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働くって何だろう研究所

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「働くって何だろう?」をテーマにいろいろ考えたり、話を聞きにいったりするWebマガジンです。 『第一回 働くことって何だろう会議』をいつか開催したいと思っています。 その会議には…
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記事一覧

人生の後半戦で存在感を増してきそうな「まだ名前のない何か」

これは全然高尚な話ではないのですが、人生も折り返しに突入してくると経済的合理性とかロジカルシンキングとはまったく別の「人助け」という事象が人生に浮上してくるんだな…と最近思うようになりました。 今年の稲刈りが正にそうで、隣接している田圃の持ち主から「もう高齢で作業も辛く、継いでくれる家族もいないからやってくれないか」と義父に持ちかけられたわけです。田圃の面積は1.5倍になり作業負担も1.5倍になります。 妻の一家は田圃と林檎畑を持っていますがそれで生計を立てているわ

娘と語る「人生の左利き」という自覚

大学3年生になってインターンなどにも行っている娘から「どうもいろいろ上手くいかない」「たぶん自分は中学までがピークでこれから生きづらいと思う」との相談があり、その気持ちはよくわかる。自分も似たようなものだったし。以下は似た者同士であり父としてのアドバイス。 ぼく「まあ、わかるよ。おれもそうだし」 娘「お父さんもたぶん似てるよね」 ぼく「まあなあ。ただ、人生の先輩としてひとつ言えることはあります」 娘「うん」 ぼく「それはこの先ずっと変わりません」 娘「ええ!」

「支配/被支配」の感応性

こちらのツイートに掲載されている漫画を読んでいろいろ考えました。 子どもへの対応としてほぼ実践しているので安心しつつ、特に印象に残ったのはこちら。 これは親子関係だけではなく全方位的な人間関係の話なんだよなと再認識しました。◯◯してはいけないとマナー的に捉えるより、「支配/被支配」に対してセンシティブに捉えているか、感応性があるかということの方が大きい。このアンテナは年齢に限らず、無い人は無い。 支配に対して感応性がない人は一定数いる。パワハラやセクハラ、モラハラなどの

負けてられないぜ (年下の同僚たちの成長を見て思ったこと)

この一年、年下の同僚たちがめきめきと実力をつけているのを間近で見ています。彼ら彼女らの共通点としてやっぱり困難な仕事を乗り越えているんですよね。困難とは案件のボリュームだったり、難解さだったり、初めての挑戦だったりとそれぞれなのですが。 成長手法としてそれが正しいか否かはぼくには分かりませんが(もっとスマートなやり方があるのかもしれない。知らないけれど)、明らかに成長しているしパワーアップしている。本人たちはそこまで自覚してないかもだけど。とにかく何とかせねばならない状況で

「なんとなくできる」にあなたの能力があるかもしれない。

「なんとなくできる」「別に苦にならない」「言われなくもやっちゃう」ということにできるだけ自覚的になった方がいいですよね。そこにはあなたの隠れた能力や市場的な価値があるかもしれない。会社や上司が認めることだけがあなたの価値ではない。 「好きを仕事に」とか「本当にやりたいこと」とかもいいけれど、ないからといって別にダメなわけではありません。実際、ぼくはないし。ある人の方が少数派だと思っています。やりたいことがなかったら「なんとなくできること」を観察してみるのをお薦めします。意外

何を喋るのかより、どのように喋るのか。

その人が何を喋るのかより、「どのように喋るのか」に興味があります。威圧的に喋るのか、自信なさげに喋るのか、楽しそうに喋るのか。おどおどしながら、ふてくされながら、被害者ぶって、忖度しながら、マウント全開で、労わりながら、自分の世界に閉じこもりながら。本当に色々あります。 その人の話す内容がいかにロジカルだろうが威圧的だったりマウント全開な話し方をするんだったらぼくはほぼ聞く耳を持ちません。ふてくされたり、被害者ぶったり、責任逃れみたいな話し方をするんだったら、やっぱりぼくは

「大人になる」とは自分を特別扱いしないことこと。

自分を特別扱いしないことが人間関係や組織運営、チーム作りにとって重要なんだなと最近しみじみ思う。「ルールは決めるが自分は逸脱できる」と思ってしまうような人とはお話にならないし信頼関係を結べない。「当然だろ。それが法治主義だ。学校で習っただろ」と言われたら、いやもう本当にその通りなんですけど。 でも、ぼくたち人間はいくらでも自分を特別扱いできる。役職とか立場とか年齢とか肩書きとか付いちゃったら尚さら。職場でも家庭でも。しかもそれが一見、アイデンティティや自尊感情と隣接してるよ

ズレ回答現象を撲滅したい

Aさんが質問する ↓ Bさんが回答するが質問の意図とずれている ↓ それが聞きたかったんじゃないけどなあ…と思うが、一生懸命話しているので口を挟むのも悪い ↓ Bさんの回答が終わるまで待つ ↓ 知りたかった返答ではないが、ここで数分使ってしまったのでまあいいか…と思う ↓ 次の質問に移る ズレ回答現象はなぜ起こるのか上記の現象(便宜的に #ズレ回答現象 と名付けます)は日本中で起きていそうです。顧客MTGや社内会議、PTAとかでも。大小問わず。しかも、能力が低いから起きると

創造性と面倒な作業は2つで1セット

どんな業務でも仕事の大小を問わず「創造性」が求められます。ただポイントはその仕事が完了するには「作業」も必要なんですよね。体感的には1:9の割合です。作業が9です。作業は面倒くさいです。4月から社会人ルーキーになった人の中には「もっと創造的な仕事がしたいんだ!」と戸惑っている方もいるはずです。でも、創造性と作業はセットです。コインの表と裏みたいに。クオリティを上げるために必要なことだったりします。「面倒くさいぞ。世の中の大事なことってたいてい面倒くさいんだよ。面倒くさいってい

「自分は何者かにはなれないんだ」と認めていくこと。

こちらのツイートにグッときました。 わかりみが凄くて辛い。本当にどうしようもない。そんな自分が嫌で嫌で20代はしんどかったです。 根がネガティブなのに誰かに認めてほしいから「自分のことが嫌い/信じられない(でも好き/信じてる)」という厄介なマインドで20代の自分には本当に手に余りました。しんどかった。真っ暗なトンネルを歩いているようだった。でも、30代、40代と過ごすうちに薄れていったので大人になることも悪いことばかりじゃないな…と思いました。 30代40代と楽になって

採用サイトで「私たちがダサいと思うこと」を掲載してみたい。

ダサいという言葉はあまり使われなくなりましたが、仕事をする上でけっこう大切な価値観だと思っています。意識高い系みたいな気持ちはそれを生み出したり維持するのが大変だけど、「こういうことしたらダサい」という気持ちは元々持っている価値観だし、自分の行動を律してくれたりするんですよね。 「陰口をいうのはダサい」とか「電話が鳴っているのに出ないのはダサい」とか「偉そうにするのはダサい」とか「マウントを取るのはダサい」とか。別に大したことじゃないんですが、「そうしなければならぬ」と義務

教育方針なんてあるもんか

こちらのツイートが興味深かったです。 詳細はリンク先をご覧いただければと思いますが、要点としては「子どもに口をださないって難しい。つい出しちゃう」という悩みに対して、「親ができるのはここまでという土俵を示すのがいい」ということでした。確かにぼくもそうしているなあと思います。 我が家の場合18歳になったら家を出ること 高校卒業時に1000万円は用意する この2つだけ決めて「あとは知らん。自分で決めて自分でやるように。進学するもしないも自由」と子どもに伝えていました。本人

10年後に自分が何をしているかなんてこれっぽっちも想像もできない。

就職氷河期のど真ん中世代です。ただ、就職活動に致命的に向いていない性格だったので、一般的な就職活動は全然できませんでした。リクルートから送られてくる分厚い本も開く気にならない。エントリーカードもよく分からない。結局、大学の就職課に貼られていた募集に履歴書を送って渋谷の小さな広告代理店に入りました。おれの人生この先いいことは一つもないんだろうなあ…と思っていました。ネガティブとか自虐とかではなく、20代の青年だったぼくは通常モードとしてそんなものでした。ネットもほぼなかったし、

仕事における「ずるさ」とゲームメイクの重要性。

仕事において「ずるさ」は重要だと思っています。上司や顧客から与えられた前提や条件がそもそもズレていて目的達成が難しい場合、ゲームを変えてしまった方がいい。ルールを破るのはご法度ですが、ゲームを変えるのは上手くやれば問題ありません。上司や顧客のズレを指摘して正しさを証明するのもいいですが、それで目的に近づけるかどうかは定かではありません。何より学校ではないので「正しさ」が絶対的な価値ではありません。同じように上司や顧客が絶対に正しい訳でもありません。なにしろ学校と違って正解がな