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「自分は何者かにはなれないんだ」と認めていくこと。

こちらのツイートにグッときました。

私は、根が暗くてネガティヴで賑やかなところには全然馴染めずすぐ疲れてしまうのに、本当は心の底から人が好きで、明るいところに居たい人間だからどうしようもない

わかりみが凄くて辛い。本当にどうしようもない。そんな自分が嫌で嫌で20代はしんどかったです。

根がネガティブなのに誰かに認めてほしいから「自分のことが嫌い/信じられない(でも好き/信じてる)」という厄介なマインドで20代の自分には本当に手に余りました。しんどかった。真っ暗なトンネルを歩いているようだった。でも、30代、40代と過ごすうちに薄れていったので大人になることも悪いことばかりじゃないな…と思いました。

30代40代と楽になっていったのですが、それって「自分は何者かにはなれないんだ」と認めていくことと比例しているんですよね。つい先日ミュージシャンの知人とこの話になって「わかるわあ」となりました。この辺、説明が難しいのですが10代や20代の時って「自分は何者かになれるのではないだろうか」と心のどこかで信じているんです。何の根拠もなく。もちろんそんなことを思わない人もいるので、それはそれで全然いいし普遍的なマインドでもないとは分かっているのですが。そういうことを思う人間もいるんです。「何者ってなに?有名人ってこと?」と聞かれても困るのですが、そういうことではなく。そもそも、何の行動も起こしていないのだから何者かになれるわけもなく。

ただ、「自分は何者かにはなれないんだ」と思い始めた30代から少しずつ自分が自由になれた気はしています。自分自身を獲得し始めるような。自分はこういう人間なのかと改めて発見するような。それが良いことなのかは分からないし、ぼくは何かを手放したのかもしれません。それは誰にもわからない。

今思うことは「それでも人生は続いていく」ということだし、「だからといって根っこの自分は変わらない」ということです。今だってネガティブだし人との交流が苦手です。それでも明るい場所に憧れるし人と交ざりたい。自分という厄介な乗り物にのってそれでもデコボコと進んでいくんだと思っています。

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