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#11 “I love my family, but I hate them.“

#10の続きです

ジャイサルメールで出会った彼女。僕にとって衝撃だったのは間違いない。でもなんとなく同情するという感情は湧いてこなかった。それは今も変わらない。彼女は文化の犠牲者なのは間違いないだろうが、きっと同時にその文化に生かされているのも事実なはずだ。彼女が家を出、ジャイサルメールを捨てることは言い換えればジャイサルメールの文化の担い手が消え、文化の多様性がまた一つ減少することだろう。自由がある人生が素晴らしいと思っているのは僕たちだけのOSだとも言えるかも知れないし、彼女に同情することはそのOSをさらに押しつけることかもしれない。でも、彼女がその僕たちにとって時代遅れなOSに縛られているということは、紛れもなく事実である。いやでも本来ジャイサルメールの文化は僕たちの西洋文化(もちろん西洋と日本も)とは出会うはずない存在であり、その意味で彼女が今苦しんでいるのはオリエンタリズムの下で抑圧的に世界の豊かさの概念を塗り替えている僕たちのOSのせいかもしれない。

彼女の苦しみの責任の所在がわからない。わからないために僕が何をすればいいのか、いやもっと現実的に、なんて声をかけたらよかったかすらわからない。彼女を刺している包丁を握っている人は誰なのだろうか。親族なのかもしれないし、地域の人かもしれない。仮にその人たちだとしてその人たちは誰かに握らされているかもしれないし、ただリンゴを切っているつもりで彼女に包丁を振るったのかもしれない。そもそもその包丁を作った人に責任はないのか、彼女がまな板の上に転がり入ったのではないか、彼女を転がり入らせた人がいたのではないか。物事は僕が軽く誰かに何かを言えるほど簡潔ではない。きっと往々にして色々な社会問題に共通することだろう。自分の言葉と行為で誰かを助ける、誰かを突き動かすということは、その誰かを他のOSに依る人間が振るう包丁の下に放り込むということかもしれない。支援とはなんなのか。手を差し伸べるとはなんなのか。全くわからなっている。

ただ、事実として、彼女は苦しんでいる。理論を並べて彼女に背を向けることは僕にとっていたって合理的だが、彼女にとっては全く彼女に手を差し伸べなかった烏合の衆の1人にしかならない。わからないから何もしないは認められない、というスタートラインは引かなければならないだろう。本質的にその認識が合ってようがいまいがそのラインを引けなければ人々は隔絶で独力的な世界を生きるしかない。わからないけど、何かする。結構詰んでいそうだ。ここまで一人称が僕だったから誤解されるかもしれないが、僕がやるやらないという話ではない。包丁とまな板。支援という構造自体が詰みと言えるかもしれない。完全に上位概念の議論であり、具体的な視点がかけているのは間違いない。でも、支援の限界、非当事者の限界を感じてしまっている。

しかし、なんとなく今まで、そして今書いてるうちに、なんとなくその限界性への立ち向かい方は僕の中で見え隠れしてきている。どうにかそれを最後に綴って締めようと思う。

きっと、あらゆる立場の人が、正解はないだろうが、数ある包丁とまな板を認識でき、その上で複合的に自分の生きる文化や価値観の尺度に合わせて選択できること。この状態を目指すことこそ、僕たちがすべきこと(してもいいこと)ではないだろうか。彼女をジャイサルメールから外に出すことではなく、彼女にジャイサルメールの外へ出ることのできる道を示すことはできないだろうか。自由は素晴らしい、ジャイサルメールなんで捨てろと言ってジャイサルメールの伝統と文化に包丁を突き刺すことはせず、ジャイサルメールを突き刺す包丁と自由を突き刺す包丁どちらも持たせる。単純に彼女にたくさんの選択肢から複合的に決断できるようにする。そんなことはできないだろうか。もちろんその場合責任の所在は彼女に向くだろう。ジャイサルメールの人間に恨まれることになるかもしれないし、将来の彼女から恨まれるかもしれない。みんながハッピーの道を見つけられるかもしれないし、全員に後ろ指立てられる未来が待っているかもしれない。まあ彼女の決断ならそれでいいのではないか。支配的OSが価値観を統一していくことはどうしても誰かを陥れることだろう。一方で、色々なOSが人々の前に立ち現れて、それぞれが好きなものを取れる社会。こういう社会が理想かもしれないと思う。自由主義的だが、非現実的である。外部コミュニティの価値観は受容されるべきだが、それが元来の価値観と上手く共存し、マジョリティな価値観が存在的な最上位にない社会。新たな変革を受容するフレキシビリティは持ちつつも、そのコミュニティとして失ってはならない価値観を後世に伝える強靭さを持った社会。支援といった枠組みは逸脱してしまっているが、こんな社会に生きられないだろうか。いやーー陳腐な理想論だろと吐き捨てる自分もいる。

そんな社会を具体に落とすためにはどうすればいいのか、何を見ればいいのか。そんなことをしばらく考えてみようと思う。知識量は圧倒的に足りないし、自分で自分を論破できそうなくらいの脆弱な理想だが、もうちょっとだけ色々考えてみたいと思う。

ということで全11回ありがとうございました。たまにふらっと誰かが戻ってくるかもしれません。ではまた〜〜。

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PC小池が個人noteを開設します!!発信は不定期ですが、大学生の備忘録に付き合ってくれる方がいれば幸いです、笑
Ps:すみませんがこの投稿時点でまだ1本も書いてないのでフォローして待っていてくれれば幸いです、、笑

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学生団体S.A.L.とは


国際問題啓発団体を自称しているが、実態として活動の幅はより多岐にわたる。フリーマガジン制作や、ドキュメンタリー制作、インタビュー活動から教育支援活動まで、多様で幅広い活動を行う10プロジェクトからなり、長期休みには、国内外のスタディーツアーを実施している。色々な視点、色々な方法で世界を肌で経験し、自分の世界を広げることができることのできる場所である(寄稿者主観)。


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