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趣味は「映画と読書と音楽」と言っても良いですか? vol.181 映画 勅使河原宏「他人の顔」

こんにちは、カメラマンの稲垣です。

今日は映画 勅使河原宏さんの「他人の顔」 (1966/日)についてです。

強烈な印象のポスターw

久しぶりに心を揺さぶる映画を観た。

たまにこういう作品に出会えると楽しい。疲れるので毎回は見たくないが。

1966年の作品、今から56年前の作品だが前衛作品なので全く古びていない。

ネットや画像加工や整形やマスクで覆われた”本当の顔が見えない”今の時代だからこそこの作品が光り輝くのかも。

原作が安部公房、監督が勅使河原宏、音楽が武満徹、という三人の天才が集まり、
主演が仲代達矢、平幹二郎、京マチ子、の三人が主要キャラで物語を進めていく。脇役だが市原悦子、岸田今日子の二人が強烈な磁力を放っている。

物語も俳優も映像も音楽も凄すぎる。

とにかくこの圧倒的な負のエネルギーに当てられてフラフラになりました。



物語は、会社の研究所の事故で顔に大火傷を負った主人公(仲代達矢)。顔全体に包帯をまき、顔を無くした生活を送るハメになってしまった。

彼自身は会社の重役だが会社からは休めと言われ、家にいても妻(京マチ子)からも拒絶され、人間不信になっていた。

精神科医(平幹二郎)と看護婦(岸田今日子)に仮面を作る実験台になることを承諾する。その代わりそのつど全てを報告すると。

彼は診察を受けながら、ふと昔見た映画の中で、顔の半分ケロイドがある娘が、兄に接吻を求め、海へ消えていくのを思い出す。

やっと他人の顔の精巧な仮面(人から型をとって人工的な皮膚でできている)ができ、恐る恐る、それをつけて医者と共に街に出てみるが誰も気づかない。

主人公は家とは違う場所にアパートを借り、仮面生活を楽しむようになる。

アパートの管理人の精神病の娘(市原悦子)にはなぜかあの包帯の男だとバレてしまう。

そして拒絶された妻を誘ってみようと考える。

街で声をかけ、その日のうちに誘惑できて、彼のアパートに。

他人のと密通する妻をなじるが、妻は最初から夫だと知っていたといい去っていった。

自暴自棄になり衝動的に女性を襲い、医者は警察に身柄を引き取りに来た。

釈放され帰り道、医者が仮面の返却を迫ると、主人公はナイフで刺殺し、

彼は同じ顔の仮面の群衆の中に。



もう、バリバリ前衛。

いろいろな演出方法を屈指して、ハレーション、コラージュなど。

映画のセットも素晴らしい。まるで舞台のような病院。巨大な耳のオブジェがあったり、透明なアクリルが人体模型の断面図の壁だったり、モダニズムでかっこいい。なぜか病院で和太鼓を演奏していたり、

カフェで医者と主人公がお茶をしている時、急に周りの照明を落としたり、

もう全てが、これでもかと前衛表現しまくっている。

その過剰なほどの演出が、なんとも面白い。

そして役者人の強烈さ。仲代さんの本当に仮面かもと思ってしまうほどの、”顔”の良さ、少し日本人離れした、顔の濃さがまたピッタリ。

その奥さんを京マチ子さんがエロテックに。他人のフリをした夫に誘惑されるところ、特にカフェでお茶をしながら足を絡めるシーンは色っぽい。

まあ女性は絶対わかるでしょうね。例え顔が違っていても。

看護婦役の岸田今日子さんも、凛としていて少し冷たい印象があり、良いですね。

そしてアパートの管理人の精神病の娘を市原悦子さんがやっていますが、もう家政婦は見たまんま。役柄的にも。どんなに精巧な仮面でも奥さんや精神病の人にはバレてしまうところが興味深いですね。

まあ、とにかく映像も物語も役者も音楽も、全てシュールで強烈ですが、いろいろな哲学的な問題を投げかけていますね。

今日はここまで。




「仮面が大量生産されれば、親兄弟も敵味方もない。帰る場所がなくなれば逃げる必要もない。あり余る自由の中で、あらためて自由を求める必要もない。
 孤独と友愛が溶けあう社会。”信頼”が無用の長物となる代わりに、”疑惑”も”裏切り”もなくなる・・・」
/「他人の顔」より










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