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ギフティッド教育1 IQテストって。

「9歳のベルギー人天才大学生」が卒業間際にしてオランダのアイントフォーフェン工科大学を中退したという話題、日本語ニュースでも少し前に取り上げられていました。歯科医院の経営が忙しい両親に代わって祖父母に育てられるも、「天才児」としてメディアの注目を集めるようになると、育児より優先していたはずの歯科医院は閉院。ここからはご両親が息子のサポート(プロデュース?)に専念するそう。学位授与が彼の10歳誕生日以降になるという大学側の説明が受け入れられないそんなご両親の判断により、彼の中退が決まったとの報道でした。

本人が早くも学士課程にさえ退屈していたほどの知的超早熟君だったのか、9歳での学士修了を目的化した両親の単なるエゴなのか、はたまた卒業予定までのたった数ヶ月間を惜しんででも生き急がなくてはいけない切迫したご事情があられるのか、憶測の域を逸しません。育ての親である祖父母や履修中の息子の意向ではなく、彼の育児をしてこなかったご両親がこうした判断を土壇場で下したことに若干のザワつき感が伴うものの、息子を第一に考えた上での最良選択が「中退」だったのだろうと信じたいところです。

この報道への反応として、ギフティッドについて寄せられた様々なコメントを目にしました。その中で、「欧米にはギフティッドを育む土壌があり、日本はその面において遅れている」という論調が多いように感じました。そこで今回はここカナダ、オンタリオ州でのギフティッド教育の現状について書いてみたいと思います。ではまず「ギフティッド」の定義から。

「ギフティッド」には「IQが高い」というイメージが先行しているような気がしますが、それはあくまで一部のギフティッド児の一側面。ギフティッドを高知能指数と同意義だと考え「天才児」のような表現を使っていたのは20世紀の話です。諸定義ありますが、北米では知能には以下の8つのカテゴリーがあると認識するのが主流となっています。 

Interpersonal (対人関係、人とうまくやっていく能力)
Intrapersonal (個人の精神内界、自分自身のバランスをとる力)
Bodily-Kinesthetic (身体・筋肉感覚)
Linguistic (言語力)
Logical-Mathematical (論理的、数的理解力)
Musical (音楽性)
Naturalistic (自然環境把握力)
Spatial-Visual (空間・視覚的認知力)

これらのうち一つ以上の分野において突出した潜在能力を持っている子供をギフティッドと呼ぶ「多重知能」の概念が一般的になっています。そのため、生徒の過去の作品集、教室での様子の観察、達成度テストの結果などを多面的に加味することが、その判断において不可欠とされています。つまりIQスコアに一定の有効性はあるものの、それ単体で判定できる知能は限定的であるという認識です。

IQテストは一般的に、言語能力や数学的な能力に重点を置いているため、そこで測定できるのは「言語力」「論理的・数的理解力」「空間・視覚的認知力」などに限られてきます。さらにIQの判定には、テストの種類、作製者の文化的バイアスが色濃く影響するので、特定のコンテキストの中での能力を測っているに過ぎないと感じています。
どういう意味かと言うと、例えば(a)〜(e)の中から仲間はずれを選ぶという問題があったとしましょう。

(a) Dog(イヌ)
(b) Pig(ブタ)
(c) Dragonfly (トンボ)
(d) Donkey(ロバ)
(e) Dolphin (イルカ)

まず、移民国家カナダには英語話者でない子供が多くおり、彼らがこうした問題を含む IQテストを受けた場合、言語能力が低いかのような判定結果が出がちでしょう。しかしここで低いのは今現在の彼らの「英語力」であり、知能としての「言語能力」ではありません。つまり、すでに彼らの知能測定としてこのスコアに有効性はありません。

では英語力にハードルはない子供の場合を仮定し、どれを仲間はずれとするのが正解なのか。ここで文化環境的要因が関係してきます。唯一哺乳類ではないからと「トンボ」を選ぶか、海の生き物だから、脚がないからと「イルカ」を選ぶか、唯一食べられる生き物だと思うから「ブタ」を選ぶか、はたまた一つだけ"D"から始まっていない単語だからという理由で「ブタ」を選ぶか、唯一乗り物だからと「ロバ」を選ぶか。ノアの方舟に乗った生き物はどれだったかしらと、ゴリゴリ宗教目線で考える超クリスチャンな子供もいるのかもしれません。

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その子なりの理由づけさえきちっとできていれば、私にはどれも正解に思えます。ですがあらゆるテストがそうであるように、IQテストも出題者の意図に従わなければ、知能が低いかのような結果が出てしまいます。犬やイルカを食す文化圏から来た子もいるだろうし、宗教的に豚肉を絶対に食べない子もいる。ロバを当然の移動手段として使う環境で育った子もいる。単語の意味ではなく活字の羅列と認識し、頭文字だけに注目する子もいるかもしれない。ですが、ここでは明らかに生物分類学的判断をすることが期待されていると思われ、その意図を汲み取って解答をした子供の知能は高く、そうしなかった子供の知能は低いということになります。

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特に小さい子供の場合、こうした発想や経験の多様性こそが子供らしさ、ユニークさであり、机上で詰め込む知識以上にかけがえのない、育むべき天然のセンスだと私は思っています。100人が100人「トンボは昆虫綱ですが、他はすべて哺乳綱に属します!」と幼くして優等生な解答をする世界はとても統制しやすいけれど、そこから新しいこと、面白いこと、突拍子もないことが生まれる感じがあまりしないのは私だけでしょうか? 低年齢の子供にありがちな、大喜利のような斬新な解答をする自由さや創造性は、できる限り育んであげたいものです。

テストにおけるこうした文化環境バイアスは、言語だけに限りません。例えば、「xフィートyインチ」と「zセンチメートル」ではどちらが長いかなどの問題も、英語圏では数学力(Mathematical)を測るIQテスト系の問題に出てくることがあります。これは単位変換の知識の有無が大前提にあり、メトリック・システムの環境で育った子供は知らない可能性が高いです。それは知能が低いわけでも計算力がないわけでもありません。育った環境においては不必要な情報ゆえ、知識として知らないだけです。知らずに不正解となった子供も、単位換算方法は知っているが計算を間違えた子供も、単位換算を習っているが理解できていない子も、皆同じと判定されるのが、テストの性質です。

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世界中の多様な子供達の多重知能を、特定の文化圏の大人が作った指標で公正に測ることなど、厳密にはできるはずはありません。ですが、何かを指標としてどこかで線引きをする必要が生じることも学校教育の中ではあるため、そうした場合に便宜上用いられるものの一例がIQテストである、というのが私の整理です。

では現在の北米ではどのようにギフティッドを選抜し、それを学校や親御さんはどう受け止めているのか、次に記したいと思います。
→ ギフティッド教育2 選抜時期とその方法



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