広辞苑に載ってない日本語①:どこぞの達磨の縁の下
当然ながら広辞苑はすべての言葉を網羅しているわけではない。
言葉は無尽にして常に新しく生成され続けている。
歴史の途上に置き去りにされた言葉たちも現代の辞書には掲載されていない。しかしそういった言葉の中には何ともいえない滋味深い情緒をたたえたものがある。
今日紹介したいのは、「どこぞの達磨の縁の下」という表現。
どこ行くの、と聞かれて、なんとなく答えたくない時がある。そんなときに使える言葉。
「ちょっとどこぞの達磨の縁の下まで」と言われたら、それ以上追及してはならない。
洒落っ気と強引さがいかにも江戸の言葉らしい。
ところで縁の下といえば要するに床下ということであるが、達磨の床下とはどういうことか。字義通り想像しても愉快な光景ではあるが、私は最初この言葉を目にしたとき、字面から縁の下は「えにしのもと」だと感じた。達磨大師のような偉い坊さんが結ぶ、我々庶民にははかり知れぬ縁のもとに参るので、あっしも分かってねえんだから聞かねえでくんなという、圧倒的存在を引き合いに出して主語をweにしてはぐらかすような表現なのではなかろうか。
会社で離席するときには通用しないと思うので注意。