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2020年コロナの旅34日目:ムリ―コと魔法の夜

2020/1/19

リダの家を出た。

czech innに戻る。受付のヴラド君と話したところ、どうやらこの宿の地下にはキッチンがあるらしい。キッチンがないと勘違いして調理せずに食べられるものか外食だけに頼ってきた日々がバカバカしいようだ。近所のスーパーでトマト、モッツアレラ、パスタ、そしてペストを買ってキッチンに降りていく。

完全な地下のバーへ行く途中の半地下のような階層に、レンガ造りのワインセラーのような空間があり、そこにキッチンが造りこまれていた。バーには降りたことがあったのに気づかなかったのは迂闊だった。

一人で料理していると、痩身の若者が降りてきて調理を始めた。話しかけると、カナダ人だという。流暢に英語を話すが強いフランス訛りがあるのでケベック人だろう。

彼は名をネイサンと言った。19歳だという。ブリュッセルに留学していて、一人で欧州漫遊中とのことだった。

パスタが茹で上がるのを待つ間ネイサンと色々世間話をしていたらトマトとモッツアレラをあらかたつまみ食いしてしまった。
この日は仕事で忙しいリダとも会えないので、私はショーンと飲みに出かけることにしていた。
ネイサンも誘うと、ぜひ一緒に、という。

夜、私はショーンとネイサンと連れ立って19:30ごろから街へ繰り出した。街と言ってもわざわざ中心部まで出かけることも無かろうということで近場で済ませることにした。

ショーンが、
「mlikoとかいうの頼んでみようぜ。ん、milkoだったっけ?あれ?」
などというのでそうすることにする。
「このムリコだかミルコだかいうやつは、全部head(ビールの泡の部分)なんだよ。チェコならではの飲み方さ。」
最初に適当に入ったバーでショーンが注文する。
「ミルコ3つ!」
バーテンダーの婦人は明らかに怪訝な顔をして返事をしない。言葉が通じない時特有の妙な間がうまれる。
「あれ?ムリコ?3つ!」
「牛乳のこと?」
「いや、ビールだよビール。pivo(チェコ語などスラブ系の言語でビールという意味)ね。だけどヘッドだけにしてほしい。」
「ムリコは牛乳って意味だよ。」
「おっかしいなあ。泡だけのやつだよ。白いの。全部真っ白。」
「あー泡だけのね…本気?」
「それそれ!よろしく!」
バーテンダーは未だに不可解そうな面持ちだが、確かに泡だけをジョッキに注いでくれる。ビールを受け取りながら、私がきいてみた。
「この泡だけのやつ、なんて言ったら注文できるの?」
するとバーテンダーより若そうな店員が答えてくれる。
「ムリーコで合ってるわよ。でも、それは牛乳って意味で、この注ぎ方をすると真っ白で牛乳みたいだからそういうの。あんまりメニューとして提供してる店は多くないんじゃないかな。」
「おいショーン、チェコでもこんな飲み方一般的じゃなさそうだぞ。」
「いや待て、まだわからんだろう。次の店でも試してみよう。」

果たして次に入った店ではメニューが掛かれた黒板にムリコと書いてある。
「おい、おい、コウスケ、みろ。ムリコ、あるだろ、馬鹿野郎。」
「いやこれ、注文したらただの牛乳出てくるんじゃねえの。なんか値段も他のビールに比べて異様に安いじゃん。俺バーに来て牛乳なんて飲まねえよ。あ、ちょっとすみません。」
店員を呼び止める。
「そこにムリコってあるでしょ。」
「へえ。」
「あれは牛乳のこと?ビールのこと?」
「あれはビールです。泡だけで真っ白なんでこの辺ではムリ―コ(牛乳)って呼んでます。」
どうやらショーンが正しかったらしい。全部泡で実体積が少ないので普通のビールの半額にしているとのことだった。

満足げなショーン。肝心のムリコだが、なかなか独特の口当たりで、というか当たり前なのだがやたらアワアワしている。最初の泡の肌理が細かいうちはクリーミーで良いのだが、荒くなってくるとすこし口当たりが悪い。しかしせっかくの地のものだと思って、我々三人はムリコだけで合わせて4件ほどもバーをハシゴした。

4件目は一階のカウンターは地元民と客の一人が連れてきたらしき犬で満席だったので、誰もいない地下に通された。ここもレンガ造りの地下室で、日本人からするといかにも西洋的な雰囲気のある空間だった。横長の部屋の端の方に、10㎝ほどの高さのステージがあり、バンドなどがパフォーマンスできるようになっていた。
ネイサンはここでマジックを披露し始めた。彼のマジックは、ショーンも私も酩酊していたとはいえ衝撃的なクオリティで、我々は驚愕し通しだった。
中でも私が今でも鮮明に覚えているのが、以下の奇術である。

the pledge ー確認ー
まず彼が彼自身の手のひらに油性のマジックペンでバッテンを書く。私とショーンにこすらせてみて、「消えないね?」と確認する。そして、私に片方の手を握りしめるように伝える。
the turn ー展開ー
彼はそのバッテンを指で押さえて、もったいぶって私に「魔法の言葉を言ってみて」という。私は即席で「みゃああ」みたいな音を出す。彼は「ふん、まあ今ので良かろう」と言うと、押さえた指でバッテンをこすり始める。するとそのバッテンは消える。
the prestige ー偉業ー
彼はバッテンをもみ消した指先をこすり合わせて私の握りしめた方の手に向かってその”バッテンのエネルギー”のようなものを投げつける。
「手を開いてみて」
手を開くと、私の掌にはさっき彼がもみ消したバッテンが…

ほろ酔い気分で、チェコの有名なピルスナーをムリコ、もといムリ―コで楽しみながら、レンガ造りの地下室で素晴らしい奇術を堪能し、宿へ帰る。
ショーンは明日の朝にはアイルランドへ帰るらしい。


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