見出し画像

ガーシー除名で思った、「なにかやってくれそう」で投票するのはやめようというお話。

72年ぶりの除名

NHK党のガーシー参議院議員が国会をサボったということで2023年3月15日に議員を除名になった。

過去に除名処分になった議員は2名(1950年に小川友三参議院議員、
1951年に川上貫一衆議院議員)で、ガーシー氏は3人目ということになった。過去の2例はいずれも戦後の日本が焼け野原から立ち直る時代の出来事であり、除名がいかに異例かということがわかるだろう。実際、今回の処分は一度は「議場での陳謝」でまとまったものの、それをガーシー氏が拒否したため、除名になった経緯がある。

そもそもなぜガーシー氏が国会をサボったかというと、単純に「警察に捕まりたくないから」という話である。氏は除名騒動になる以前から警察にマークされており、除名翌日の16日に警察は暴力行為等処罰法違反などの容疑で逮捕状を取った。今後は国際手配や旅券返納命令などの手続きを踏むと見られていて、スムーズに身柄を日本へ戻せるかというところが焦点になるだろう。

彼の得票は結構多い

ガーシー氏は2022年の参議院選挙でNHK党から出馬して当選した。得票数は287,714票である。この得票数は他の主要政党の比例代表候補者に混じっても中上位に位置する票数で、特定の支持組織を持たない候補者としてはかなり多い部類に入る。

この得票に「遊び半分で入れたアホウは反省せい!」という主張もネット論壇では盛んだ。だが、私はこの意見は半分賛成半分反対というところである。

ガーシー氏に入れた有権者の中にはもちろんふざけ半分で投票した人もいるだろうが、「閉塞感のある日本の政治をなにか変えてほしい」という願いを込めて投票した人もいるはずだ。その思い自体を否定することはできないだろう。思いを託す対象が間違っていたというだけのことだ。

そう、ガーシー氏はその思いを受けるに値しなかったのである。

結局アンタ、保身でしょ?

ガーシー氏は国会のオンライン参加を主張していたが、それは国会を改革したいというわけではなく、単に警察に捕まりたくないので、警察の手の届かないところから参加できるようにしろという自分本位な理由であろう。

つまり有権者のことなどこれっぽっちも考えておらず、自分の保身しか考えていないのだ。彼はよく旧来の国会議員を議会で寝ているだなんだと批判しているが、警察から逃亡し仕事をサボっている彼が言えたことだろうか。

つまり、国会議員としては全くお話にならない人物であったわけだ。そんなことはわかりきってただろうという読者もいるだろうし、期待をかけていたのに残念だという人もいるかもしれない。皆さんの認識はどうだろうか。

ガーシー事件が突きつけた教訓

さきほど「閉塞感のある日本の政治をなにか変えてほしい」という思い自体は否定出来ないと書いた。ただ、何をどう変えてくれるのかということを国民一人ひとりがきちんと突き詰めないと、ガーシー氏のような人物の当選を許してしまう。それが今回国民に突きつけられた大きな教訓だと思うのだ。

ガーシー氏に「なにかやってくれそう」と思った人は、具体的に何をやってくれるかというイメージをしただろうか。おそらく多くのひとが人がほとんど何もやってなかったと思う。その結果「なにかをやる」は「海外に逃亡して国会をサボる」になってしまったのだ。

「なにかやってくれそう」で投票していませんか?

ガーシー氏は極端としても、選挙では「なにかを変えます」というイメージで立候補し共感を集める候補者が古今東西たくさんいる。なかには多くの支持を集め権力を握る政治家もいた。

だが、具体的に何をどう変えるのか、それは本当に可能なのか、それによって我々の生活はどう変わるのか、それは往々にして国民は政治家に丸投げしてきたのではないだろうか。その結果は国民がかぶることになってしまうのである。

政治家は国民を映す鏡

私は国会に座っている政治家は「国民を映す鏡」であると思っている。我が国で政治家を選ぶのは国民なので、愚かな政治家が国会にいるということは、国民が愚かだということだ。

先程述べた「この政治家は日本の何をどう変えるつもりなのか」ということを一人ひとりがきちんと考えるだけでも、政治家は変わっていき日本も変わっていく。面倒でも選挙でそれをやるクセをつけていくことが大事だと思うのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?