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働くって何だろう研究所

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「働くって何だろう?」をテーマにいろいろ考えたり、話を聞きにいったりするWebマガジンです。 『第一回 働くことって何だろう会議』をいつか開催したいと思っています。 その会議には… もっと読む
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記事一覧

「自分は何者かにはなれないんだ」と認めていくこと。

こちらのツイートにグッときました。 わかりみが凄くて辛い。本当にどうしようもない。そんな自分が嫌で嫌で20代はしんどかったです。 根がネガティブなのに誰かに認めてほしいから「自分のことが嫌い/信じられない(でも好き/信じてる)」という厄介なマインドで20代の自分には本当に手に余りました。しんどかった。真っ暗なトンネルを歩いているようだった。でも、30代、40代と過ごすうちに薄れていったので大人になることも悪いことばかりじゃないな…と思いました。 30代40代と楽になって

採用サイトで「私たちがダサいと思うこと」を掲載してみたい。

ダサいという言葉はあまり使われなくなりましたが、仕事をする上でけっこう大切な価値観だと思っています。意識高い系みたいな気持ちはそれを生み出したり維持するのが大変だけど、「こういうことしたらダサい」という気持ちは元々持っている価値観だし、自分の行動を律してくれたりするんですよね。 「陰口をいうのはダサい」とか「電話が鳴っているのに出ないのはダサい」とか「偉そうにするのはダサい」とか「マウントを取るのはダサい」とか。別に大したことじゃないんですが、「そうしなければならぬ」と義務

教育方針なんてあるもんか

こちらのツイートが興味深かったです。 詳細はリンク先をご覧いただければと思いますが、要点としては「子どもに口をださないって難しい。つい出しちゃう」という悩みに対して、「親ができるのはここまでという土俵を示すのがいい」ということでした。確かにぼくもそうしているなあと思います。 我が家の場合18歳になったら家を出ること 高校卒業時に1000万円は用意する この2つだけ決めて「あとは知らん。自分で決めて自分でやるように。進学するもしないも自由」と子どもに伝えていました。本人

10年後に自分が何をしているかなんてこれっぽっちも想像もできない。

就職氷河期のど真ん中世代です。ただ、就職活動に致命的に向いていない性格だったので、一般的な就職活動は全然できませんでした。リクルートから送られてくる分厚い本も開く気にならない。エントリーカードもよく分からない。結局、大学の就職課に貼られていた募集に履歴書を送って渋谷の小さな広告代理店に入りました。おれの人生この先いいことは一つもないんだろうなあ…と思っていました。ネガティブとか自虐とかではなく、20代の青年だったぼくは通常モードとしてそんなものでした。ネットもほぼなかったし、

仕事における「ずるさ」とゲームメイクの重要性。

仕事において「ずるさ」は重要だと思っています。上司や顧客から与えられた前提や条件がそもそもズレていて目的達成が難しい場合、ゲームを変えてしまった方がいい。ルールを破るのはご法度ですが、ゲームを変えるのは上手くやれば問題ありません。上司や顧客のズレを指摘して正しさを証明するのもいいですが、それで目的に近づけるかどうかは定かではありません。何より学校ではないので「正しさ」が絶対的な価値ではありません。同じように上司や顧客が絶対に正しい訳でもありません。なにしろ学校と違って正解がな

「会社の評価は人格の評価ではない」と捉える重要性について。

株式会社アナグラムさんの『人事評価について考える』がすごく面白かったです。ちょっと長いですが引用します。 ベストはあり得ないがベターはあり得ると模索している感じがとてもいいですよね。会社のこういう姿勢が伝わることが人事評価という「暫定的ゲーム」においてとても大切だと思っています。 会社の評価は人格の評価ではないぼくは人事でも役員でも何でもないですが、人事評価とは社会における法整備に近いと思っています。そもそも法律とは社会をスムーズに運営するための手段であって、主役は人であ

小学生のガチプレゼンに桃鉄ゲーム監督がバキ打ち。社会人のぼくにも響きまくった話。

『「桃鉄に枚方市を追加してください」桃鉄ゲーム監督の前でガチプレゼン。大阪・枚方市小倉小学校』 こちらの記事がとても興味深かったです。小学生のガチプレゼンに桃鉄のゲーム監督がバキ打ちしたコメントがすごかった。ちょっと泣きそうになってしまった。 ゲーム監督のフィードバックを下記に一部抜粋しました。小学生相手に本気のダメ出し。これは立派。 調べ方が足りない。どういう条件がクリアしないと入らないかということも調べられていない 人に採用されるには、自分だけがいいなと思っているこ

「嫌いだけど得意なこと」に注目した方がいい理由。

「好き/嫌い」「得意/不得意」で仕事のスキルを自己分析してみるマトリクスがあります。言語化=得意、スケジュール管理=苦手、ファシリテーション=嫌いとかです。 当たり前の話ですが、分析してみるにしてもやったことがないと表に置けないんですよね。自分が得意なのか苦手なのか、好きなのか嫌いなのかも分からない。そうすると真ん中でスキルが渋滞している表ができあがります。それは自分を自分がよく分かってあげられていない状態です。だから、二十代のうちは何でもやってみるのがいいと思っています。

地方中小企業において「採用で人が取れない」はほぼ全てが経営者の問題。

地方中小企業において「採用で人が取れない」という声はもうデフォルトに近いですが、ぼくはほぼ全てが経営者の問題だと思っています。経営課題として最高位のプライオリティのはずなのにそう思っていないし、そう取り組んでいない。現場の採用担当者がどれだけ自力でがんばっても、会社や社員の協力が得られない環境では限界があります。ひとりでサッカーをやるようなものです。そんなのそもそも競技として成立してないですよね。 「予算は減らすが採用目標数は減らすな」「なんで新卒が取れないんだ」「理系人材

自分のエゴに正直だと人生楽しそう。

明日は仲のいいカメラマンAさんと撮影でそれなりに楽しみにしていたら電話がかかってきました。 Aさん「稲田さん、明日の撮影は直行します?」 ぼく「そうですね。車のお迎えが必要ですか?」 Aさん「いやあ、自分の車で行けるんですけど。そしたら現地集合じゃないですか」 ぼく「うん」 Aさん「そしたら稲田さんとお喋りできるのはお昼くらいじゃないですか」 ぼく「まあ、そうですね」 Aさん「それだとさみしいなあと思って」 ぼく「は?」 Aさん「迎えにきてくださったら稲田さんと行きと帰りで

「自分は凡人である」という認識は仕事論において大切。という持論。

「自分は凡人である」という認識は仕事論において大切だと思っています。能力も人格も才能も傑出するものはない。でも、仕事する人々の99%はそうですよね。凡人だからダメなんてことになったら世界が運用できない。凡人である自分がどうやったらバリューを発揮できるかを考えることこそが仕事であるわけで。 仕事論やリーダー論を読むと多くのひとが艱難辛苦を乗り越えて、人格的にも優れているリーダーが描かれます。もちろんそういう人もいるだろうし尊敬に値すると思うのですが、「であらねばならない」とは

あまり語られることのない「仕事におけるキャラクター」の重要性。

仕事をテーマにした話であまり語られませんが「自分のキャラクターが認知されていると仕事がやりやすい」と思っています。仕事論としてはマネジメントやタスク管理、フレームワークなどが一般的で、キャラクターの重要性についてはほぼ語られない印象です。会社という組織で動くにしても、自分がやりたい仕事に注力するにも、顧客とプロジェクトを進めるにおいても「自分のキャラクターをどう設定するか」「キャラクターを周囲にどう認知してもらうか」という視点はかなり大切だと思っています。 それは自分をプロ

「戯曲は人間が何かを始めるきっかけであり、またそういうものを全て戯曲である」と仕事を結びつけて考える。

製造系BtoB企業のW社様のWebサイトを絶賛設計中。いいところまで来ているし顧客も不満はないようだけど、芯となる核が不在な感じ。W社ならではの「選ばれる理由」がまだ言葉にできていない。何も言われてないけれどこのまま進めるのが気持ち悪い。同僚とあれこれ話して、これなんじゃないか?と思える切り口を見つけてワイヤーにして顧客に再提示してみると「これだ」と皆さんの顔が明らかに変わる。その後の話し合いがスルスル進む。そういうことならこういうのもあると関連する情報が色々出てくる。はっき

Webディレクターに必要な能力でまだ言及されていない「ストーリーテリング」

Webディレクターに必要な能力でまだ言及されていないものは「ストーリーテリング」ではあるまいかという新説を立ち上げました。多数が合意形成しながら前に進んでいくWeb制作においては視座を共有するためのストーリーとそれを伝えるテリングが必要になる。なくてもいいけど、あったほうが断然いい。 企業におけるWebサイトの本質的な役割は「ユーザーの行動変容」だと思っています。Web制作の戦略や設計、構築、合意形成においてロジックは重要ですが、人はロジックでは動かない。人は感情で動く。ロ