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2019/7/10 「つまりは、ヒモになりたい。」

 今日も雨が降る。この間までの雨にはうんざりしていたはずなのに、今日の雨はどこかほっとする。この気持ちは雨が降ってうれしいというような幸せな感情ではなく、雨が降ることで閉じこもっている自分が許されるような、そういう安堵の意味での雨だ。

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 どうもこの頃、思考がどんどん落ちていって、いつも最終的には「死んでしまおうか」なんてところに落ち着いて、世界に絶望して泣いて、また立ち上がってというのを繰り返している。私とてこんな状況を望んでいるわけではない。楽しく生きていたいはずなのだ。だけれど、私は毎回自分で自分の心臓をぎゅっと締め付けている。

 「もっと頑張って生きろよ」と私の中の私が言う。学問の抑圧から逃れてある意味自由になったはずなのに、私は遊ぶことも学ぶこともせず中途半端に日々を生きている。そんな自分を許さない誰かがいるのだ。


 不思議だなと思うのは、「頑張って生きなければいけない」なんていうそんな決まりがあるわけでもないのに、なぜ私はその気持ちに追われて、問い詰められているのだろうかということである。私は中途半端にまじめでそれと同じくらい怠惰な人間だから、きっと心のどこかに頑張りたい自分がいて、それと向かい合うように頑張りたくない自分がいる。


 ここに今、一つ問題がある。今の私は、頑張り方がわからないのだ。いや、わかっているのかもしれない。でも頑張れない。いや、頑張らない。こんなぐちゃぐちゃと混沌のような心をしていたら、そりゃあ死ぬしかないよなぁと今腑に落ちてしまった。何をどうすれば頑張ったことになって、私は生きることを許されるのだろう。誰か許してくれないかな。永遠に確保された一人分のスペースと物質的補助をください。


「つまりは、ヒモになりたい。」

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