僕が田舎で農業をしている理由 なぜ自衛隊の音楽隊から農業なのか~2~ 東日本大震災編
前回投稿からだいぶ日数が立ってしまいました。なのでおさらい程度に前回の記事もご覧ください。
東日本大震災発災後すぐに現地に向かうことになりました。高速道路を使っての移動でしたが道路に亀裂が入っており、通れない区間は下に降りてまた高速に乗っての繰り返しでした。到着までは一日かかりました。
現地に近づくにつれてだんだんと被災地の状況が見えてきました。津波の影響がテレビではなく眼前に現れてきました。災害派遣は初めての体験でした。19歳の自分には衝撃的な環境でした。
派遣先は東松島の野蒜地区という地区で次の日から捜索活動が始まりました。その地区は被害が酷く家の土台以外はすべて流されているという状況でした。初めは救出活動を行い72時間後からは捜索活動になりました。
筆舌尽くしがたい状況でした。そんな中ここで亡くなった方はきっと亡くなることを想像していなかったと思います。きっと明日も明後日も何年後も生きると思っていた方々だと思います。
自分が明日死んだとして自分は後悔しないような人生を送ってこれたのか…
自分を育ててきた人や、地域に何か恩返しはできたのか…
そして自分は自分たちの後世に何か残すことはできたのか…
自問自答しました。
まだまだできてない
その時田舎に戻り実家で営んでいた有機農業を継ぐことを決意しました。そして後世に何かわからないけど残したい。と考えるようになったのです。
しかし、自分が仕事にしたいと考えて就職した自衛隊音楽隊で精いっぱいやってから有機農業をしようと考えました。
様々な被災地や、避難所に行って演奏も行いました。涙を流して喜んでくれるような方々も多く、とても良い経験でした。5年間自衛隊で働き、その後すぐに実家の有機農家を継ぐために田舎に戻ったのです。
しかし、そこから農業の厳しさを知りました。栽培方法がわからないのです。農家というのは基本的に肌感でやっており数値化、見える化していないので父親がやっていることがなにをしているのかわからないのです。
このくらいはこのくらいというのが農家の実情で、このままではうまくできない…
農業をしっかりと体系化したところで学びたい…
そんなことを感じていた時に知り合いの種屋さんからお話が来ました。
「タキイ園芸専門学校に行ってみないか?」
桃太郎トマトなどで有名な「種のタキイ」種苗会社が農家のせがれ向けに専門学校をやっているということでした。
行ってみたい…
そうは思ったのですが、場所は遠く滋賀県に専門学校があり行くのであれば1年間男子全寮制の学校ということでした。
農業の最先端を学べる…しかも、授業料は無料…関西は住んだことがなかったのでますます魅力的に感じいくことにした
年齢制限があり24歳というタイミングはギリギリ今行くしかない。
そして、その後タキイ園芸専門学校の大変さを知ることになる…
今回は農家になった過程を描きたいと思ったので自衛隊内でのエピソードは少ない(ほとんどない)ですが、もしご要望があれば書きます!!(笑)
ちなみにタキイ園芸専門学校はこんな感じです。
ではまた頑張って書きます。よろしくお願いします。
いなかまこーでした。
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