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Siretok

Siretokは「シル(/リ)エトク」のような発音になる。知床の語原となったアイヌ語である。色々な訳し方があるが、「最果ての地」という訳に最も旅情を掻き立てられる。

掻き立てられた旅情を持て余し、ついに昨年八月に知床へ飛んだ。

半島中腹の北西側にあるウトロという町の温泉で旅の疲れをいやしつつ、知床制覇の目論見をたてる。制覇と言ってもあまりにも長大かつ危険なこの半島を徒歩で周るのは手に余るので、船の力を借りて半島の先端、もともと「最果て」と呼ばれていた地点を見て戻ってくることでお茶を濁すことにした。

翌朝、夏の北海道の空気はからっと天まで抜けて雲一つない。船の発着場に行くと活気があり、いやが上にも高揚感が増す。自動販売機で茶を買い、10人乗りくらいの船に乗り込む。船は思っていたよりもかなり速く、ものの一分でかなり景色が変わった。寂れた港町の景色は遠く去る。厳厳たる岩壁がそびえ立ち、その上に古い森が鬱蒼と繁る。我々はかなり沖を航行していたが、エトピリカという鳥が船まで出迎えに来てくれた。「美しい嘴」という意味の名を持つ、北の大地にあってどこか南国的な鳥である。幸先の良さを感じつつ、どこまでも果てしなく続く半島の先を眺めてゾクゾクする。

船には客の他に船頭とその父親らしき老人が乗っており、老人があれやこれやと説明してくれる。例えばある丘などは春になると一面桜に覆われるといい、海と空の青いキャンバスに桜色の丘が突きだしている様を想像した私はあまりの鮮やかさに目がまわる思いがした。そんな老人はヒグマが出る場所を熟知していて、そういった場所のいくつかへ我々を案内してくれるらしかった。ヒグマと言えば北海道の生態系の頂点に君臨する最大の陸棲哺乳動物であり、アイヌ文化でもキムンカムイ「山の神」と崇められる重要な存在である。私は大いに期待しつつも、同時に自然のものなのでそうそう見られるものでもないだろうと高をくくっていた。

最初のヒグマ出没地まであと15分ほどと言われたので、しばらく目を凝らすのをやめてこの雄大な絶景をしばし堪能しようと思っていたところ、老人が
「あ!なんだありゃ!」
と大声を上げた。みると、何か赤いものが海岸に打ち上げられているように見える。よくよくみると、その周りに二つ、茶色い陰がもぞもぞしている。ヒグマの親子であった。老人が指示し、船頭が船を寄せる。近づいてみると、赤いものはエゾシカの死体であった。老人は滝から落ちたやつがここまで流されたんだろう、という。ヒグマたちは我々が近づくと食事をやめ、のそのそと岩場を登って森へ去っていく。近くで見るとその大きさは異様である。子グマが既に本州のツキノワグマほどの大きさなのだが、母グマはその倍以上もある。ヒグマは泳ぎが達者だと言うし、その気になれば私たちが乗っている小船など乗客もろとも八つ裂きにできるのではないかと想像し、身震いする。また、この間ヒグマと鹿と我々を岩の上から見下ろしていた巨大なオジロワシについても特記したい。巨大といっても生半可ではなく、体高にして1mはあり、羽を広げれば2mはあるように見えた。わかりやすく言えば、関東の畳にも匹敵する巨体だったのだ。アイヌ語でオンネウ「老いた者」と呼ばれる巨鳥は、その名に恥じぬ静かな威厳を湛えて我々を睥睨していた。

ヒグマたちが去ったので、我々も興奮さめやらぬまま知床半島先端まで船を進めることになった。

二十分ほど北上し、我々は目的地である半島の突端に到着した。出港した時には晴れ渡っていたのだが、その辺りは暗雲が低く立ち籠めていて、禁断の地の感があった。吹き荒ぶ突風で木は生えず、一面が丈の低い草地になっている。その突端は本当に細く小さくなだらかで、大海やそれまでの巨岩、大森林とのコントラストにまたもや目眩がしそうになった。知床とはなんと表情豊かな土地なのだろうか。

五分程度の滞在ののち、帰路に就くことになった。
幸福な名残惜しさを噛み締めながら、シリエトクに別れを告げる。

乗客は皆満ち足りた心で残り少ない船旅を楽しんでいた。エトピリカ、ヒグマ、オジロワシ…港で貰ったパンフレット曰く、「見られたら超ラッキー」な動物を悉く見尽くし、闃寂たる美しさの半島先端まで無事に到達し、これ以上望むべきことなど無いように思われた。


しかし、皆がぼんやりと見慣れた知床とオホーツク海の絶景を眺めながら三十分ほど南下したあたりで、老人が険しい遠くを見据え始めた。そしてゆっくりと、感嘆するように

「なんだありゃ…」

と呟いた。

アトゥイコロカムイ「海統べる神」と呼ばれる、アイヌの海の最高神であるシャチの大群が凄まじい速さでこちらへ北上して来ていた。我々は恐慌をきたした。先ほど見たヒグマよりもさらに数倍大きい凶悪な面相の海獣が、二十頭ほども小舟に向かって驀進して来ている。彼らの支配する海の上で、圧倒的に無力な我々は現実的に死の恐怖を感じた。逃走すべく船が向きを変えたときには、彼らは既に我々のもとにたどり着いていた。

しかし、彼らは我々を素通りし、北の方へ泳ぎ去っていった。奇妙なことには彼らは皆船のそばに来ると減速し、水面から大きくジャンプしたり潮を吹いたり、また歌を歌ったりと、まるで挨拶でもしているかのようだった。我々があまりのことに呆然としていると、老人が言うには、シャチは賢く温厚なので、船を見つけてからかいに来ただけらしい。また、特に近年知床付近でシャチが姿を見せることはきわめて珍しく、非常に運が良かったとのことであった。

港に着き、私を含む十数名の旅行者は、北海道の大自然の洗礼を受けて短い船旅を終えた。

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