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インクルーシブ教育の前提となるインクルーシブ保育

先日、大阪府で50年近く障害児共同保育に取り組んできた保育園の保育者と同園を研究する研究者が登壇する学習会に参加いたしました。
★ 障害児共生保育の交流学習会1~『保育を含めた就学前の共生』
私自身は、専門が学校教育(義務教育レベル)なので、就学前の取り組みについて研究の場で知ることが稀であることもあり、大変興味深く学ばせてもらいました。

同園の取り組みは、現在「インクルーシブ保育」と呼ばれるものの先駆けとなるもので、学習会では現在の園の日常や大切にされていることなどが話され、議論となりました。園の実践を詳しく知りたい方は、『はらっぱ』(子ども情報研究センター機関誌)の2024年6月号から始まる連載をご覧ください。

学習会で話されたのは、どのような障害のある子どもも受け入れ「育ちあう」場を「子ども主体」でつくっていく実践でした。異年齢の縦割り活動を重視した保育の活動では、子ども主体の遊びや自己表現を中心にすえ、特に大事にされていたのは、子どもたちの「つながり」であったと思います。

同年齢の子どもたちの集団のなかで、排除されている仲間はいないか、もし、参加できていない仲間がいたらどうしたらいいか、子どもたちが輪になって話し合い、意見や気持ちをきちんと伝える、そんな場づくりが日常の中に取り入れられているとのことでした。また、園の先生は「子どもたちがそれぞれ失敗できること」も大切だと話されていました。

この園で大切にされていること、すなわち、お互いに違いのある仲間の楽しい生活や遊びの中で、子ども主体で誰も排除しない仲間づくりをめざしていること、そのような日常の中での「育ちあい」が重視されていることが、私にとっては「インクルーシブ教育(保育)」の本質を表しているのではないかと感じられました。これは、私がnoteの別の記事で書きました「共に生きることを学ぶ権利」を保障することでもあると思います。

そして、障害のある子も他の子どもも「育ちあう」関係性が築かれた状態で、一緒に地域の学校に就学していくことこそが、小学校以上のインクルーシブ教育の大切な前提(ないしは土台)となると感じました。もっといえば、インクルーシブな社会に参画するための出発点であり土台なのだと言えるかもしれません。

そして、これらが、学校の「インクルーシブ教育」が学ぶべきであると感じますが、同時に、そうしたものを育むうえで制約となる構造的な問題が、学校の中に極めて大きいことに逆に気づかされます。なぜ、この園のような「育ちあう」ための活動や場づくりが、一般的な学校では難しくなっていくのか(カリキュラムや集団編成の仕組みなどが大きいと思いますが)立ち止まって考えると、いろいろと見えてきます。

インクルーシブ教育の前提としての「インクルーシブ保育」の重要性については、また稿を改めて書きたいと思います。




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