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二人のアンと、ジャスミン

今日もまた眠れないので昔の話を吐露しよう。

私にはアンという恋人がいた。我々の関係の終末は穏やかだったとは言い難く、彼女は私が浮気をしたと言い、連絡を絶ってしまった。問題や口論の種は他にも色々とあったが、決定的だったのは間違いなく私の浮気疑惑だった。

浮気とは何なのか。それは人によって定義が乱立しているところではあるが、その乱立状態そのものに対してとりうる態度もまた、色々ある。試しに2つ挙げてみると、1つは、交際にあたって2人でそれを定義し、これを冒さぬよう取り決めるというもの。もう1つは、定義のすり合わせはせず、その上で2人の浮気の定義が生来的に一致しているかを観察することで相性自体を占うというもの。

私は前者の現実主義的な考え方の安全性を好むが、アンは後者の態度をとった人であった。そのロマンティシズムには共感に値するものがあるし、男女交際において、各人は各人の価値観や人間性を相手のために曲げるべきではない、という彼女の主張にも、少なくとも単面的は納得がいく。実際には2人の別個の人間がうまく共存しようとすればある程度の双方向の妥協は必要だと私は考えるが、読者の皆さんはどう思われるだろうか。むしろ妥協点を次々に見出していく過程で、譲れない点が浮き彫りとなり、そこで初めて交渉、時には衝突が発生するべきものと言うのが私の持論である。全く素のままでぶつかり合って、少しでも認識にずれがあったら一巻の終わり、という考え方を原理主義的に貫くにはドッペルゲンガーの存在を想定せねばならず、それは現実味にかけるのではないか。

さて、一般論はほどほどにして、私の浮気疑惑についてお話しよう。もとを正せば、事の発端はアンと、もう一人のアンが同じときに居合わせたことだった(私のインセキュリティーや自己中心的性質など内的要因が大いに影響したことは言うまでもないが、ここでは出来事に焦点を当てたい)。

某国人であるアンはその日の夜、飛行機で母国に帰ることになっており、私は彼女が学生寮から退去するのを手伝いに行っていた。

一通り荷物をロビーまで運び出し、彼女が寮母と退去に関して話している間、私は荷物の番をする。

すでに新型コロナウイルスのパニックが世界中を席巻していた頃の話で、その国際学生寮にはほとんど人はいなかったが、居住者と思われる1人の明るい肌の黒人女性が歩いてきて、私に話しかけた。

「私たち会うの初めてだよね?ここ住んでるの?」
「いや、俺はあそこにいる彼女の引っ越しを手伝いに来たんだよ。」
「ふーん。」

彼女は片脚に重心を乗せ、左腕を胸の前においてそれを台とし、右腕で頬杖をつくようにしながら立っている。右眉を吊り上げ、下唇を軽く噛みながら私の全身を品定めするようにジロジロみて、フフッと笑う。

「あなた名前なんて言うの?」
「コウスケ。君は?」
「アン。」
「え?」

この世で一番珍しい名前というわけではないが、自分の彼女と同じ名前を想定していなかったため一瞬からかわれているのかと訝しむ。

「アンだよ。A、N、N、E。アニーって呼んでね。また会いましょうね。」

そう言うとアニーはスタコラ歩き去って行く。その後ろ姿に向かってまたね、と言うと、振り返って手を振ってくる。その後またしばらく私は荷物の見張りをしながら放念していたが、私の恋人の方のアンが手続きを済ませて私の方に歩いてきた。

「アンと会ったんだね。」
「うん。名前が同じだからからかわれてるのかと思った。」
「どっちのアンが好き?」

冗談めかしているが、一触即発の状況であることがなんとなく了解され、私は少し緊張しつつもこっちのアンが好きだよ、と言いながら彼女の頭を抱き寄せる。彼女は私の腕の中でなおもぼやき続ける。

「彼女、私がいなかったらあなたのこと口説いてたと思う。あなたのこといやらしい目で見てたもん。」

アンと私の破局から遡及して、最も直接的な原因を辿るとしたら、私はこの瞬間がそれだと思う。即ち、私は嫉妬の炎を燃やすアンをたまらなく愛おしく思い、その暗示する愛の深さに甘美さを覚えてしまったのである。

この世に私ほど愚かで、最も単純な推論すらできない人がどれほどいるかはわからないが、嫉妬されることによって分かりやすい形で愛情を感じられるからと言って、嫉妬を招くようなことをするのは得策ではない。それは、嫉妬をする側を精神的に疲弊させることになる。

その後わたしはアンの荷物を運んで空港まで行った。我々は残りの半日を空港で過ごし、夜の10時、ついに彼女の荷物検査の刻限が訪れた。そこで私はアンに、初めて"I love you."と伝えた。本当はずっと前から言いたかったが、以前、龍堂という恋人に「そんなに早く人は人を愛するものではない。」と怪しまれてしまった経験から、ギリギリまで言うのを我慢していた。アンはもともとハの字ぎみな眉毛をもっとハの字にして動揺を隠さない。心底不安そうに、本当に?と言いつつも、"Me, too. I love you, too."と答えてくれた。

2人して泣きながら、空港でお別れをした。

彼女が日本を去って2日目だったか、私はアンと電話をしているときに、本格的に俺と付き合ってくれないか、と聞いた。それまで彼女は、お互いに好意を持ちつつもその関係性に名前をつけるには時期尚早であるという意見を持っていて、私もそれは尤もだと思っていた。しかし、彼女が去ったことで却って私の魂に占める彼女の存在感が意識された私は、彼女とより明確で確かな関係を築いていきたいと思うようになったのである。

「それはどうかな…距離も遠いし、いつまた会えるかわからないし…」

彼女の答えは私が想像していたのとは随分違っていた。彼女は常々安定した関係を求めていたし、喜んでくれると信じていたからである。しかし、今思えば、自らの精神の平穏と安定性を求める、という観点からは一貫性のある回答だった。それが理由で相手選びに慎重にならなければならなかったのだと考えれば辻褄が合う。彼女は過去に恋愛で辛い目にあっていて、何につけても慎重だった。

私は、それもそうだね、と平静を装ったが、内心かなり落ち込んでいた。私自身の中にも、彼女にとって私は一体何なのかという疑念と、アンがもし乗り気でないなら、いったいこの関係に忠信を捧げるのは賢明なことなのだろうかという不安が頭をもたげ始めた。

それから3日ほどたち、私は友人たちと大阪で行われたBlack lives matter(※アメリカで無抵抗の黒人が白人警察に殺された動画が発端となった、黒人の人権向上と警察による過剰な暴力の抑制を訴える社会運動)のデモに参加した。私はそこでジャスミンという女性と出会う。

彼女は私に好意を抱いているようであり、連絡先を教えてくれと言ってきた。私は、アンが交際相手として不確実性が高い現状においては、将来的に孤立することを避けるためにジャスミンを拒むべきではないと考えた。むしろ、好意は持っておいてもらうに如くはないと考えたのである。

ここでもう一つ読者諸兄に知っておいてもらわねばならないことがある。アンは日本にいた頃、私に対して精神的な浮気以外は許す、と言っていたのである。心さえ彼女のことを愛していれば、身体的にはたまに羽目を外すくらいのことはあっていいと言っていたのだ。

以上のような背景があって私はジャスミンを食事に誘った。その後私たちは神社の鳥居の下に2人で腰掛けて、お互いの恋愛について語りだした。ジャスミンもまた、過去の恋愛で大いに傷ついた人であった。私は、ジャスミンに対して自分の状況を正直に伝えた。アンのことを愛しているが、付き合ってほしいと頼んだら断られたこと。そして、断られた以上、本当に付き合える人を探した方が良いと考えているということ。

そのうちジャスミンは自分の境遇を語りながら涙し始め、私にしなだれかかりながら私の腕をとって、こんなに心のうちを打ち明けられるのはあなたが初めてだと言う。

私は、貴願と空の話のときにも述べたが、
https://note.com/inakafubai/n/naf8cb01a676b
こういう状況に弱い。その瞬間の芸術的価値を高めるためにロマンチックな行動をとってしまう。空のときは、私にはっきりとした恋人がいたし、空と貴願の仲も懸念材料となって彼女にキスをすることはなかった。しかし、今回はアンは事実上交際相手ではなく、さらに心さえアンのことを思っていれば身体的には寄り道があってもいいと本人からお墨付きをもらっている。さらにジャスミンには悲しい過去こそあれど、付き合っている人はいない。あまつさえ、彼女は愛を求めて泣いている。障壁となる状況がないばかりか、私の行動で彼女は救われるかもしれない。いや、もっと誠実にこのときの状況を思い返せば、それはそんな純粋に利他的で高尚な行いというわけではなかったかもしれない。今ここで行動を起こさないことは、ジャスミンの中で大いに私の株を下げることになるのではないか、という利己的懸念もなかったといえば嘘になろう。

私はジャスミンにキスをした。ただしそれ以上何かをしようという意図は神明に誓って、なかった。状況に導かれた行いであり、私の心が自発的に行ったものとは言い難い。ゆえに、ジャスミンはかなり明確にキス以上のものを求めていたが、私は彼女を家に送り届けると、その敷居をまたぐことなくすぐに踵を返して自宅に帰ったのである。

そして、ギリシャ悲劇のように、ここで、あの日、国際寮で2人のアンと私の3人が居合わせたこと関係してくる。私は愚かしいことに、ジャスミンの存在をアンに仄めかしたのである。

私はそれまでの交際の拒絶や、また遠距離恋愛ゆえの寂しさからアンからの愛や承認といったものに飢えていた。そして嫉妬の炎に火を灯すという、最も愚かな選択をしてしまった。

アンは泣き、怒り、悲しみ、失望し、絶望した。

彼女は、私に付き合ってほしいと言われたとき、断りはしたものの前向きに考えたいという意思を伝えたつもりだと言った。

彼女は、私に対して心さえ彼女とともにあれば、体は何をしていてもいいと言った時は、まだ彼女は私のことを今ほど好きではなく、今は状況が違うと言った。

なるほど、彼女の視点からすれば明らかであったその2点を踏まえれば、私がとった行動が許しがたいのも想像がつく。その2点を私があの時神社で分かっていたら、私はあの時空にキスしなかったようにジャスミンにもキスをしていなかっただろう。そもそも、ジャスミンと連絡先を交換して食事をすることすらなかったと思う。それほど私はアンのことを愛していた。私がジャスミンにキスしたことも事実だが、私のアンに対する愛は真実であった。

私は、そういったことは伝えてもらわねば分からない、と言った。アンは、言わないと分からないのなら、それは私たちがそもそも相性が良くないことに他ならないのだ、と言う。

人間はそんなに以心伝心の生き物なのだろうか。愛とは、常に論理を超越した存在である必要があるものなのだろうか。我々はその点についてついぞ同意に至ることはなかった。しかし今もって、私がこの苦い経験から学んだことは、嫉妬は買わないに越したことはないということと、口は災のもとであるということに過ぎない。

今でも、眠れない夜には彼女のことをいつも思い出す。彼女と過ごした数々の夜や、彼女の隣で目を覚ます朝、まだ眠そうな彼女の髪をなでた思い出、鴨川でホタルを見ながら彼女が故郷の民謡を歌ってくれた夕べ…川辺に咲く、私が大好きな花を摘んで彼女の髪に挿すと、彼女はこんな素敵な贈り物をしてもらったのは初めてだと嬉しそうにした。彼女は、一度、彼女の母語は感情を表す語彙の豊かさで有名なのだと言った。私はそれを聞いて彼女の気持ちを知りたくて、その言語を学び始めていた。もし私がその言語を解したならば、ひょっとしたらこのようなすれ違いは起こっていなかったのかもしれない。

真夜中の後悔は絶えない。

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