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インドに着任したらどうするか 『着任の手引き(仕事編-③)

(今回のNoteは、前回の投稿、インド『着任の手引き(仕事編)①』インド『着任の手引き(仕事編)②』続きです。全体で7つある項目の内、⑤~⑦を今回の投稿で説明しています。



 人員計画の見直し:「人」こそインド事業最大のリスク
最近は日本も人材の流動性が高くなってきたが、経済が順調に成長している2024年現在のインドでは、企業は優秀な人材を活発に取り合い、労働者がフレキシブルに移動している。そのため急に来月からコア人材がいなくなるということが簡単に起こる。しかも職能が非常に分割されている社会なので、担当者がいなくなったからといって、隣に座っている者に短期的にその仕事をやらせようとしても、突然異なる仕事を行うことに非常に強い抵抗を示す傾向にある。更に、インドは若年人口多いことから自然と結婚や出産を迎える職場の女性も自然と多くなる。従業員が産休や育休を取得する場合、最終的には当該人物は戻ってくるのであるから、単純に新たな人材を雇用して頭数を合わせればよいというわけではなく、期間限定でその仕事を別の誰かが行う必要がある。ここに前述のような職務意識とインドのハードネゴ精神が合わさると、その穴を上手くカバーするためにかなり難しい調整が必要になる。
インド企業の場合は、会社側は労働者を当たり前のように解雇し、それがグリップとなり会社と労働者との間で緊張関係を醸成している。しかし、日系企業の場合は、伝統的に人材を切ることは難しく、そのような意思決定を社内で挙げることすら嫌いがちなので、労働者に足元を見られ、インドに翻弄されている。言い換えると、駐在員の管理職はインド的な人事リスクを日本的な雇用保護文化という足枷の中で解決していくという特殊な状況に置かれる。それを乗り切るためには、非常に計画的かつ前広に人員計画を練っていく必要がある。ある程度人材が抜けることを前提に次にそのポジションを担う人材を育て、やめそうな人間の代替をどのようにしていくのかを計画的に考える。本社の場合は個別の部署に人事権がないケースも多く、日本企業の管理職は人材を長期目線でどのように回していくかという視点を考える機会が極めて少ないが、インドでは最低限次のような簡単な構想を練っておきたい。
 
①  自分が管理する組織の現在の組織図を作る。各員の職位と在籍年数を付記するとともに、既に決まっている異動を反映した未来の組織図も作成しておく。

② 「この人がいなくなったらこうする」というイメージを具体的に考えてみる。新たに採用するのか、誰かを動かしてカバーできるのか。その中で、特に強化が必要な弱みのある個所を特定する。

③  人材成長という観点から、誰を昇進させるか、誰にどのような経験をさせるかを踏まえた将来の異動も、未来の組織図に反映させる。

④   未来の組織図のアップデートは頻繁に行う。一か月に一回眺めるくらいのペースがちょうどいい。

 

人材計画と同じく、人事関連の法令・法律と、内規をはじめとする社内制度の詳細を理解することも必要だ。多少面倒ではあるが、自身で内容を読んだうえで現地の弁護士や法務部の人間に解説してもらい、理解を深めておかねばならない。駐在員にとって本社勤務時の役割との大きな違いの一つに、直接的な人事権限が大幅に拡大する点がある。駐在先では、管理職として配属された駐在員に直接的な人事権が託される場合がよくある。つまり、採用や解雇や組織再編、それらに関連するいざこざを処理する機会が増える。そのため、人事関連の法令や内規を把握し、社内外の労働者と雇用者の権利義務を理解しておく必要がある。
インドという地域は「法やルールに基づいた統治」ではなく、「人による統治」の色が強く、議論を呼びそうな法律上の問題が明文化されて整理されていなかったり、明文化されていたとしても、その運用実態が伴っておらず、ケースバイケースで物事が判断されたりする傾向にある。そのため、予想できない展開が発生するリスクは大きい。例えばインドは民事と刑事の境があいまいで、民事事件のはずが地元の警察に駆け込んだ被害者を名乗る者によって警察権力が動員され、最悪の場合逮捕・勾留されるおそれがある。他にも、セクハラという概念はインド法において男性から女性に対してのみ発生するものと想定されており、女から男へのハラスメントは法律では規定されていない等、アンバランスかつ未整備な法令が残る(記載時2024年3月)。そのため、労務管理において日本の常識をそのまま持ち込むのはリスクがあり、何が雇用者側に許されていて、何が許されていないのかの線引きをインド個別に理解しなければ管理者側が危険である。

採用・雇用・解雇に関する基本的な人事問題に加えて、何か従業員の行動を歪めているような社内制度がないのかも確認しておく必要がある。例えば「休暇買取制度」は、日本ではあまり見られないがインドでは一般的だ。有給休暇を使うことは実入りが減ることになるので、体調が悪い時はテレワークを装って業務を最小限に行い、実際はまともに仕事をせずに家でやりすごすという行為を誘発しやすい。当然ではあるが、休暇取得やテレワークに関する内規も詳細を理解しておいたほうがいい。急な休暇はインド民の社会では頻繁に発生する。適正な休暇取得ルールに則らず休暇やテレワークを実施しているインド民社員もいるので、それを注意・修正するためにはまず自身が制度を理解していないといけない。




  重要取引先への挨拶:特殊な関係性と適切な距離感
着任後に実施する重要取引先への挨拶はインドに限ったことではないが、インドにおける取引先との関係は日本における取引先との関係よりもずっとプライベートに立ち入った関係になりがちだ。家族ぐるみの付き合いなり、先方の家にお邪魔したり、結婚式に招待されたりということも発生する。そのような環境では適切な距離感と関係性を構築することが肝となる。

まず、地場企業の重要取引先のインド民に対しては、相手側に心理的に取り込まれないようにファーストコンタクトから気を付けるべきだ。具体的には、先方が最初に行ってくる「距離を近づける+新しい要求」というスキームに注意をすることである。相手からしてみればインドを全く知らない外国人が来たということで、「それまで懸案だったトピックをこの際押し通すことができるのでは?」という心理がポジティブにもネガティブにも働く。新着任者を家に呼んだりスポーツイベントなどに誘ったり、なかなか周到なビジネスマンぶりを発揮する。インドにおけるコミニュケーションや距離感を知らない人間の場合、これらの厚遇を過度に恩義に感じてしまって、相手側のペースになったり、過去から突っぱねてきた議論の蓋を容易に開けてしまったりするので、そのようなことがないように前任者や経緯を知る者とともに挨拶に出向くのが鉄則である。インド民のホスティング能力はかなり高いので、日本人は彼らのおもてなしに心がなびきやすい。彼らはこのように「返応性の法則」を巧みに利用した要求を繰り広げてくる。要求が失敗しても悪く受け取られることがない戦略なので、初対面の着任者に対してよく展開してくる方法だ。
その他にも着任初期の駐在員に対して次のような交渉学上の典型的な戦法で突然交渉をしかけてくる場合がある。親交を深めつつも虚を突かれないようにそれらの方法をいくつか心に留めておくとよい。
 
・High ball(突然高い要求を突き付けてくる):
例「実は今年から価格を2倍にします。」という合理性のない高い要求をいきなり言ってくる。
・Door in the face(最初に高圧的に門前払いをする):
例「挨拶には来ないでください。」というように、敢えて突っぱねてこちらとの力関係を崩すところから仕掛けてくる。
・Snow job(知識差を利用して言葉巧みに説得する):
例「あなたはインドのことは知らないかもしれないが・・・」というように、本当か嘘か判別しにくいもっともらしい理由を並べて取引条件を交渉してくる。

 
所変わり、取引先の日系企業の日本人駐在員との付き合い方も特殊である。インドはデリーという大都市においても駐在員やその家族の多くが、両手があれば数えられるくらいの限られた地域や集合住宅に居住している。日本人会の交流や学校のイベントという繋がりもあるので、ほぼ友人のような交流が行われている。よい情報も悪い情報もすぐに伝わることになるので、誠実な関係性を心がけることが必要だ。一人の駐在員の言動がその会社のインドでの評判を左右する。インド民のように「あわよくば精神」を出して、相手の不利な立場に付け込んで駆け引きなどをもくろむと、その評判は地に落ちる。日系企業が日系企業に求めるものは、インド企業には求めることが難しい長期的で誠実な相互関係である。即物的なインド企業やインド民のやり方を日本企業の担当者が真似たところでインド民が一人増えただけになる。現在は、インドという共通する問題に立ち向かう仲間として困っていたら積極的に助け合う意識の方が、しのぎを削る意識よりも大切な経済・社会状況である。



  遅刻者をしばき倒す:「時間」の意識を植え付ける
インド民を集団として捉えると日本人と比較して様々な違いがあるが、その中でも最も大きな違いと言えるのが時間に対する感覚である。他のどの国民や民族と比べても日本人や日本社会が求める時間に対する厳格性は強いが、その対極にあるのがインド民である。これは端的には遅刻や締め切りを守らないということにつながるが、広くは致命的にスケジュール管理が下手だったり、納期に関して鈍感であったりという事業運営に関して多大なマイナス効果がある特性である。そのため、この特性は徹底的に修正していかねばならない。どうやっても、彼らの社会や歴史に根差した時間間隔を根本から変えることはできないが、一人ひとりの意識や行動を変えていくことはできるので、少なくともその努力を行わねばならない。

最も手短な方法は、遅刻に対する細かく厳しい管理である。毎日の出勤時間を守るという、簡単で毎日行われることから厳しく律することで、組織の時間に対する意識を変えていく。そして遅刻以外の様々の期日管理への波及効果を狙う。管理者としてまず具体的に行うことは、出欠と休暇の制度を正しく理解することだ。当たり前のことかもしれないが、どの時間にどこにいれば出勤とみなされるのか、遅刻した場合は時間給扱いにできるのか、それとも半休になるのかなど、基本的な制度を理解しなければならない。遅刻を厳しく取り締まり始めると、必ず「ああいえばこういう」言い訳を展開してくる輩が発生する。その場合に管理職として完全に説明・論破しなければならないので、制度理解は必須となる。中には時差出勤などの制度を利用して、遅刻を免れようとする者も出てくるが、どのような場合に誰の承認でそれらが容認されるのかという細かいルールまで管理者は把握しておかねばならない。その上で遅刻は厳しく取り締まり、常態化するようであれば、極端な場合解雇も辞さない勢いで対応しなければならない。
そこまで遅刻者をしばき倒す理由は、前述の通り時間感覚の重要性を刷り込む意味が第一だが、組織の中の不公平感をなくし、優秀で時間を守る社員が馬鹿を見ないためである。そして、これがプロフェッショナリズムを組織にしみこませる一番シンプルな方法である。つまりそれは、「ルールを理解し、それを遵守して、約束を守るために行動する」という原則を是とする文化である。



最後に
ここまで、インド着任の手引きとして、7つの重要な項目について説明してきた。最後に前任者と後任者との間の引継ぎに関する一般論を述べて今回の投稿を終わりたいと思う。
インドの職場の特徴として、意図的・非意図的によらず、各個別担当者の記録や文書やデータの管理が非常にずさんなので、前任の駐在員がまとめた引き継ぎ書の重要度が高い。実際に部下から聞く話も、強い自己保身と自己利益誘導故に、担当者から本当の事実背景を理解することは容易ではない。管理者の交代を機に、都合の悪かった過去の過ちや歴史などをなかったものにできると思うものもいる。しかし、駐在員としてはそんなことを容認していたら、何年も同じ問題を抱え続けることになる。だからこそ、「過去にどんな問題があって、その原因が何で(誰で)、何が解決できて、何がまだ残っているのか」、という事実関係を疑いなく確認できる拠り所が必要になってくる。
冒頭述べた通りインド事業には致命的な問題が往々にして存在し、仮にそれを改善できたとしても、必ず解決できなかった大きな課題が残っている。それを引き継ぎ書を通じて特に重点的に把握して、しっかり継続的に実行する。既に改善した部分についても、その問題の原因がインドの社会・ネイチャーに由来している場合、放っておくとすぐに元に戻ってしまうので、「解決済」の問題についても頭にいれておく。そうやって何をやってきたか、何を継続してほしいかも必ず前任者に聞いておく。
前任者との平衡勤務期間も2週間以上はとっておきたい。このくらいの時間をとっておくと何かしら事件や小さな諍いが起きる。その渦中で社内外のインド民の動作を実際に見ることになり、前任者から生の解説を受けるとよい。
自分の目からは一時的な問題に見える問題が、実際は頻繁に発生している問題であったり、小さな問題が大きな問題の発露として起こっている場合がある。ものの見方はやはり経験がある者にしか分からない。

インド民ならではの行動パターンも引き継ぎ書の中で記載されていればいいが、生活文化習慣に由来するようなことは、「差別」という言葉を濫用する相手によって責められるリスクを懸念して、引継ぎ文書として残されていない場合も多い。もちろん人事部もそれを補強することをしないし、ましてや出向先の会社が買収先のインド企業ということであれば、現地の会社側からその手の説明は絶対に望めない。だからこそ口頭による前任者からの引継ぎが重要になる。これだけ異なる前提条件の中で生きている人々の生活文化習慣や彼らの思考法や得意不得意分野に触れないということは、インドに対する社会理解が十分に行われず、日本企業がインドで戦っていくために必要な知見が片手落ちになってしまう。しかし、残念ながら適切な言葉を使用しながら論理的かつ多面的な文章でこれらの視点を纏める労力と時間を全ての駐在員に求めることはできないため、限定的な引継ぎ期間と口頭のコミニュケーションを通じてできる限りそれらを伝承していくことになる。

(以上で三回に渡る一連の投稿は終了です。お付き合いいただきありがとうございました。)

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