貝殻 其の三

ある時、今度こそ行こうと思って
前の日はちゃんと早く帰った

朝、車で行こうと息子に言うと
友達と約束したから自転車で行くという
いつも行かないんだから仕方ないでしょ

妻に言われ、もっともだった
別々に家を出ることになった

場所は近くの河川敷だった
試合は11時からだったが
寄るところあるからと早く出た

じゃあ、向こうでな
うん

息子は目も合わさずに返事を返した
それが最後の会話だった

その日は7月で朝から暑かった
河川敷に一旦車を止めて
土手を超えて近くのパチンコ屋に入った

涼しく冷やされた店内にほっとしながら
このくそ暑い時期にサッカーさせるかね
と呟きながら台に座る

打ちはじめるとそういう時に限って
出るもので
あっという間にドル箱が積み上がった

試合時間前、ギリギリまで打って
後ろ髪を引かれながら、換金を急ぎ
慌てて河川敷に戻った

緑に白のユニフォームが息子のチームだ

だが、試合前だというのにグラウンドには
子供の姿はなく、監督らしき人が
何か相手チームや審判と話しているのが見える

グラウンドの向こうにも駐車場があり
ようやくそこに息子チーム数人を見つけた

近づいていくにつれ、
何か普通でないことはわかった
嫌な予感がして、走った

母親の一人が携帯で電話している
その周りを5、6人の大人が
取り囲んでいる

ひとりに声をかけようとしたとき
携帯がなった
妻の携帯からだったが
電話を取ると違う女の声だった

もしもし、卓也くんのお父さんですか
奥さんの代わりにかけてるんですけど

卓也くんが
事故で、

向こうがそう言った瞬間
心臓が大きくドクンと鳴った

無事なんですか!卓也は!

電話を取り囲んでいた大人が
一斉にこちらを振り返った

同情の視線が事態の深刻さを
物語っていた。

電話しながら車に向かって走り出した
車に飛び乗ると、すぐに病院にむかった

河川敷から土手沿いに走って国道に出る手前
ふらふらと歩く老婆を轢きそうになる
ハンドルを握り直し、
またアクセルを踏み込んだ

でも、ついた時にはもう亡くなってたよ
病院に運ばれた時点でもう
あかんかったらしいですわ

頭に包帯グルグル巻かれててね
動かんかった

オレがねパチンコ打ってる間にね
死んだんよ、あいつ

良治さんの顔を見ないようにしていたけど
泣いているのはわかる

車で行っとればね
あん時だけじゃなくてね

僕らは壁面が波のリズムで明滅するのを
眺めていた

波の音だけが響く

沈黙がしばらく続いた後、聞いてみた

ここには息子さん連れて来たんですか

良治さんは、間を置いて、鼻を啜ると
時計を見ながら続けた

うん、一度だけね
あんまり小さい時は危ないからね
最後に来た時に連れてきたんよ

オレ、言葉変でしょう
母親が関西の出でね
内地ではじめて一人暮らししたのも
大阪だった

そのあと、東京出て、世帯もったけど
結局、島に戻ってきたんよね
何がいいんやろね

でも、離れても盆暮には帰ってきてね
息子でも出来たら潜りでも教えようと
思ってたけど、あんまり息子は
泳ぎは好きじゃなかったみたいでね

ここは気に入ってたよ
きれいだろ、って言っても
うん、しか言わなかったけど

良治さんは岩から降りてしゃがみこむと
落ちていた貝をひとつ拾った

これね、磨くとピカピカになるんよ
磨くのにコツがあるんだけど

それは手のひらに乗るような巻貝だった
洞窟の中では真っ黒に見える

僕は同じ種類の貝殻を拾い上げて
岩の上に置いた

良治さんはそれを見ながら

そろそろ、戻った方がいい時間ですね

と言って、戻り出した

僕はもう一度、
輝く岩のドームを仰ぎ見てから
洞窟を出た

車の窓を開けて、風になぶられながら
船着場に戻ると、もう船が来ていた

良治さんは船まで荷物を持ってくれた

僕は

お世話になりました

と頭を下げた

いや、こちらこそ
最後すみませんね、なんか

乗船がはじまる
僕のほかには、老人と孫娘の二人と
太って眼鏡をした釣り人風の男がひとり

僕も彼らに続いて船に乗り込んだ

また来てくださいね

はい

だが、もう来ることはないことを
僕は知っている

多分、良治さんも

エンジンがかかる
舫が解かれて船は動き出す

良治さんと僕はお互い軽く手を振ったあと
黙って突っ立ったまま向き合っていた

二人の間に流れこむ海が広く大きくなる

やがてお互いが小指ほどに小さくなると
良治さんは背を向けて、乗ってきた軽に
戻って行った

車は動かず停まったままだ

やがてそれも見えなくなった


フェリーが乗り継ぎの島を出るまえに
宿から電話がかかってきた

舞だった

鍵忘れたでしょう
部屋に落ちてたよ

フェリーはもう出るし
引き返すわけにはいかない

舞に家に送ってもらうように頼んでから
管理会社に連絡して、合鍵を手配した

フェリーが出港した
竹芝につくのは夜になる
僕はただ白い航跡をぼんやりと眺めていた

その夜、合鍵をピックアップして
家に帰ると、どっと疲れが出た

夜、島の夢を見たと思う
内容はよく覚えていない

翌日出社すると溜まった仕事が
待ち構えていた
1週間が瞬く間に過ぎた

休日、郵便受けを見ると
宅配の不在票があった
舞からだ
再配達してもらった

届いたそれは、
鍵にしては大きな箱に入っていた

開けると中には、鍵の他に
ピカピカに磨かれた貝殻が
寄り添うように入っていた

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