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【韓非子】 書評#91

みなさん、いつもお世話になっております!
本日は、私の投稿の軸とする一つ「本」「読書」に関して書かせていただきます。

自己紹介に書いたマイルールを守りながら、私の大好きな本について書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします!

今回は、中国古典!
諸子百家の学派の一つ、法家思想についてです。

ヘッダーは、なかちろさんの作品を使わせていただきました!

矛盾という言葉の原典は、この韓非子です。
まさに本作にドンピシャですので、使わせていただきました〜
ありがとうございます!!


目次


基本情報

西川 靖二(著)
角川学芸出版 出版
2005年3月25日 第1刷発行

全254ページ
読書所要期間5日

購入先

本書ももちろんバリューブックスさんです!!
社会への貢献具合が半端ない!!
いつもありがとうございます!!

私が本書に出会うきっかけ

本書はかなり前に購入し、長らく積読していた。
よって、どういったエピソード・背景があって手にしたかは全く覚えていない汗
しかし、これまで本書のシリーズである「ビギナーズ・クラシック 中国の古典」ではこれまで、「論語」「孟子」「大学・中庸」「墨子」を読んできたと記憶しており、おそらくは四書以外のものへ徐々に広げていこうと思ったのであろう。

そして韓非子は「法家」である。
厳格な方による支配を主張した人物であるが、マンガ「キングダム」にも法の重要性がかなり冒頭に出てきていた気がしている。
その辺りを学べるのは、とても興味深いことである。

この本の本質

めちゃくちゃざっくり言えば、「韓非」の考え方について、そのバックボーンとなる時代背景を踏まえて説明してくれるもの。

著者のメタファーが非常に興味深く、心を惹きつけられる。
本書を
「冒険」
「至れり尽くせりの観光ツアーではない」

と表現しているのだ。

つまり、本書を足がかりにして、そこからさまざま考えていって欲しいという願いが込められていると感じた。

これこそが学びだ!

私が感じたこと

1点目 〜大企業あるある

大企業や公的組織においてよく見られると思うが、法を含めたルールがしっかりしていて、ある種自動的に、効率的にモノゴトが回っていくことがシステム化・仕組み化されているということが多々あるのではないだろうか。

いわゆる組織論における官僚制組織は、まさにこれを趣向して開発されたものだろう。
それはそれで素晴らしい、考え抜かれてシステムであるということは言うまでもないだろう。
しかし、官僚制の逆機能と言われるように、それが逆にアダとなって思う方向に機能しないということも指摘されている。
官僚制組織とはむしろ、この逆機能の印象の方が強いのではないだろうか。

この現象は、いったいなぜ起こるのか?

韓非子を学ぶということは、ある種これを学ぶための大変良い題材ではないかと個人的には考えている。

私なりの結論としては、そこに「人の心」「人の気持ち」を考慮できていないからではないかという仮説を持つに至っている。

みなさんは、いかがお考えだろうか?
ぜひ、本書を通して考えてみていただきたいと思う。

2点目 〜法家思想における人間観

1点目と似たような話になるが、法家はあくまでも平均的人間をその対象としている。
儒家は「人は善をなすべき存在」とみなすのに対し、法家は「全ての人間がそうではない」という、性善説とか性悪説とかそういった倫理的なところには意味がなく、あくまでも中庸・ニュートラルに人間を捉えるということをベースにモノゴトが考えられている。
人間機械論的発想とでも言えるだろうか。

君主の座を巡って、平気で殺し合う時代。
家族を信じることができない時代。

そんな時代において人間は、「利」でしか行動しないというのが韓非の結論なのだろう。
どちらかと言えばこれまで儒教側を支持してきた身としても、時代背景を考慮すれば、全くもって全面的に暴論、とまでは言えないのではないと考える。

むすびに(まとめ)

法家思想とは、厳しく法を遵守する、つまり、例外なく罪を適用させることで皆を従わせ、結果として平和や幸せを実現するという性格を持っていると感じる。

また、君主と臣下の関係性について、この韓非子では特に注目して構成されているように感じた。
しかしこれは、本書(著者)の構想・構成かもしれないので、今後も引き続き勉強していきたいと考えている。

いずれにしても、
・心をドライに、冷徹に、
・決められたことを徹底的に実行する

というイメージを当初持っていたが、やはりこれからは離れられないように感じた。
この点についても、今後の勉強の課題としていきたいと感じている。

法が追いつかないVUCAの時代においては、法家敵思想と儒家的思想の双方をバランスよくもつことが重要、つまり、法に基づきながらも、人として企業として、
「社会全体に対して善なる行いであるかどうか?」
という判断軸を自分の心の中に持つことが求められているような気がする。


以上です。

これまで儒教を中心に色々本(中国古典)を読んできました。
法家思想はある種、儒教思想と対立する、相反する考え方として位置付けられているとした時、信じるもの・好きなものとあえて逆を知る、考えるということは非常に重要なことなんだなぁと、本書を通じて感じることができました。

どっちが良いとか悪いとか、そういった話ではなかったということです。
大変学びになりました。

本日も、ご覧いただきありがとうございました!!

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