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趣味は「映画と読書と音楽」と言っても良いですか? vol.160 映画 マーク・フォースター「君のためなら千回でも」

こんにちは、カメラマンの稲垣です。

今日は映画 マーク・フォースターの「君のためなら千回でも」 (2007/米)についてです。

一瞬アフガニスタン制作の素朴な映画かと思いきや、バリバリハリウッドで活躍する映画監督マーク・フォースターが作った作品と知り驚く。

確かに全体的にクリアな映像で、凧のシーンのCGの迫力は凄い。

けどハリウッドらしい照明を使わず、出演者も現地の人を使うので、完全にアフガニスタン映画かアフガニスタン出身監督の作品だと思ってしまった

マーク・フォースターはドイツ出身でスイス育ち、アメリカで映画を学び、
『チョコレート』『ネバーランド』『007 慰めの報酬』『ワールド・ウォーZ』
『プーと大人になった僕』と社会派作品からアクション、ホラー、ファンタジーとあらゆるジャンルを撮れる万能監督。

こんな素朴で他の国を舞台の映画が撮れるなんて、すごい才能。

日本舞台の外国の監督が撮った作品ってどうもオリエンタル臭くてあまり良い作品は少ないんです。

まあアフガニスタンの方から見たらどうなんでしょう。

日本人の自分からはかなりリアリティがあったと思いました。



物語は、70年代のアフガニスタン。兄弟のように育ったお金持ちの子と召使いの子。

街中が凧揚げで盛り上がる。単に上げるのではなく凧同士で糸を切りあう喧嘩凧。

2人の少年はタッグを組み凧揚げ大会で優勝するが、

召使い子が凧を拾いに行ったとき、悪い少年たちに襲われ、それをお金持ちの子は見ていたが怖くて助けれなかった。

助けれなかった召使いの子に罪の意識を持つあまり、罪をなすりつけ意地悪してしまい、親子ともにお金持ちの家から出て行ってしまう。

やがてアフガニスタンにソ連が攻めてきて、お金持ちとその子は命からがらアメリカへ亡命する。

月日はたち親と共に亡命した子は成長し、結婚して、作家になったところへアフガンスタンから電話がある。

離れ離れになった友人だった召使いの子の息子をアメリカへ連れて帰ろうとする。

タリバンが支配するアフガニスタンへ。

果たして無事に友人の息子を連れて帰れるでしょうか・・・。



前半は2人の子供たちの目を通したアフガニスタンの生活が描かれる。

その部分を見て、これはアッバスキアロスタミの「友達のうちはどこ?」の様な
セミドキュメンタリーのような、素朴な映画かなと思っていました。

それがソ連侵攻で一気に脱出劇で一気に変わります。

印象的なシーンで、ロシア兵に亡命する人々が乗ったトラックの中を点検されたときに、知らない女性に乱暴をしようとするのを父親が咎めるシーンがある。
撃たれるかもしれないところで、息子の前で正義を通す父親。
ロシア兵の上官が来て結局何事も起きなかったが、ここはすごく考えさせられた。
自分の命、他人の女性、正義、現実と入り混じる瞬間、そんな状態の時自分はどう行動できるでしょうか。

後半は大人になってアメリカでの難民としての生活。

そしてまた故郷のアフガニスタンに戻り、友達の子を救い出す救出劇。

一つの映画にいろいろな要素が入っていて、単に友情物語やアフガニスタンを描く作品じゃないんです。

人間なので、裏切りや間違いやできなかったことはたくさんあると思います。

主人公は幼い頃勇気がなく友人を裏切ってしまったが、それでも友人の子供を助けるという贖罪を果たした。

友人の召使いの子が主人公に「君のためになら千回でも」と言って信じてくれた。

大人になった主人公はその子に「君のためになら千回でも」と言いたかった。ずっと言いたかったが離れ離れになり言えなかった。

その子の息子にやっと言えた。

そしてアメリカの空でも凧が上がる。

今日はここまで。


世の中に罪は1つ、「盗み」だ。他の罪は「盗み」の変形だ。
男を殺すことは、男の命を盗むこと。
男の妻から、夫を盗み、子どもたちから、父親を盗むことでもある。
人を騙すことは、その人から真実を盗むこと。
盗みは、何よりも卑劣だ・・
/「君のためなら千回でも」より 父親が主人公の子に諭すシーン






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