大相撲力士の親として②三役
今年で次男が大相撲の世界に入門して5年になります。
大学3年生の時に中退、10か月のブランクを経て21歳での入門は力士にとっては遅めの角界入り。
27歳になった今、ようやく幕下上位で相撲を取れるようになりました。
もう少しで目標の「関取」、日夜努力を重ねる息子に「期待はせずに応援するだけ」と自分自身に言い聞かせて過ごす日々です。
思い起こされる11年前
今から11年前、現在力士の息子が中学3年の秋口、現在お世話になっている部屋の親方から大相撲の世界への熱いお誘いをいただいていた。
息子もまんざらではなかった様子、学校でも一躍話題になっていたようだ。
しかし一方で大相撲の世界は激動の時代を送っていた。
「八百長事件」「野球賭博事件」など大相撲の永い歴史の中でも最大の危機に立たされていたころだ。
部活動の顧問の先生は、日曜日になると心配して自宅を訪問してくださり、私たち夫婦と一緒に次男の進路を考えてくれた。
「こんな闇の多い世界に入れたら大変だ」「いや、こういう問題が露呈して逆に良くなるんじゃないか」などなど皆で真剣に考えた。
一抹の不安
当時親方は、今預けてくれたら「三役にはなれる」
ピラミッドの上から2番目以降,大関・関脇・小結という地位を三役という。
基本的に横綱は象徴のような存在なので、他の力士とは一線を画している。したがって三役まで到達すれば大相撲の世界では大成功者といえる。
プロの親方から、そういわれたので私も息子も少しその気になりつつあったが、私には一抹の不安があった。
同年7月に行われた近畿大会で、息子は兵庫県代表の一年生の子にあっさり負けてしまった。
続いて8月に両国国技館で行われた都道府県大会でも青森県代表の一年生の子にこれまたあっさり負けてしまった。
わたしは相撲の技術的なことは分からないが、このままプロの世界に飛び込んで、息子は通用するのか?と不安を感じた。
苦肉の進路変更
結局、息子には地元高校に入学させる進路を選ばせた。
息子は渋々ではあるが納得した。
妻は息子が「望むなら」と相撲入りにも賛成するつもりだったようだが、父親の私は最初から「大相撲入りは反対」だった。
厳密には「今は」という注釈がつくが、とにかくその時点では反対だった。
たしかに、「大相撲界の問題」があり、「続けざまの一年生相手の敗戦」もあったのだが、最大の理由はそんなことではなく、
只々、15歳の息子を厳しい世界に入れる勇気がなかった。
「力士にとって怪我や病気はつきものとはいえ、辛い中、看病もできない」
さらには中学出たての自分の息子が「稽古がつらくて脱走して、どこかで途方に暮れていたら・・・」などと考えると、胸が痛くなってくる。
「もう少し手元に置いておきたかった」
というのが本音だ。
しかし、同年で中学卒業と同時に入門した若者はたくさんいる。
現在幕の内で活躍する力士もいれば、幕下以下で頑張っている力士もいる。さらには、大相撲の世界をすでに去ってしまった人もいるが、11年前にこの世界に飛び込む勇気。本人も親御さんも大変な覚悟だったと思うが、私には同じ事は出来なかった。
続く