見出し画像

【宇部市】宇部市民がまとめるエヴァンゲリオンの聖地巡礼【EVANGELION】

コワーキングスペース「nido(ウベノス)」の経営者のちょーすです。

遅ればせながら先日、「シン・エヴァンゲリオン𝄇」を観て来ましたが、宇部市民としては、何とも感慨深い作品でした。

画像1

ネタバレ情報等は一切見ずに、映画館で当日チケットを買えた時には「いよいよエヴァが終わる」という感情で涙が出そうになりました。

シアターに入って席に座った時にも感情が高まり、最終決戦に臨む前には号泣していました。

見終わった直後の感想としては、私自身の魂も救済された気分になりました。

映画館の上映が終わり、早速、Amazonプライム・ビデオでも配信が始まりました。

山口県宇部市出身の庵野秀明監督と山口県周南市出身の貞本義行キャラクターデザイナーという2名の山口県出身者によって、山口県に関係するアイテムや場所がシリーズを通じて登場しているので、まとめてみました。

宇部市民がまとめるエヴァンゲリオンの聖地巡礼記事です。

EVANGELIONシリーズ

庵野監督の出世作であり、代表作でもある「新世紀エヴァンゲリオン」に始まるEVANGELLIONシリーズは随所に山口ネタ・宇部ネタが散りばめられています。

宇部市観光ガイドのサイトでも紹介されていますが、より聖地巡礼の要素でまとめてみました。

可能な限り調べたつもりですが、誤っている情報や漏れてある情報等がありましたら、コメント等でご指摘頂ければと思います。

宇部新川駅

「シン・エヴァンゲリオン𝄇」ではかなり登場した「JR宇部新川駅」です。

画像2

宇部線の終着駅にもなっています。

ポスターにもなった場所は宇部新川駅から琴芝駅の間の場所で、宇部新川駅から一番近くの島通踏切からの写真が最も近いです。

画像3

スマートフォンで同じようなアングルで撮ってみました。

画像4

望遠レンズを使わないと白っぽく写っている真締川の鉄橋がポスターのように綺麗に撮れないです。

真締川の鉄橋は所々塗装が剥げ、ピンク色のような素地が出てきています。

画像5

真締川の脇には桜が植えられており、例年は提灯が灯され、花見をする方々がいます。

画像6

尚、踏切は車両の通行もあるので、マナーを守って撮影するようにして下さい。

画像7

碇シンジが立っている場所は「小串通りの踏切」だと思われます。

この踏切は私が小学生の頃の通学路で、毎日通学していた踏切です。

ちなみにホーム上や歩道橋から撮ってみましたが、線路に近寄れないので、難しいです。

画像8
画像9

また、碇シンジが幼い頃に碇ゲンドウと別れる場面や大人になった碇シンジと真希波・マリ・イラストリアスが待ち合わせするシーン等で登場します。

改札の横には「シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇」のポスターがありました。

画像10

駅に新たにポスターが追加されたことのとで、後日、再訪しました。

画像11

サイズも大きくなり、庵野監督の直筆サイン入りに変わっていました。

入場券を購入して改札を通ります。

画像12

ダイヤによって変わるかと思いますが、電車が入構していない時間をまとめて掲示してくれています。

利用者が減って来ている駅なので、改札係員が不在となる時間帯があるようです。

画像13

碇ゲンドウが碇シンジを置いて行ったシーンで登場したホームから改札へ向かう通路です。

画像14

この辺りは綾波レイと渚カヲルや式波・アスカ・ラングレーが居た近くです。

画像15

碇シンジと真希波・マリ・イラストリアスが待ち合わせする際に、碇シンジが座っていたホームのベンチです。

画像15

プロフェッショナル仕事の流儀の取材の中で、庵野秀明監督も座っていました。

夜は夜で雰囲気が出てます。

画像16

碇シンジと真希波・マリ・イラストリアスが合流後に駆け上がっていった階段です。

画像17

また、駅舎だけでなく、宇部線の車輌(国鉄105系電車)や小野田線の車輌(国鉄123系電車)はそれまでの作品では殆ど出て来ていませんでしたが、「シン・エヴァンゲリオン𝄇」では第3村で何度も登場していました。

2021年3月31日まで、車両模型が当たるスマホスタンプラリーも開催されていました。

画像18
画像19

特に105系のカラーリングは白地の車体に赤と青のシンプルなカラーリングですが、他の場所では見ることはなく、この車体を見ると「宇部に戻ってきた」と強く感じます。

この時は105系はいませんでしたが、123系がいました。

画像20

別のタイミングで新山口駅から宇部線を利用しましたが、123系しか見かけません。

画像21

行先表示の「宇部新川」を見ていると、なんだか落ち着きます。

画像22

105系はかなり本数が減っているのでしょうか。

中華そば一久

「中華そば一久」はTVシリーズからカップ麺として登場していましたが、実在するラーメン店です。

碇シンジの歓迎会用の買い物をしていた買い物カゴの中に紛れ込むように入っていました。

画像23

放送当時はカップラーメンは実在していませんでしたが、その後、商品化もされて、再販もしていたようです。

画像24

今回のブームを受けて再度の再販となれば、より一層盛り上がると思いますが、叶わぬ夢でしょうか。

宇部新川店は宇部新川駅を出てすぐの場所にあります。

LET’S 09

作品に登場するエヴァンゲリオン初号機の起動システム「09システム(オーナインシステム)」は、かつて宇部市中央町に実在したショッピングセンター「レッツ09(レッツオーナイン)」が元になったと言われています。

エヴァンゲリオン初号機の起動確率が「0.000000001%」と、0(オー)が9個(ナイン)であったことから付けられたという説もあるようです。

「レッツ09」は山口県防府市に本社がある丸久グループが運営していましたが、現在も「スーパーAruK(アルク)」山口県、広島県に展開されています。

「AruK」の由来は「MARUKYU」の中央の文字から来ており、「09」は元々「マルキュー」と呼んでいたため、名前を少しずつ変えながら残っています。

残念ながら「レッツ09」は1996年に閉店してしまいましたが、現在はその跡地に「山口スバル宇部店」が建っています。

この中央町の土地は、私の親族が代々所有しており、私の幼少期当時はまだかなり賑わっていたのを覚えています。

当時は宇部市の中でも中央町近辺のことを「街の方」と呼んでおり、当時の若者達が集まっていました。

ちょっとだけ宣伝ですが、コワーキングスペース「nido(ウベノス)」はこの場所から平和通りを挟んで反対側の場所にありますので、是非休憩がてらでお立ち寄り頂ければと思います。

これから漫画版エヴァンゲリオンを揃えて、置こうと画策中です。

宇部港

第6話のヤシマ作戦の停電前のシーンで一瞬だけ登場する「宇部港」です。

画像25

時間がなかったので、行けてないですが、写真中央あたりにある岬からこちら側を望むとアニメで登場したような構図になりそうです。

画像26

古くから地域から産出される石炭の積出港として、またセメント産業を中心とする工業港として、地域経済の発展に重要な役割を果たしています。

港の辺りでは、市場に流通させない魚介類が露天販売されています。

画像27

幼い頃、毎朝ここで祖母が魚を買いに来ていたのを思い出しました。

興産大橋・宇部興産

「シン・エヴァンゲリオン𝄇」で何度も登場した「興産大橋」ですが、陸からだけでなく、新門司港(北九州)と六甲アイランド港(神戸)や泉大津港(大阪)を結ぶ阪九フェリーに乗船すると、海からも望むことが出来ます。

画像28

「興産大橋」自体は全長1,020mですが、全長31.94kmと日本で一番長い私道として有名な「宇部興産専用道路」の一部で、それらは「宇部興産」の関連施設です。

画像29

また作品の最後に宇部新川駅から空へ昇っていきながら、回転し宇部興産の工場群と興産大橋が映って、エンドロールへと続いていくシーンは宇部市民の私としては感無量でした。

画像30

その「宇部興産」は1897年に地元の人々が出資して設立された「匿名組合沖ノ山炭鉱」が起源の企業です。

エヴァンゲリオンにもパイプラインが横や上に走っているシーンがありますが、この場所がモデルになっています。

「いずれは掘り尽くしてしまう有限の石炭を、工業の無限の価値に展開し、地域に永く繁栄をもたらそう」 と創業者の渡辺祐策翁を中心に集まった人々は、社会が求める新しい事業を次々と創出しました。

歴史を学べる施設もありますので、事前に予約して足を運んでみても良いと思います。

見えているほぼ全部が宇部興産です。

画像31

渡辺家は今も宇部市島にあり、正門には「松厳園」と記されており、渡辺祐策翁の生家だと分かります。

画像32

家の前までの道はこのように両側に石畳が敷かれていますが、真ん中はアスファルトとなっています。

画像33

こちらのアスファルトの部分は以前は土だったようで、自動車が無く、移動が人力車だった頃に車夫の脚を痛めないようにという渡辺祐策翁の配慮だったそうです。

また車道の脇には壁が窪んでいます。

画像34

これも人力車が通る際に通行人が避けられるようにしていたとのことで、かなり他の方にも配慮が出来る方だったようで、そのような姿に市民からも愛されていたようです。

大正時代に石炭の燃焼灰を石灰で固めて作られた宇部特産の煉瓦である桃色煉瓦も残っていて、風情があります。

画像35

渡辺祐策翁は現在でも「宇部の神様」として親しまれており、「渡辺翁記念会館」と施設名称で残されています。

また、俵田明翁は渡辺祐策翁を支えた立役者として、こちらも「俵田翁記念体育館」として、市民に親しまれています。

思い返してみると、我々宇部市民は小学校の社会科の授業で「わたしたちの宇部」という副読本を愛読し、社会科見学は当然宇部興産の施設見学をしていたので、宇部興産に関する英才教育を受けていたのは間違いなく、庵野監督もその記憶等からエンディングを考えたのかもしれません。

何故、大人になった碇シンジと真希波・マリ・イラストリアスが宇部市・宇部新川駅に居るのかは明言は無かったですが、おそらく宇部興産に対しての想いが載せられているような気がします。

【閉店】喫茶らいぶ

2022年3月8日19時から開催された『シン・エヴァンゲリオン劇場版』同時視聴イベントにて、シン・エヴァンゲリオン劇場版のラストシーンで、宇部新川駅から出たシンジとマリが向かった先が庵野監督により明かされました。

喫茶らいぶは宇部市中央町にある喫茶店で、JR宇部新川駅より徒歩10分弱の場所にあります。

ここは庵野監督が昔から通っていたお店のようで、夫婦でも行かれたことがある思い出の場所のようです。

閉店前の店内には、庵野監督のサイン色紙等が飾ってあったようです。

【閉店】TOKiSMA(常盤町1丁目スマイルマーケット)

作品には登場しませんが、ここまで来たら折角なので、TOKiSMAにも是非足を運んでみて欲しいです。

画像36

若者交流スペースとレストスペースには自由に読むことが出来る雑誌や本等があり、その中には漫画版「新世紀エヴァンゲリオン」もあり、自由に読むことが出来ます。

画像37

1巻から14巻まで揃っています。

愛蔵版も発売されているので、これを機に良かったらどうぞ。

また、以前開催されていたイベントのフィギュアの展示も常設されています。

画像38

シン・ゴジラとエヴァンゲリオン初号機がレイアウトされています。

画像39

また、「シン・エヴァンゲリオン劇場版公開記念パネル展 in 宇部」が2021年4月10日から始まります。

2021年5月31日までの期間限定ですので、是非お越しを!

画像40

TOKiSMAは2021年6年29日に閉店することが決まりました。興味がある方はお早めに!

ときわ公園(ときわミュージアム)

宇部市制100年記念イベントとして、海洋堂エヴァンゲリオンフィギュアワールドが開催されていました。

山口宇部空港

期間限定で山口宇部空港もラッピングされ、巨大なエヴァンゲリオン初号機の立像も鎮座しています。

期間限定ショップもあり、限定グッズもあるので是非来てみて下さい。

併せて、庵野作品の「ふしぎの海のナディア展」も開催されています。

獺祭

「中華そば一久」と違い、新劇場版から登場したのが「獺祭」です。

これは宇部市ではなく、蔵元は岩国市周東町にあります。

2014年に当時の安倍晋三首相がバラク・オバマ大統領にプレゼントしたことがキッカケで巻き起こった「獺祭ブーム」で全国的に有名になりました。

実はTVシリーズが放送されていた1995年の時点ではまだ獺祭とは明記されておらず、「酒・山口」と表記されています。

画像41

登場したのは「エヴァンゲリオン新劇場版:序」で、作品の序盤で碇シンジが第3使徒のサキエルを殲滅した後、葛城ミサトの家に転がり込んだ際に、葛城ミサトの家の中に瓶が散乱しています。

画像42

パッケージの詳細までは確認できませんが、瓶の色が緑色のものと茶色のものやラベルがピンク色のものがあったので、複数の種類を飲んでいたことが分かります。

ちなみに獺祭は、宇部市内では「鍋丁酒店」が扱っています。

お店のページのURLの最後も「dassai」となっています。

シモラク牛乳

「シモラク牛乳」は、TVシリーズ第6話でNERVで綾波レイから碇シンジへ出された食事に入っていたり、学校で鈴原トウジが焼きそばパンかコロッケパン等と一緒に持っていたりと、何度か登場します。

画像43

現在は「やまぐち県酪乳業」と社名が変わっていますが、元々は「下関酪農農業協同組合」という法人で、山口県下の学校等にも牛乳を卸していました。

私も学校給食で「やまぐち県酪乳業」の「山口県酪」と記された牛乳瓶を飲んでいた記憶が残っています。

今でも「特選牛乳 シモラク」という「シモラク」表記の牛乳瓶での販売もあるようです。

残念ながら、「シモラク」表記の商品はかなり限られており、県内でもほぼ目にすることがないため、道の駅等で取り扱いがあれば、即買い必至です。

JA系の直売所やスーパーで取り扱いがあるようです。

新山口駅

先日利用した際に気がついたらのですが、新山口駅の在来線8番ホームの駅標が「シン・ヤマグチ」に変わってました。

8番ホームはJR宇部線が乗り入れるホームなので、そのように架け替えたんだと思います。

事前情報が全く入ってなかったのでビックリしました。

式日

2000年に公開された日本映画で、庵野秀明監督による実写映画で、Prime Videoでも配信されています。

物語の舞台およびロケ地は、庵野秀明監督の出身地である山口県宇部市です。

ほぼ宇部市内でロケーションが行われています。

庵野秀明総監督

略歴は公式サイトにありますので割愛しますが、読んでみると面白いです。

庵野 秀明(あんの ひであき)

脚本・監督・プロデューサー等
1960年5月22日 山口県宇部市にて誕生 双子座のA型 株式会社カラー代表取締役

私立和光幼稚園、宇部市立鵜ノ島小学校、同市立藤山中学校を卒業。幼い頃から色々なマンガ、アニメ、特撮、戦記物等の魅力に次々と、とりつかれる。幼い頃から絵を描くのが好きだった。

中学時代は美術部に所属。基礎デッサンもせず、マンガと油絵を描く日々が続く。

1976年、山口県立宇部高校に入学。地元では有名な進学校だったが入学式の時、もう無駄と感じる勉強はしないと決意。美術部にて、ひたすらマンガやアニメ・特撮モノ、地学部天文斑にて星の観察、友人との麻雀等に没頭する。各種試験の結果は8点から98点までと好き嫌いによって振幅が激しく、学校からは問題児とされる。その中でも特に英語は中1の時担当の先生に反発して以来、ほぼ赤点をキープ。だが、予め答えを教えてくれているありがたい追試験のお陰で無事、卒業。なお、この年から大学入試制度が激変し、共通一次試験(当時)が導入される。試験5科目の中に英語が入ったため、大学受験に関する一切の興味をなくし、更に勉強をしなくなる

高2の時、貯金をはたき念願の8ミリフィルム機材を購入。学校の文化祭展示用の実写 特撮やセルアニメ等を作成。とにかく、おもしろかった。以降、フィルム作りの快感と魅力にとりつかれる。大学浪人中には、友人らと自主制作グループSHADOを結成。ペーパーアニメの魅力にとりつかれる。

高校卒業後、すぐに普通運転免許習得。が、その一年後から結婚までほぼペーパードライバーとなる。免許証は失効と再発行をひたすら繰り返すハメに。浪人中も全く受験勉強をせず、朝夕の新聞配達等のバイトや麻雀、「機動戦士 ガンダム」本放送の録画等、マンガやアニメに明け暮れる。「とにかく大学に行ってくれ」という両親や進学率を下げたくない高校の要望により、ようやく受験の準備、重い腰を上げる。無作為に取り寄せた資料の中に学科試験無し実技のみという、私立大阪芸術大学を発見。更に、映像計画学科(当時)の試験内容が絵コンテということを知るに至リ、安心してなおも遊び続ける

1980年、「ウルトラマン80」放映の年、先の大学に無事入学。在学中に、山賀博之・赤井孝美氏らと知り合い、共に課題用の作品等を制作していく。2回生の時、友人に誘われ第20回日本SF大会大阪コンベンション(通称 DAICON III)のオープニングアニメーションの制作に参加。共同作業としてのフィルムやイベント制作の魅力にとりつかれる。

1982年、日本初のSF専門店ゼネラル・プロダクツの設立に伴い、各種グッズのイラスト等を手伝う。原稿料は日々の生活費に消える。グループというものが持つ様々な魅力にとりつかれる。

第22回日本SF大会の宣伝とスタッフ育成のため制作された、DAICON FILM作品群に参加。自主制作とはいえ、監督という重圧と大人数による本格的な作品作り等に圧倒され、コミュニケーションの難しさや挫折を味わう。
その後、「DAICON III OPA」を観たスタジオぬえの面々からのお誘いと板野一郎作画監督の人柄と仕事に惹かれTV版「超時空要塞マクロス」に参加。スタジオや板野氏のアパートで寝泊りしつつ、貴重な経験を得る。制作現場の異常な魅力にとりつかれる。 貞本義行・前田真宏氏と知り合ったのもこの頃。

そして1983年、第22回日本SF大会大阪コンベンション(通称 DAICON IV)のオープニングアニメーション(山賀博之監督)に参加。改めて、フィルム完成やイベント終了の魅力にとりつかれる。

自主制作作業で忙しく、大学には顔を出さずそのまま学費を払わないでいたら、いつの間にやら放校処分。それを機に東京へ就職活動。結果 、宮崎駿監督に「風の谷のナウシカ」(’84)の原画として採用される。それを頼りにカバン一つで上京。またもスタジオに寝泊りしつつ、続けて「劇場版 超時空要塞マクロス」(’84 石黒昇・河森正治監督)に参加。その時知り合った増尾昭一氏に誘われ、フリーのアニメーターが集まる、スタジオ・グラビトンの設立に参加。当初のメンバー、西島克彦・伊藤浩二氏らと共に机を並べる。今度はそこで寝泊りしながらお金がなくなったとき、好きなときだけ仕事をするという、自堕落な日々にとりつかれる。摩砂雪、樋口真嗣、大月俊倫氏と知り合ったのもこの頃。移動には、宮崎氏に貰った原付を使っていた。

1984年、大阪時代の仲間が集まった劇場用映画「王立宇宙軍」の製作を目的とした株式会社ガイナックスの設立及び同パイロットフィルムの制作に参加。スタジオは高田馬場のマンションの一室に設置される。プレゼン終了後の取材旅行で、初の海外旅行を経験。スペースシャトルの打ち上げとアメリカ大陸横断により、世界の広さを多少は知る。英語を勉強しておけば良かったとつくづく後悔。だが、成田空港に戻ると同時に忘れる。

1986年、約1年半のシナリオやデザインワークを経て、「リイクニの翼・王立宇宙軍(当時)」(’87 山賀博之監督)が、本格的な作画制作作業に移行する。大人数のスタッフを収容するため、スタジオも吉祥寺に移動。そこでスタッフの斡旋やメカデザイン、作画監督等を担当する。一本の映画を作る作業、そしてアニメーターとしてアニメの魅力に改めてとりつかれる。この頃ようやく、アパートを借りる。

「オネアミスの翼・王立宇宙軍」公開後、ガイナックスから少し離れ、主に仲間が増えて引っ越したスタジオ・グラビトンにて仕事をする。が、監督不在のまま停滞していたビデオ用企画「トップをねらえ!」の第2話の脚本(山賀博之作)をたまたま読んで感涙。悩んだ挙句、監督立候補を決意。だが、諸般の事情で制作開始は延期され、「火垂るの墓」(’87 高畑勲監督)に参加。延べ一ヶ月をかけて描いた重巡摩耶が画面では真っ黒に塗りつぶされ、落胆を覚える。

1988年、オリジナルビデオ作品「トップをねらえ!」(’88)で本格的商業作品を監督。いままでにない色々な事を経験し、休む間もなく諸般の事情からTVアニメ「ふしぎの海のナディア」(’90)の総監督を引き受け、そのまま色々な事をいっきに体験。TVシリーズの恐ろしさを身をもって知る。鶴巻和哉氏と知り合ったのもこの頃。

1991年、放映終了後も前作品を引きずり、次回作に移れない何も出来ない日々が続く。各種企画を自他混合で次々と立ち上げるものの、立ち消え、意図的消滅等の日々が続く。その中でようやく形となり、作画作業まで進んでいた劇場用映画「蒼きウル」のやむない凍結で、ひたすら焦燥感だけが空回りした日々が終わる。スキューバ・ダイビングやスキー等、人並みの一般的な趣味を、いきなり始めたのもこの頃。
凍結決定の前後、たまたま別件で久しぶりに声をかけてきた大月氏と、オリジナル原作によるTVアニメの必要性で意見が一致。彼の「何でもいいから企画を持ってきたら通すよ」の一言から始まり、TVアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」(’95)を監督。これまでにない様々な貴重な経験をし、放映終了後、壊れる。

1996年、雪の残る竜飛岬、宗谷岬、礼文島等をサンダルで一人旅。ただ、時が過ぎる日々が続く。友人や仲間の支えにより、半年後になんとか復活し、「新世紀エヴァンゲリオン劇場版」(’97)を総監督。春公開に間に合わなくなるという、さらなる挫折と貴重な経験を得ると同時に、新たなデジタルカメラによる実写 映像の魅力にとりつかれる。南里幸氏と知り合ったのもこの頃。

その直後、前作品の反動からか、村上龍氏の原作を映画化した「ラブ&ポップ」(’98)で実写商業映画を初監督。改めて、実写映像と新たな実写現場の魅力にとりつかれる。公開後、友人に誘われ、米国、韓国以外では初めての海外、モロッコ・サハラ砂漠方面を旅行。おまけのトランジットによりロンドン、フランクフルトの空気だけは吸う。広大な砂漠の魅力にとりつかれる。

続けて、津田雅美氏の少女マンガを原作としたTVシリーズ「彼氏彼女の事情」(’98)を監督。同時にガメラ3のメイキングビデオ「GAMERA 1999」の総監督。これまでにない物理的多忙を経験する。

そして2000年、最新作「式日」(藤谷文子原作)で再び、実写映画を監督。初めて35mmフィルムの映画制作を経験し、映像の持つ作品と現場の持つ更なる魅力にとりつかれる。

その後、「松たか子」のプロモビデオや久々のアニメ「アニメ店長」、ショートビデオ「流星課長」等の短期集中型の仕事が続く。

2002年3月26日、漫画家の安野モヨコと入籍、結婚。妻帯者としての人生を初めて経験。その後、周囲の人たちからは、身も心も変わった(身は痩せて、心は丸くなった)と言われる。

2002年6月、結婚を機に。車に乗り始める。車の運転がコミュニケーションの場としてとても面白いことに気付く。

2002年秋から始めた「エヴァ」のリニューアル作業は結果的に膨大な量になり、半年近くを費やす。

そして2003年春。2000年の秋から始めていた「キューティーハニー」がようやく本格的に動く。企画に2年以上かかったが、実作業は半年という現実の中、2003年12月にDLP版が完成。その作業中、自分にとっては、初のミニチュア特撮シーンのラッシュを観て感涙。自分は本当に特撮が好きなんだと改めて認識する。
その後、実写版ハニーのスピンオフであるアニメ版「Re:キューティーハニー」の総監督、CM、映画出演やヒト様の手伝い等をしていく。

2006年5月、新たな映像企画製作会社、株式会社カラーを設立。

2006年9月には映像制作の場として、スタジオカラーを立ち上げる。

一年後の2007年9月、第1回製作作品 「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」 が公開。

2007年10月、株式会社ガイナックスを退社。
最後の4ヶ月間はまるで家に帰れないギリギリの制作状況のなか、2本目のフィルムが完成。無事、初号をむかえる。

2009年6月「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」が公開。

またしてもギリギリの制作状況の中、3本目も完成。2012年11月「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」が公開。

現在は、「シン・エヴァ」を鋭意制作中。

かなりの長文ですが、庵野監督の人となりが垣間見える文章です。

別の宇部市民の方が客観的にまとめた書籍もあります。

私もこの記事がキッカケで取材を受けました。

まとめ

宇部市民がまとめるエヴァンゲリオンの聖地巡礼の記事ですが、「獺祭」と「シモラク牛乳」以外は頑張れば徒歩圏内で自転車か車があればすぐに巡礼することが出来ます。

1日もあれば全て回るには充分です。

是非、作品にも映り込んだ「ABホテル宇部新川」で1泊して頂き、宇部新川駅周辺の飲食店にお金を落としに来て貰えればと思います。(この辺りで1番高級なホテルは「ANAクラウンプラザホテル宇部」です。)

泊まりは難しくても、少なくとも、是非、「宇部新川駅」まで来られたら、「一久ラーメン」と「興産大橋」まで足を運んで欲しいなと思います。

また旅行雑誌のるるぶでも特集雑誌が発刊されています。

宇部市が誇る有名人の1人である庵野秀明氏は、私の叔父の高校の同級生でもあり、一方的に親近感を感じています。

先日放送されたNHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」では「シン・エヴァンゲリオン」の製作の裏側が放送されていましたが、その際に宇部市に戻って、ロケハンに来ている様子もありました。

なかなか、宇部市がエヴァンゲリオンで街おこしが出来ていないので、微力ながら私もこのブログで取り組もうと思います。

【2021年12月20日追記】ようやく宇部市も街おこしに向けて動き出そうとしているようで、「まちじゅうエヴァンゲリオン」という企画が始まろうとしています。

時を同じくして「訪れてみたい日本のアニメ聖地」にも選定されたので、これから巻返しが出来ればと思います。

【2022年6月17日追記】大好評だったまちじゅうエヴァンゲリオンの第2弾の企画もスタートします。

アニメ版や劇場版・新劇場版がありますが、それらとは別に通称「貞本エヴァ」と呼ばれる漫画版は文字で書き起こされているため、音声だけだとよく分からない語句も理解が出来ます。

何よりもアニメ版等と違って、ストーリーが綺麗にまとめられています。

最後に私からも一言、言わせて下さい。

「さらば、全てのエヴァンゲリオン。」

「おめでとう」

そして「ありがとう」