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インドの歴史をざっくり説明2

ナマステ!インドでインターンをしている女子大生です👩
今回はインドの歴史(グプタ朝~ムガル帝国)を紹介していきます。

前回はインドの紀元前の歴史について触れていきました。今回はその後のインドの歴史について紹介していきます。

流れ
今回は4.5.の太字の部分の時代について詳しく説明していきます。

1. 古代インダス文明(紀元前3300年〜紀元前1300年)

2. ヴェーダ時代(紀元前1500年頃〜紀元前500年)

3. マウリヤ朝(紀元前322年〜紀元前185年)

4. グプタ朝(320年〜550年)

5. イスラム王朝とムガル帝国(1206年〜1857年)

6. イギリスの植民地支配(1858年〜1947年)

7. 独立後のインド(1947年〜現在)


グプタ朝(約320年~550年頃)


古代インドにおける最も重要な時代の一つであり、「インドの黄金時代」とも称されるほど、文化、科学、芸術が大きく発展しました。この時期、ヒンドゥー教がインド文化の中心として再び確立され、数学や天文学などの学問も大きく進展しました。

1. グプタ朝の成立

グプタ朝は、約320年に初代王チャンドラグプタ1世によって成立しました。チャンドラグプタ1世は、当時強力だったリッチャヴィ族の王女と結婚し、その結婚を通じて北インドの勢力を統合することに成功しました。彼は、グプタ朝を創始し、パータリプトラ(現在のパトナ)を首都としました。
 

2. サムドラグプタ(約335年〜375年)

チャンドラグプタ1世の息子サムドラグプタは、グプタ朝をさらに拡大させた名君として知られています。彼は多くの軍事遠征を行い、北インドの広い地域を支配下に収めました。その結果、グプタ朝は南アジア全体にわたる強力な王朝となり、彼の治世中に帝国は大きく発展しました。


また、サムドラグプタは詩人や音楽家としても知られ、彼自身が文化や芸術を奨励しました。

3. チャンドラグプタ2世(約380年〜415年)

サムドラグプタの息子、チャンドラグプタ2世(ヴィクラマーディティヤとしても知られる)の治世は、グプタ朝の最盛期を迎えました。彼は経済的・文化的繁栄をさらに進め、北インド全域を統治しました。彼の治世下で、グプタ朝は国際貿易が活発化し、特にシルクロードを通じて、地中海や東南アジアとの商業関係が強化されました。

また美術や建築の発展を奨励し、アジャンター石窟寺院など、グプタ朝時代の代表的な建築物がこの時期に建設されました。

4. 文化・学問の発展
  グプタ朝の時代は、「インドのルネサンス」とも呼ばれ、多くの文化的・学問的な成果が生まれました。

インドの数学者アリヤバータが「ゼロ」の概念を定式化し、また円周率の精密な計算を行いました。インドの数学はこの時期に大きく発展し、後のイスラム世界やヨーロッパにも影響を与えました。
 
ヒンドゥー教の叙事詩「ラーマーヤナ」「マハーバーラタ」が広まり、また詩人カーリダーサの作品「シャクンタラー」などが生まれました。カーリダーサはサンスクリット文学の代表的な作家として、グプタ朝の宮廷で活躍しました。


 
グプタ朝時代の美術は、特に仏教美術やヒンドゥー美術の分野で花開きました。特に、アジャンターエローラの石窟寺院がその代表で、仏教の壁画や彫刻が今なおその美しさを保っています。

仏教、ジャイナ教、ヒンドゥー教が共存し、特にヒンドゥー教が再び支配的な宗教として強調されました。ヒンドゥー教の神々であるヴィシュヌシヴァが重要視され、ヒンドゥー教文化の中心的な位置づけが確立されました。

5. グプタ朝の統治体制

グプタ朝の統治体制は、強力な中央集権国家でありながら、地方の領主や自治体に一定の権限を与える柔軟な体制を持っていました。各地の有力者や地方王国との同盟関係が、安定した支配の鍵となりました。

経済面では、農業が主要産業であり、国土の豊かな自然資源や灌漑技術が発展を支えました。また、金貨や銀貨が発行され、商業活動が活発化しました。

6. グプタ朝の衰退

グプタ朝は、5世紀後半から次第に衰退し始めました。特に、エフタルの侵入が、帝国の北西部を荒廃させ、軍事的・経済的な弱体化を引き起こしました。

また、後継者争いや中央の統制力の低下もあり、帝国は内部からも崩壊していきました。最終的に、550年頃にはグプタ朝は滅亡し、南アジアは再び小王国や地方政権に分裂することとなりました。

7. グプタ朝の遺産
グプタ朝は、その文化的・学問的な成果を通じて、インドだけでなく世界的な影響を残しました。特に、数学や天文学、サンスクリット文学は、後世の学問や文化に大きな影響を与えました。


ムガル帝国(1526年~1858年)


インドにおけるイスラム王朝の一つで、インド亜大陸の大部分を支配した強大な帝国です。ムガル帝国は、中央アジアのティムール朝とモンゴルのチンギス・ハーンの血を引くティムール家によって設立され、インド史において特に文化、建築、行政における大きな功績を残しました。

1. バーブルによる創設(1526年)

ムガル帝国は、1526年にバーブルによって創設されました。バーブルは、ティムール朝の王族であり、中央アジアのフェルガナを治めていましたが、領土拡大のために北インドへ進出しました。彼は、パーニーパットの戦いでデリーのスルタン、イブラーヒーム・ローディーを破り、インドでの支配を確立しました。

バーブルの死後、彼の息子であるフマーユーンが後を継ぎましたが、スール朝のシェール・シャー・スーリーに一時的に追放されました。

2. アクバル大帝(1556年~1605年)
ムガル帝国の最も偉大な君主の一人がアクバル大帝です。フマーユーンの息子であるアクバルは、1556年に皇帝となり、インド全域にわたって支配を広げました。彼の治世は、ムガル帝国の最盛期を迎え、特に宗教的寛容と強力な中央集権体制で知られています。

アクバルは、イスラム教徒だけでなく、ヒンドゥー教徒、ジャイナ教徒、キリスト教徒など多様な宗教を尊重し、異なる信仰間の平和共存を目指しました。

行政面では、アクバルは税制改革を行い、土地税の徴収を効率化しました。また、強力な軍事体制と地方総督の制度を確立し、帝国の安定した統治を実現しました。

3. ジャハーンギール(1605年~1627年)とシャー・ジャハーン(1628年~1658年)

アクバルの後を継いだ息子ジャハーンギールの時代、ムガル帝国は文化と芸術の発展が続きました。ジャハーンギールは、芸術や絵画を奨励し、ペルシャ風の宮廷文化がさらに洗練されました。

ジャハーンギールの後を継いだのはシャー・ジャハーンで、彼はムガル帝国の建築の黄金時代を築きました。シャー・ジャハーンは、インドの代表的な建築物であるタージ・マハルを建設したことで知られています。タージ・マハルは、彼の妻ムムターズ・マハルのために建てられた壮大な霊廟で、イスラム建築とインド文化の融合の象徴です。



シャー・ジャハーンの時代、ムガル帝国は経済的に繁栄し、商業や国際貿易が盛んに行われました。しかし、シャー・ジャハーンの晩年には、後継者争いが勃発し、帝国内部の不安定さが露呈しました。

4. アウラングゼーブ(1658年~1707年)

シャー・ジャハーンの息子アウラングゼーブは、1658年に権力を掌握し、ムガル帝国をさらに拡大しました。彼はデカン地方や南インドへの遠征を行い、領土を広げましたが、その軍事的成功にもかかわらず、彼の治世は帝国の衰退の始まりでもありました。

アウラングゼーブは、イスラム法(シャリーア)を厳格に適用し、宗教的寛容の政策を転換しました。彼はヒンドゥー教寺院の破壊や、ジズヤ税(非イスラム教徒に対する税)の復活などを行い、ヒンドゥー教徒や他の宗教の信者との対立を深めました。このため、帝国内の不満が高まり、反乱が頻発するようになりました。

5. ムガル帝国の衰退と滅亡(18世紀〜1858年)

アウラングゼーブの死後、ムガル帝国は次第に弱体化しました。後継者争いや地方領主の自立、さらにはマラーター族の台頭など、帝国は内部から崩壊していきました。また、帝国の軍事力は次第に弱まり、ペルシャのナーディル・シャーによるデリーの略奪(1739年)や、アフガニスタンのアフマド・シャー・ドゥッラーニーによる侵攻(1757年)が、ムガル帝国を大きく揺るがしました。

18世紀後半になると、イギリス東インド会社がインドでの影響力を急速に拡大しました。ムガル皇帝は形式上の権威を持ち続けましたが、実質的な力はなくなっていきました。最後のムガル皇帝バハードゥル・シャー2世は、1857年のインド大反乱(第一次インド独立戦争)に巻き込まれましたが、最終的にイギリスによって廃位され、ムガル帝国は正式に終焉を迎えました。


6. ムガル帝国の文化的遺産

ムガル帝国は、その支配を通じてインドに多大な文化的影響を与えました。特に建築では、タージ・マハルやアグラ城、デリーの赤い城(ラール・キラー)など、ムガル帝国時代に建設された数多くの壮麗な建築物が、インドの文化遺産として現在も評価されています。

また、ムガル絵画や、ペルシャ文学とインドの伝統が融合したムガル美術は、この時期に大きな発展を遂げました。音楽や詩も発展し、宮廷文化が花開きました。

ムガル帝国の時代に発展した料理も、現在のインド料理、特に北インド料理に大きな影響を与えています。ビリヤニやケバブなど、ムガル帝国時代に発展した料理は、現代でもインドの食文化の一部です。

ムガル帝国は、その強力な軍事力と宗教的・文化的な影響力を通じて、インドの歴史において重要な役割を果たしました。特にその文化的な遺産は、今日のインドの建築、芸術、料理、宗教にまで続いており、世界遺産としてもその価値が認められています。

まとめ

今回はインドの歴史第二弾をお届けしました!徐々に現在のインドにも残る文化や遺産などが出てきて、だんだんと現代のインドへと地下図いてきているような感じがしますね。

次でインドの歴史シリーズはラストになります。これから100年ほどで世界はまた大きく変わるので、ぜひ楽しみにしていてください!

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