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いちばん悩んだ中学進学①「自閉症・情緒障害支援級」という表現に感じた壁

夏休みまえ。
そろそろ「中学のこと」についての話がちらほら出始めている時期ではないでしょうか?
校内に通級クラスがなかった子ひつじは、近所の小学校に週イチで通級のお世話になってましたが、進学する中学には校内で支援級があるというので、ははひつじは特に何も意識せずそのままお世話になる気満々でした。

しかし、通級の先生から色々話を聞いていくうちに、小学校の通級とはシステムが違うことが判明。それがこちら。

・朝と帰りは支援級で過ごす
・移動教室の時は荷物を取りに帰る
・入学式/卒業式は支援級として参列
・卒業アルバムも支援級として扱う
(希望があれば交流級も可)

所属クラスの軸足に関しても、小学校の頃は、自分のクラスから、支援級に通級していたのですが、中学だとそれが逆で、支援級での生活をベースにして、通常級(呼び名は交流級)に通級する、というものだったので、その時点でなんかこう、そのシステムで交流級に馴染めるのかな、と不安に思ったのでありました。

そして、ははひつじの迷いに拍車をかけたのが、

「自閉症・情緒障害支援クラス」

という、非常にどストレートな名前。
通称「11組」なので、生徒たちからこの名前で呼ばれることはないにしろ、このクラスに軸足を置くということは、看板をぶらさて校内に周知しまわるのと同じじゃん?
と思った次第なのであります。

いや。幼少期より、ADHDであることはオープンにしてたし、お世話になること事態に抵抗はない。
しかし、多感であろうこの年齢に、ちょっとデリカシーない表現じゃない?
いやいや。
この名前を壁に感じてしまうなんて、自分に覚悟が足りないのか、それとも自分が一番差別意識持ってんじゃないのか。
いやいやいや。
そこに放り込まれる子ひつじ本人の身にもなってみよう。友達大好きな子ひつじのこと、絶対みんなと過ごしたいって言うに決まってる。
うーん。選べぬ。

など、心の選択肢の「はい/いいえ」を行ったり来たりして、いろいろ考えてしまい、悶々とした夏を過ごすのでした。

尚、「自閉症・情緒発達支援クラス」という言葉をネガティブに捉えている描写があることに賛否あるかと思われます。

ただここは素直に正直に、当時の1人の母親としての感情を素直に表記いたしました。

幼少期から慣れているとはいえ、やっぱりど直球な現実を突きつけられると、動揺するものです。ただ、これをストレートに表現するのも避けて通れる道ではないなと感じたので、言葉の重さに逃げずに向き合ってみました。

最終的には、自閉症・情緒障害支援クラス」を選択するわけですが、どう決意したかなどは、次のお話で。

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