。その辺りはバランスかな。自分に自分が落ち着けるように日々修行中。

私の祈りを感じられる いま


やっぱり自分が感じている身体の痛み、心の痛みをあらわしていいんだよってこと。無理に光に変えなくていい。痛みを伴いながらも、弱々しくも大地に根ざして生きればいい。声が少しづつ立ち現れて自分を癒すから。

ここまでこれた自分を讃えて、そして祈ろう。
そしてもう過去の痛みを起点には選ばないだろう。(たぶん今までのモチベーションは過去の痛みだった)
今は自分の中から湧き上がってくる、命の声に耳を傾けたい。
概念ではない「わたし」
ただ味わいたい。

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