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インターネットの登場で救われたこと。

「インターネットの登場で救われたこと」
今日、そんな話になった。

ぼくはスポーツができる方でもないし、クラスの花形というわけでもない。バンドで音楽に夢中というタイプでもない。

普通、そういう人間はクラスの真ん中にいないのだけど、なんとなく人間関係で小中高とクラスでも目立つ場所にいた。

楽しかったけど、「何ができるわけでもない」という感覚がずっとあって、自分の居心地がちょっと悪かった。

腰が落ち着かない感じ。
それをこじらせていたのが大学時代。

社会人になって、初めて携帯(ガラケー)を持って、携帯メールを使えるようになったのが、ぼくの初めてのインターネット。

携帯メールはテキストの場所で。

ぼくは生まれて初めて、「あ、ここはぼくの場所だ」と思えた。

テキストしかない場所。

それまで、恋人と手紙を出しあったりしていて、それはそれで好きだったけれど、テキストで人とメールを交わす感覚。手紙でもあり、会話でもあり、電話でもあり。mixiやブログが登場して、誰が読むわけでもない文章を置いておくこともできる。気に入った石を置いておくみたいに。

表現がとても難しいのだけど、「自分が自分でいられる場所と生まれて初めて出会った」という感覚は今でも覚えている。

作家やライターを目指していなくても、「テキスト」という場があることで救われた気持ちになる。

そんなぼくみたいなやつはすごーく少ないだろうけど、でも確実にいると思う。それがぼくにとってインターネットと初めて出会った話で、救われた話。

という話をしたら、あまり共感は得られませんでした。

きっと少数派なんだなあ。でもきっと、同じような気持ちの人が今もいると思っています。老いも若きも。年齢関係なく。


関連note

文章を書くのが好きになって、長野市のライブハウス『ネオンホール』のWebサイトで2013年から2年間、『大人になれば』というコラムのような日記のような文章を掲載させてもらっていました。下記のnoteはその再録版です。よかったらご覧ください。

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