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『デーヴィド 二つの物語』トリヴィア/インディアンムービーウィーク2021

インディアンムービーウィーク2021パート3上映作品『デーヴィド 二つの物語(原題:David)』のトリヴィアを紹介します。結末に触れる内容はありません。

デーヴィド タミル語版ポスター

『デーヴィド 二つの物語』は2013年のタミル語映画。監督のビジョイ・ナンビヤールは、マハーラーシュトラ州ムンバイ生まれだが両親はケーララ人。これまでの活動の中心はヒンディー語映画で、特に長編デビュー作の『サタン(Shaitan)』(2011、未)は高い評価を得ている。

(左)タミル語版ポスター (右)ヒンディー語版ポスター

長編第二作目の『デーヴィド 二つの物語』は、ヒンディー語とタミル語とで内容を変えて撮影され、同時に公開された。ヒンディー語版の方は、ニール・ニティン・ムケーシュ主演のロンドンを舞台にしたセグメントがあり、「三つの物語」となっている。ムンバイとゴアを舞台にしたセグメントは、タミル語版と概ね共通だが、キャストとストーリーの一部に相違がある。

『デーヴィド 二つの物語』より

タイトルが示す、デーヴィドという名の二人の主人公はキリスト教徒。ビジョイ監督のルーツであるケーララ州ではキリスト教徒を主役にした映画は少なくないが、タミル語で作られるものとしてはかなり珍しい。本作が公開された2013年2月には、マニラトナム監督によるキリスト教徒の漁師を主役にした『Kadal(海)』も同日に封切られ、なぜかタミル語映画界で「クリスチャン映画対決」が起きたのだった。

『デーヴィド 二つの物語』より 

1999年のムンバイに生きるデーヴィドは19歳、2010年のゴアに生きるデーヴィドは30歳。どちらも1980年の生まれということになる。この二人の人生のそれぞれの局面に、旧約聖書のダビデ王のイメージが薄っすらと重ね合わされる。具体的なエピソードは、『サムエル記』上17:41-54にある、「ダビデとゴリヤテの対決」、そして『サムエル記』下11:1-26「ダビデと、ウリヤの妻バト・シェバ」だ。どちらも、聖書の物語をそのままなぞったものではないが、映画中のシーンにダビデの物語の名場面が浮かび上がる。

旧約聖書〈5〉サムエル記/ 池田 裕 (翻訳), 旧約聖書翻訳委員会 (翻訳)/ 岩波書店刊

本作にはまた、『ジャッリカットゥ 牛の怒り』により日本でも名前が知られるようになったマラヤーラム語映画の作曲家プラシャーント・ピッライがプロデュースし、様々なバックグラウンドの音楽家が競作したミュージカルとしての魅力もある。既に発表された非映画音楽を見つけ出して映画のために再アレンジしたものを交え、複数アーティストの曲で1本の映画のサントラをまとめるという手間のかかる手法は、ビジョイ・ナンビヤールの全作品に共通する。

「生とは幻影(Vaazhkaiye)」は本作全体のテーマソング。係留されたボートの船底が軋む音に乗せて「あなたは私をどこに導こうとしているのか」と神に対して問うような歌詞。作曲・演奏担当のブラムファトゥラは、シドニーで出会ったマークとガウラヴが結成したエレクトロニック・ダンス・ミュージックのユニット。ボーカルのシッダールト・バスルールはカルナータカ出身のボリウッド歌手。

「魚売りのマリア(O Maria Pitache)」「灯台のシンフォニー(Light House Symphony)」は、インドの非映画音楽系ポップミュージックの草分け的存在のレモ・フェルナンデスによるもの。ゴア生まれのレモは、ポルトガルの影響を受けた同地の音楽をポップに展開してきた。「魚売りのマリア」は、ゴアと同じくポルトガル領だったダマン(ダマン・ディーウ連邦直轄領)のフォークソング。ゴアの人々の間でも愛されている曲で、本作サントラのために一部の歌詞をタミル語にしている。そのタミル語部分の歌唱はヴィクラム自身。また酒場のバンドのボーカリストとして、レモ自身も出演している。

「相棒 どうした 相棒(Machi)」は、ムンバイを拠点とする4人組のパンクバンド、モダーン・マフィアによるもの。2012年にリリースされた彼らのEPアルバム「Random Sheep」の中の英語曲「Arnie」が、タミル語とヒンディー語の歌詞をあてがわれて、本作およびヒンディー語版のサントラとなった。モダーン・マフィアの4人は、ムンバイのデーヴィドが生活のためにレストランで演奏する場面のバンドメンバーとして出演もしている。ムンバイのデーヴィドがギタリストという設定は、旧約聖書のダビデが竪琴の名手だったという記述を思い起こさせる。

「どこまでも続く天空(Theerathu Poga Poga Vaanam)」は、古典とモダンをフュージョンして創作するマーティバーニによるもの。マーティバーニは、ヒンドゥスターニー声楽(北インドの古典音楽)を学んだニラーリーと作曲家のカールティクのデュオ。意表をつくフランス語のリフから始まるこの曲は、2012年に発表されたアルバム「Maatibaani, Vol. 1」の中の「Tore matwaare naina maare」を本作のためにタミル語化し、カルナーティック声楽(南インドの古典音楽)風要素も加えてアレンジしたもの。歌詞は、クリシュナ神の訪れに歓喜する牧女ゴーピーの心を歌ったものと解説されている。

「お月様 俺と一緒に来るのかい(Iravinil Ulavavaa)」は本アルバム中唯一の正統派ロマンチック・デュエット。マラヤーラム語映画『ジャッリカットゥ 牛の怒り』の音楽担当でもあるプラシャーント・ピッライは環境音楽的な音作りのイメージが強いが、この曲のように古典的な映画音楽にも優れた手腕を見せている。

「心よ 燃えたぎるものに触れろ(Oh Manamay)」は、アクションシーンのバックに流れる。この曲もプラシャーント・ピッライによるもの。「無体な仕打ちを受けたなら反撃のために立ち上がれ」と鼓舞する歌詞は、最後には仏陀を持ち出してきて驚かせる。高名なパーカッショニストのタオ・イサロの刻むリズムが効果的。

「夢よ なぜ砕け散るのか(Kanave Kanave)」は、現在のタミル語映画界でサントーシュ・ナーラーヤナンと並びトップの位置にあるアニルドの作曲。本作公開の前年にタミル語映画『3』でミュージックディレクターとしてデビューして人気急上昇中だったアニルドが、ここではボーカルも自ら担当し、ソウルフルに歌い上げる。

「糸の切れた凧のように(Out of Control)」は、賛美歌を思わせるコーラスで、本作サントラ中唯一の和声を使った西洋音楽。静けさと諦念をたたえた歌詞が印象的。作曲のマイキー・マクリアリーはニュージーランド生まれで、ムンバイを本拠地として、ヒンディー語映画音楽、広告音楽など幅広く活躍する。日本公開作品では他に『ガリー・ボーイ』の「Jeene Mein Aye Maza」を共同作曲している。

キリスト教に詳しい人の中には、本作を見てカトリックとプロテスタントの境界が曖昧なことに気付かれるかもしれない。これは映画製作者がキリスト教の世界に無知だからという訳ではなく、劇中にあるキリスト教徒攻撃のシーンのように、デリケートな問題を含むため、敢えてぼやかしたという解釈ができる。例えば本作に教会堂というものが登場しないのも、その配慮のひとつと思われる。またインドではカトリックの神父、プロテスタントの牧師、どちらに対してもfatherと呼びかけるということにも留意しておきたい。

【作品情報】

デーヴィド 二つの物語(原題:David)

©Reliance Entertainment

旧約聖書の物語に重ね合わされた、2人のデーヴィド
1999年のムンバイと2010年のゴア、異なった時代の二つの土地に生きる、デーヴィドという2人のクリスチャンの男。ムンバイのデーヴィドは台頭するヒンドゥー原理主義に直面し、家族に対して加えられた暴力に打ちひしがれる。ゴアのデーヴィドは、呑気に遊び暮らす中で、過去のトラウマが原因で消えていた恋心が再び芽吹きはじめ、心が騒ぐのを抑えきれない。対照的な2人の生き方に、旧約聖書のダビデ王の物語がうっすらと重ね合わされる。

監督:ビジョイ・ナンビヤール
出演:ヴィクラム、ジーヴァ―、タブー、ナーサル、ニシャン、イーシャー・シャールワーニー、ラーラー・ダッター、ローヒニー・ハッタンガディー、ジョン・ヴィジャイ
音楽:プラシャーント・ピッライ、アニルドほか
2012年/ タミル語/ 127分
映倫区分:G
©Reliance Entertainment

▼上映情報は、IMW公式サイトにてご確認ください。



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