#10 “I love my family, but I hate them.“
こんにちは。プロジェクトチーフの小池です。前回の投稿でこのnoteでの発信はラストと言っていましたが、どうしても自分の中で備忘したく、そして書きながら考えたいことがあったのでもう一つだけ投稿したいと思います。(またふらっと戻ってきて投稿するかもしれませんが、僕だけじゃなく笑)
帰国してからもう2ヶ月が過ぎたのにもかかわらず、インドの経験や記憶はまだ割と鮮明に僕の中に残っている。もちろんどんどんと日常に流されていっているのも事実で、きっとそれに根本的に抗うにはもう一度インドに行くしかないのだろう。僕はこれからも忘却の波の中にいるのであって、加速度的ではないものの、あの2週間で実感したことは僕の冬物のコートのように記憶のおしいれの奥の方、いや部屋の隅の段ボールに押し込まれるか、もしかすると捨てられてしまうかもしれない。しかし、そんな冬物のアイテムたちの中にも、僕の記憶のクローゼットの一番前にいまだに居座り、断固として段ボールに詰め込まれるのを拒否しているものがある。それについても一回ちゃんと向き合い、もし何かの拍子にそれを捨ててしまった時のために、今文章に綴ろうと思う。
本題だ、そのものとはある言葉である。題名にも綴ったが、“I love my family, but I hate them.” という言葉で、これはジャイサルメールに訪れた際に、地元の女の子から聞いた言葉だ。17歳というほぼ同年代のその女の子とは、現地のゲストハウスのオーナーが連れて行ってくれた彼の妹の誕生日会に同席し、会の後に家の屋根の上で色々話をした。たったそれだけ、でも決して薄くは無い時間を過ごした。少なくとも僕はそう思っている、。
なぜこの言葉が出たのか文脈ははっきりとは覚えていないが、いつものように僕がインドの好きなところを話し、どの街でもテンプレのように使ってきたこの街っていい街だよねという話をしている流れで、ふと僕が彼女にジャイサルメールが好きかどうか尋ねたことがきっかけだったような気がする。単純に話の流れだったからか、旅人の地元賛美に対して彼女が他の街のインド人のようにパァッと笑顔を漏らさなかったからか、今となってはなぜ僕がその質問を選んだのか忘れてしまったが、でも、彼女はその質問に対して憚るように“…No.”と答えた。その答えに身構えつつ躊躇なく”Why not?”と返したのは僕がインドに染まっていたからだろうか。話題を逸らすことくらいいくらでもできただろうが、2ヶ月前の僕はその先に踏み入った。彼女は、だって、外に出られないから。と僕に語り、続けていかにジャイサルメールの人々の、特に女性の人生は定められていて、自由に選ぶことができないかということを教えてくれた。そして、だから日本人の支援が、とか支援のお金が、などといったことを続けるのではなく、次には自由に生きるって何?と逆に僕に聞いてきたのだった。たじろぐ僕は自由意志の不自由生みたいなよくわかんないことを語り、僕の英語力を逸脱したその会話はきまづい雰囲気で終わったような気がする。自由に行きたい人間に自由に生きるということはどういうことかと問われた僕は硬直してしまったのだろう。もちろん自分が本質的に自由かどうかなんて分からないが(それが頭にあったから自由意志の不自由性の話をしたのかも?)、彼女が持つ選択肢が絶対的に自分より不足していて、彼女自身がそれを渇望していることは明確だった。
確かに、後から聞くと泊まったゲストハウスのオーナーも結婚相手がすでに決められているそうだった。本当は結婚式でベールを拭う瞬間まで妻となる女性を見れることはあってはならないそうなのだが、情報社会の網はその伝統にも覆い被さり、幸か不幸か今は友達同士でやり取りして写真を入手できるそうだ。オーナーの彼は20代半ばで、今年中の挙式が決定していた。彼が将来の奥さんの写真を入手したところとっても美人だったそうで、目を輝かせてそのことを語ってくれた。僕をたじろがせた彼女も例外ではなく、今付き合っている彼(付き合うという概念が向こうで存在するのかは不明だが西洋風にいうとそう)と結婚できることはまずないということだった。そして女性の役割は家にいることであり、それが故にあの砂漠の街から出ていくことは叶わないそうだ。これまた文脈は忘却の彼方だが、彼女に将来何になりたいと聞いた時(文脈によっては相当僕がインドに染まっていた可能性がある)、彼女は成れるなら、軍隊か警察官と答えた。理由は軍隊ならインドのどこへでもいけるから。警察官なら彼女のように困っている(困っている?そんな陳腐なニュアンスではないかもしれない)子供たちに手を差し伸べられるからだそうだ。
留意しなければいけないが、この現状に悪者はいない。全て伝統文化によるもので、ジャイサルメールの当たり前、常識なのだ。彼女の父や母のせいではない。ジャイサルメールの丘陵のように長い年月をかけて形成され、誰も変えようとすら思わない人生の前提が彼女の前に立ち現れているにすぎない。情報社会に生きる彼女は間違いなくそれをもう悟っていて、だからこそ冒頭の” I love my family, but I hate them.” という言葉が出てきたとうわけだ。
ぱぱっと書くつもりが思いのほか長くなってしまった、#11に続く、
==
学生団体S.A.L.とは
国際問題啓発団体を自称しているが、実態として活動の幅はより多岐にわたる。フリーマガジン制作や、ドキュメンタリー制作、インタビュー活動から教育支援活動まで、多様で幅広い活動を行う10プロジェクトからなり、長期休みには、国内外のスタディーツアーを実施している。色々な視点、色々な方法で世界を肌で経験し、自分の世界を広げることができることのできる場所である(寄稿者主観)。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?