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趣味は「映画と読書と音楽」と言っても良いですか? vol.109 映画 アラン・スミシー(ロバート・トッテン、ドン・シーゲル)「ガンファイターの最後」

こんにちは、カメラマンの稲垣です。

今日はアラン・スミシー(ロバート・トッテン、ドン・シーゲル)の「ガンファイターの最後」(1969/米)についてです。

監督名がアラン・スミシー。はい、知っている人は知っている監督名。

架空の映画監督の名前です。

映画の制作中に何かの理由で監督が降板したり、監督が自分の作品として責任を負いたくない場合にクレジットされる偽名だそうです。

初めて知りました。確かに無限の数ほどある映画ですから、そう言うことも起きるでしょう。

今作はアラン・スミシー名義の使用のきっかけになった作品。

主演のリチャード・ウィドマークは監督のロバート・トッテンと意見が対立し、監督をドン・シーゲルに代えさせた。

両監督とも監督としてクレジットされるのを拒み、映画には必ず監督の名前をクレジットする約束があるために、偽名を使うことに。

そんな”アラン・スミシー”で有名な作品ですw

しかしそんな騒動があったことも感じさせないほど、作品自体も素晴らしい出来の西部劇でした。

主役は冷酷な悪人顔で有名なリチャード・ウィドマーク。彼の出演作で観たものは刑事マディガン、襲われた幌馬車、オリエント急行殺人事件など。あの冷酷な目は印象的。

監督のロバート・トッテンはあまり知らないが、ドン・シーゲルはイーストウッドの師匠でダーティハリーなどのアクションの名監督。



物語は、アメリカの西部の田舎町、そんな田舎でも鉄道も通り、自動車も走るような時代になった。

街を守る昔気質の保安官は銃で20年間街を守ってきた。

ある日酔っ払って彼を闇討ちしてきた街の住民を正当防衛で射殺してしまう。

射殺した男の妻がかつて保安官の恋人だったので、街の人は逆恨みで殺したのではないかと噂する。

街を取り仕切る政治家や起業家は、街の近代化のために前時代的な暴力で正義を守る保安官を辞めさせようとするが、保安官はそれを断る。

昔銀行強盗に襲われた時その保安官が解決して、好きなだけ保安官をやってくれと約束があったのだ。

その約束を反故にしようとした市議を保安官は殴り倒して去っていく。

その市議は息子から反撃しなかったことをなじられ、ライフルを持って保安官を撃とうとするができず自殺してしまう。

ますます街と保安官に溝はでき、街は郡保安官を呼んで辞めさせようとするが、暴力で追い返し、そんな自分に嫌気が刺し保安官は恋人に結婚を申し込む。

市議の息子が父の仇を撃とうとし、それをけしかけた酒場の男たちも、壮絶の銃撃戦の末、その息子まで殺してしまう。

ケジメとばかり街で行われていた葬儀に出て、教会から出たところを、街の住民たちが建物の屋上から彼に銃口をむけ・・・・。



ファーストシーンとラストシーンだけが妙に雰囲気が違うと言うか、女性のバラードがスローモーションの映像と重なっている。とても良い歌でもしかして保安官の昔の良い時代を歌っているのでしょうか。歌の題名「sweet apple wine」

この保安官、リチャード・ウィドマークが演じるので、まあ見た目から頑固であまり良い人な感じはしない。

けど、酔っ払いが逆恨みで撃ってきて正当防衛だし、自分をライフルで殺そうとした人間が自殺したのですし、またその息子が仇で撃ってきたので射殺しただけ。

どちらかというと筋を通しているのは保安官で、ものすごく悪いわけではない。

ただ街から見たら、なんでも銃で解決しようする昔気質の頑固な保安官は目障りなことはわかります。

そして数々の運の悪い積み重ねと、最後に少年を殺してしまったことが、街の住人たちを暴走させしまったのでしょう。

結局暴力で解決するという、後味の悪い感じに。

変化する人と変化できない人の対立。

変化できない人は滅んでいくが、それでも自分の意地を通す変われない人間も好きです。

それは、ドン・シーゲルからイーストウッドへと受け継げられていく。





撃ったらどうだ?背を向けてるぞ
市議を殴り倒したあと馬に乗って言う保安官の台詞
/「ガンファイターの最後」より






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